弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2003年 夏号

オーナーシェフ

東京に行った時、立ち寄るのを楽しみにしているお店がございます。自由が丘のはずれにあるイタリア料理のお店なのですが。カウンターがメインでテーブルが二席という広さも程よければ、オープンキッチンになっていて、料理人の手さばきを目で楽しめるのも私好み。切り盛りする人は、お料理をつくるオーナーシェフとお手伝いをする奥様、配膳をする女性の三人のみ。いつお邪魔しても、変わらない家庭的な雰囲気の中で、とびきり美味しいイタリア料理を存分に楽しませてくださいます。

でも。初めて行った時はいささか驚きました。三人で三種類あるパスタを一つずつ注文し、取り分けて食べましょうよということに決まって、さっそくシェフにお願いしたのですが。返ってきた返事は「すみません。三ついっぺんは受けられないんです」。どうして?メニューに載っているじゃない!びっくりして聞いてみると、コンロが二口しかないから同時に二種類しかつくれません。どうしても一種類だけ後になってしまうんです。でも、それだと先の二種類が冷めてしまうでしょ。それじゃあ美味しく召し上がっていただけないから―

驚きながらも「これは凄い!」と思っておりました。そうか。このシェフは商いの前に、味でお客様にご満足いただくを一とする生粋の料理人なのね・・・。コンロの数などかまうことなく注文を受け、少々冷めても知らぬ顔。利をのみ追い求める今風の当たり前ならそうなのでしょう。しかし、料理人の良心に根差した「真っ当」ではかるなら、それは通らぬこと。熱きを熱いうちに召し上がっていただくことまでを料理として生きてこられたのですから、ごまかすことなど金輪際できるはずがないのです。

その後しばらくして。こんなこともございました。珍しく手の空いたシェフが、たまたま店にいた私に話しかけてきたのです。「もう少し歳をとったら、店の広さを今の半分にしたいんです。体力が落ちてくるだろうから、今の広さのままじゃ、とてもじゃないけど満足行くお料理をお出しできなくなると思うんですよ。かといって人任せにも絶対にできないですからね」。シェフの言葉を聞きながら、私は多分「うん、うん」とうなずいていたのではないでしょうか。首は振らずとも、胸の内でそうしていたように思います。

比べてお話するのは僭越ですが。私もこのシェフに似た心意気で商いをつづけてきたつもりでございます。これぞ!と思う商品だけを作り、これは!と見込んでくださったお客様にお買い上げいただく。末永くご満足いただくにはと考えるほど、頑なに本質を守り、質を高めることにこだわってまいりました。ドモホルンリンクル七点のみの商いに徹してきたのも、同じ理由から。私にできることなど知れている。ならば手広くすることは、薄く、浅く、細くすることにつながりかねない。同じ看板を掲げ粗雑な中身を商うことだけは絶対に我慢ができぬ。そう思いつづけてきたからでした。

間違いはなかった・・・。これからも私がすべきことは、商いを横に広げることじゃない。今の間口を守りながら、今以上に思いを込めて商いすること、今に優るご満足をお客様に感じていただくこと・・・。今もシェフの言葉を思い出すたび、改めて己の道を踏みしめている、そんな思いがいたします。この道を我が道と決めた初心を貫き歩みつづけていこう。そんな気持ちが強く、熱く、胸の内に湧き起こってくるのです。

東京の、小さな小さなお店のオーナーシェフにいただいた、大きな大きな勇気のお話でございました。

西川通子

2003年 春号

やったぜチクショウ!

いずれ後進に道を譲らんと、社員教育には人一倍努めてまいりました。

しかし優れた社員を多く育てるだけでは不充分。向かうべきへ正しく旗振る者なければ会社は一日として成らず。そんな思いから近頃は、私の意志を継ぎ会社を切り盛りしてくれる経営者の育成にも力を入れております。

折りにふれお話してまいりましたが。私には五人の子がおり、内三人は息子でございます。生前、主人がこんなことを申しておりました。「長男と三男は会社経営の道を行かせてよさそうだ。ただ、次男坊は…どうだろうな」。お見事。その予言通り、長男は卒業後程なく再春館製薬所へ入社いたしました。製品づくりからお客様対応まで、十年間ありとあらゆる現場仕事を手抜きせず勤め上げたのを見届け、経営の道へ踏み出すことを許したのは一昨年のことでございました。次男は親の稼業など存じませぬとばかりに、留学先へ留まり就職してしまいました。そして三男は昨年、私が営む警備会社へ入社し経営のいろはを学んでおります。見ぬふりで実は見抜いていたのかしら…。自然に運んだ成りゆきを振り返ると、今更ながら主人の眼力を見直す気持ちになるのでした。

そんな経緯から長男と三男を後継候補として鍛えているのですが。先日、三男の警備会社で打ち合わせをした時のことです。社員の提案を一通り聞き、ここはこうした方が…などと手直しの方法を授け、打ち合せをお開きにした後。自席に戻っていた三男が私の席に来てこう申しました。「先ほど指示された手直しの方法ですが、僕はこうした方がいいと思うんです…」。つづけて三男は、思いもしなかった新しい案を説明しだしました。 ふんふんと聞いていたのですが。説明も半ばを過ぎた頃になって、それが自分の指示より合理的な案だとわかってきました。その時。なんとも言えぬ複雑な思いに胸中が染まっていくのを感じました。

