弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2002年 秋号

お辞儀

お盆休みを利用して小旅行をいたしました。行き先はサッカー・ワールドカップ日本代表の合宿地として有名になった静岡県掛川市。再春館ヒルトップでお世話になった奈良の薬師寺のお坊様が、この地で法話の会を催されると知り、近ごろ耕すを怠っていた頭に肥やしを・・・そんな思いで出掛けてまいりました。

当日はまずまずの盛況。集まった方々はおおむね同年輩ばかりでしたが、会が進むに連れ、お坊様のお話上手にほぐされて、座には和やかな雰囲気が広がっていきました。お話によると、お坊様は十七歳で出家されたとのこと。その頃の薬師寺には、法話で有名な管主の高田好胤師がいらっしゃって、若かりしお坊様は多くの教えを授かったそうです。中でも徹底的に教え込まれたのが挨拶。と言っても、面と向かってではありません。毎日朝一番から、長幼の序など意に介さず、出会った方すべてに自分から声をかけお辞儀をする。高田師は、そんな自分の後ろ姿を見せつづけることで、挨拶に気持ちをこめることの大事さを、語らず説いてくれていた・・・お坊様は亡き恩師のお姿を思い出されるかのように、しばし遠い目をしてお話くださいました。

良いお話!実るほど頭を垂れると言うけど、まさにその通り。私はどうだろう。廊下で社員に出会った時、お辞儀されるを待っていないかしら。もしそうしていたなら、狭い料簡は金輪際捨てて清々しくいこう そう思っていた矢先、お坊様がおっしゃいました。「できているようでできていないのが挨拶。ここで作法をおさらいしてみましょう」。

冗談でしょ!?気持ちはいささかぞんざいになっていたかもしれないけど、あの時代に育ったんですもの、作法は一通り弁えているつもり。今更おさらいなんて・・・。周りも少なからず騒つきましたが、お坊様は動じる風なく、前に出てお手本を示されました。先に頭を下げられては仕方ありませぬ。私たちも立ち上がり、手本通り伸ばした両の手指を太ももの横に添え、お尻を引きつつ頭を垂れて、そのまま一、二と唱えました。すると。

なんと言えばいいのでしょうか。雑念がふうっと失せ、挨拶をさしあげる相手への気持ち、その正しい置場がすうっと開けた気がしたのです。

不思議だわ。仕方なしにしたお辞儀で、こんな新鮮な気持ちを感じるなんて。でも、改めて考えてみれば、挨拶とは心を伝える、いわばコミュニケーションの入口出口。ならばその作法とは、最も心を通わせやすいフォームの基礎を示したものであるはず。「おはようございます!今日も元気でがんばりましょう」、そんな思いを抱いたら、それを素直に込められる形に託す。挨拶する心と作法は、つまりそういう関係にあるのね・・・。真新しい情報でも秘中の秘話でもありません。お坊様がくださったのは、形をさらい直すことで、そこにあった本来の意味を再発見するきっかけでした。こんな発見をさせてくれるなんて、若いのに、やるわね・・・。妙な言い草ですが、その時の気持ちは、こんな感じ。そして思ったのです。お坊様の追っ掛けなんて聞いたことないけど。しばらくあちこち法話を聞き歩いて、足下や身の回りから、自分を見つめ直してみよう、と。

さて、仕舞いに小声でお知らせいたしますが。実はこのお勝手口が本になりました。足掛け八年以上も綴ってきた駄文の山ですが、これも己れを見つめ直す好機にせんと、恥を忍んでお頒けすることに致しました。ご希望の方には、発送箱同封でお送りさせていただきます。恐いもの見たさのお気持ちさえ、満たせぬものではございますが、お気軽にお申し付けくださいませ。

西川通子

2002年 夏号

こぶし

その木と初めて出会ったのは十年ほど前、まだ阿蘇のふもとにあった工場へ向かう道すがらでした。それは、枝いっぱいに白い花を咲き誇らせたこぶしの大木でした。私は花の咲く木が大好き。中でもこぶしは、特に好きなものの一つですが、これほど立派なものを目にしたことは、かつて一度もありませんでした。

一目惚れした私は、その日を境にあらゆる機会を得て「こぶし詣で」を始めました。芽をつけた、花が咲いた、葉が繁った。見るたびそこに、季節の巡りを見つけては、こんな立派な木がもっと身近にあったならそんな思いを募らせておりました。 そして昨年、再春館ヒルトップの庭づくりが佳境を迎えた頃。私は決心いたしました。この丘に春の訪れを告げるシンボルとして、正面玄関の傍に、あの木をお迎えしたい。持ち主にお願いし、ぜひ譲っていただこう!駄目で元々と覚悟を決め、さっそく持ち主のお宅に馳せ参じプロポーズいたしましたところ。念ずれば思い通ずと申しますが、まさにその言葉通り。持ち主の奥様は快く、私のわがままな願いをお聞き入れくださいました。

なんたる幸せ!そうと決まったら一日も早く。喜び勇んだ私は、直ぐ様受け入れ準備の突貫作業にかかりました。植替える日取りを決め、運び込む手筈を整え、代わりに差し上げるこぶしの若木を用意して、準備を着々と整えていきました。 いよいよお輿入れの当日。改めて御礼をと思い、菓子折を携え持ち主のお宅にお邪魔いたしました。お出迎えくださったのは先の奥様と、里帰りなさっていたのでしょう、赤ちゃんを抱いたお嬢様もいらっしゃいました。

お二人を前に改めて御礼の言葉を申し上げているうち、突然、お嬢様の方が泣きだされてしまいました。

お嬢様はすぐ落ち着きを取り戻され、詫びにつづけておっしゃいました。「私は生まれた時からあの木を見て育ちました。本当にずっと一緒だったんです。それが無くなると思うと」。すると聞いていた奥様が、たしなめるような口調で申されました。「泣きなさんな!うちよりもっと沢山の人に見てもらわるっとだけん、喜んで送りださなんたい!」。

今思い出しても万感胸に迫る思いが。天の授け、地の恵みだけではなかった。ここまで深い人の思いもまた、百六十年に及ぶこの木の生命に欠くべからざるものだった それを知った私の心は大きく揺らぎました。ここまでの思いがこもった木を、果たしていただいていいものだろうか。今からでもお返しすべきでは。

しかし時すでに遅く、目の前ではきれいに根切りの済んだこぶしが、運びだされるばかりの状態になっていました。私は深い後悔の念に言葉を失い。「花が咲いたら誉めてやってくださいね。いつも声をかけてやってください」というお嬢様の言葉に、ただただうなずきながら、胸の奥で「必ず、必ず幸せにいたします」、そう繰り返すばかりでございました。

今日ようやく、皆様に再春館ヒルトップの完成をご報告できたことを、なによりうれしく思っております。この丘のなにを見ても、なにに触れても、胸に「ありがとうございます」という言葉が浮かんでまいります。そして。とりわけ、丘の中腹に立つこぶしの大木を目にするたび、ひときわ深く頭を垂れる思いがするのは−−

その木が「皆様のおかげをもって授かったこの地を、必ずや末永く親しまれ愛される場所へ育てあげます」という、私の誓いそのものに見えるからなのです。

今年もなにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

西川通子

2002年 正月号

虎の巻

昨年の暮れ近く、頼みごとを思い立ち社員に声をかけようとした時のこと。入社してもう十年になろうという、その社員の名がとっさに浮かばず往生いたしました。

仕方なくそばに行き「ねえ、ちょっと」で用を足しましたが。最近、顔や形は浮かんでも、俳優や花の名がすぐ口を吐かぬことが増えたと、改めて思いました。

そうか、私ももうすぐ還暦ね・・・。

このまま度忘れが過ぎていったら、どうなるのかしら?俳優や花の名はまあ仕方ない、いいとしましょう。けれども。私にはこれだけは忘れてならぬことがございます。

ご承知の通り二十数年前より、テレマーケティングを商いの道と定め歩んでまいりました。当初同じ道を行く方は一人もおらず。文字通り道無き道を手探りし、試行錯誤を繰り返しながら拓いてまいりました。その道中で培った道の見極め方、歩の進め方。我が身にたたきこんできた、これだけは、何を置いても忘れてはならないのです。

しかし。日々を乗り越えるが精一杯で、それを書き記す気も間もございませんでした。しかも社員の仕込みは、身振り手振りと口伝え。体で教え体に覚え込ませるのみでした。それでいいのです、元気な間は。でも遠からず、それができない日がやってくる。桃太郎の昔話も口伝だけでなく、書き留める誰かがあったからこそ、時を超え受け継がれてきた。私の極意も、このままでは一代限り。いかに忘れぬよう努めても、自分が去った後はただ霧散するばかりになる

どうしよう・・・。

それからです。私は会社の中で、ある取り組みを始めました。大学ノートを数冊買い、表紙に金紙を貼って“虎の巻”と書き込みました。それを持ってコミュニケーターが働く現場に入り、部署部署に一冊ずつ据えて歩きました。

つまり。私ははじめて「残そう」と思ったのです。先にも申し上げました通り、私の極意は体で習い覚えたもの。ならば、現役である今のうちに、現場での一言一句、一挙一投足を、このノートに書き留めさせよう。それこそが私の集大成、受け継がれるべきものになる 大学ノートを用意したのは、そんな思いからでした。

あれから半月ほど経ちました。書き込みはまだわずかですが、しばらくは下拵えの時。新年から本腰を入れて取り組み、遠からず、ずっしりと重みを湛えた、受け継ぎがいのある一冊に仕上げたい・・・。そう考えると、度忘れを憂いていたのが嘘のよう。にわかに湧いた元気にまかせ「虎は死して皮を残す。通子は虎の巻を残す」などと、下手な戯言まで口ずさみだす始末。まったく。毎度変わらぬ単細胞ぶりには、周囲の者も、あきれるを通り越し感心するほかないという顔をしておりました。

けれども。物騒な世の有様に暗澹たる思いばかりがした二00一年。その闇を散じるものは、気の持ちようひとつで輝きだす、人の心が放つ光かもしれぬ・・・。そんなふうにも思うのですが、いかがお考えでしょうか。願わくば新年、皆様の胸のうちにも、日々を照らす強き光が宿りますように。そう祈りつつ本年をはじめさせていただきます。

今年もなにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

西川通子

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