うれしいのです、まずは。親バカにつけ込むでなく、周囲をも納得させうる案で挑んできた。よくやった、よくぞ成長したという感慨が胸に広がりました。が、問題はその次。後を追ってくる気持ちがなんなのか。正体を知ろうと、ひとしきり噛み締めてみると、なにやら悔しさに似た気持ちの混ざった、複雑な味がいたしました。

自分だけに訪れた特別のことのように書きましたが。そうではないと、今はわかっております。子は親を乗り越え成長していくもの。子の成長はなににも増してうれしいもの。けれども、肩にさえ手の届かなかった子が、今や自分を追い越さんとしているを知ると、同じ土俵に立つ者の意地か、それとも己が過去の者にされつつあると感じるゆえか。一面の喜びに、なにか悔しい、認めたくないという気持ちが染み、複雑な味になるのは、時世を超え親たる者皆が感じてきた、いわば世の常なのでしょう。

話し終えた三男は黙って私の断を待っておりました。「そうね、あなたの言う通り。その方向で進みましょう」。冷静を保ち言いましたが、三男が去って行った後は、もういけません。"うれし悔し"の気持ちがかさを増し、いたたまれない気持ちに。「妙案だったようで。良かったですね!」。母たる私を思いやりそっとささやいた役員の言葉に、はしたないという気持ちもいずこ。思わず指をならすポオズをとって、低く小声で口走っておりました。「ありがと。やったぜチクショウ!そんな気分よ」。

西川通子

2003年 正月号

社員旅行

おかげさまで昨年の十一月、社員旅行へ行かせていただきました。

今年は総員を五つの班に分け、予算と日程の許す内でそれぞれが行き先を決めるという方法をとりました。盛りきりの定食より、自由に選べるアラカルトメニューの方が楽しみも増すのでは?と踏んだのです。しかし、五班の内の四班までが北海道に行きたいと口を揃え、一つ残った班が選んだのも北陸の古都金沢。思い思いに散らばるはずだった行き先が、見事北向きに揃ってしまったのを知った時は、北国に憧れる九州人の性が証明されたような気がして、ひとしきり苦笑を禁じえませんでした。

先陣を切った第一班に同行して金沢に行った時のことです。この地には、暮しの定番品として皆様にお贈りしている「油取り紙」の製造業者様がいらっしゃいます。本業は金沢伝統の金箔工芸品の製造・販売なのですが。そちらにお願いして、社員たちに金箔工芸品づくりを体験させていただきました。かすかな吐息でも舞い上ってしまう極薄の金箔を、散らさぬよう息をつめながら手元の皿にはりつけていくのは、わかっていても思い通りできない難しさ。なれぬ者にはことさら骨の折れる作業に見受けられました。それだけに、出来上がった皿はひときわ愛しく感じられるようで。自作にどっさりと手前味噌を盛り、いびつなあしらいまでを味と言いはり自賛しあっている所に出くわした時は、邪気のないその様に心和む思いがいたしました。

そんな楽しい一時が終わった後。一人二人の若い社員が、小走りに私のもとに駆け寄ってこう言いました。「西川社長!こんな素晴らしい旅行に連れてきてくださって、どうもありがとうございます」。予期せぬ直球を投げ込まれ、いささか面食らう思いが。けれども、気持ちが和らいでいたからでしょう。私も日頃からの思いを、素直に口にすることができました。「なに言ってるの。あなた達が頑張ってくれたから、私も旅行に来られたんじゃない。お礼を言うのは私の方。頑張って来年も私を旅行に連れて行ってね!」。

ほんのひとしきりの出来事でしたが、私の胸は、温かく心地好い思いで満たされていました。そしてこの気持ちを本来受け取るべき方々のことを、強く強く思っておりました。

強い思いの先にいらっしゃったのが、今これをお読みの皆様であることは申し上げるまでもございません。製品をつくり、それをお客様にご購入いただいた代金で生業をする、慰労の旅をする。改めて申し上げるのがはばかられるような、しごく当たり前のことなのですが。感謝の気持ちとは、すべての事を当たり前と思わぬ心から生じると固く信じております。そして。心底からの喜びを言葉にして告げる社員も、そんな言葉を受け幸せを感じた私も、等しくお客様の恩恵に浴しここに在るのだと思える心こそが、私の目指す、売り買いに終わらない商いの心なのです。私に礼を言いにきた社員が、それを心していたかどうか。あえて確かめることはいたしませんでした。未だそこまでは…と思ったからです。しかし。未だ至らぬからこそ、また巡ってきた一年を生きていく意味がある。今はそう考えております。

胸にお客様への感謝を抱き、顔の見えぬお電話を通じてでも、それをお伝えできる社員を育てるよう精進を重ねてまいります。旧年中はかわらぬご愛顧を賜り誠にありがとうございました。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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