弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2005年 秋号

ワイン作り

二十数年前、ワインで有名なフランスのボルドーを旅しました。亡き主人と行った初めての海外旅行。若さにまかせ精力的に動きまわる私に付き合い、心底疲れ果てたのでしょう。帰ってから主人に「もうお前とは旅行に行かん」と愛想を尽かされたことも、妙に愛しい思い出となって胸に浮かんでまいります。

この旅で私は衝撃的な体験をしました。それはワインを巡る人々の胸に宿った「ものづくりの心」との出会いでした。ワインは宝石に例えられることさえあるお酒、原料となる葡萄はさぞや手塩にかけて・・・と思い込んでおりました。ところが。実際目の当りにした葡萄づくりは、私の想像とはまったく異なったものでした。畑は雨の少ない乾燥地帯に位置していました。水やりを小まめにする必要が・・・と思ったのですが、現実はその逆。いかに日照りがつづこうとも、水やりをすることは決してしないというのです。なにゆえか?日照りに水をやらずおけば、葡萄の根は水を求め地中深く根を張り伸ばす。次の地層から次の地層へ。何層も越え地下に向かっていく間に、根は地層ごとに種類の異なる養分を吸い上げ、葡萄に複雑な旨味を授けていく。つまり、ワインになる葡萄づくりとは、天候や土壌など自然からの恵みと、葡萄の持てる力を信じ一切をまかせきること。
理由を聞きながらうーんと唸り、仕舞いまで聞いて、うん!と頷いておりました。その頃の私は、倒産会社だった再春館製薬所の経営を引き継いだばかり。ドモホルンリンクルが漢方理念に基づいた基礎化粧品と知っていても、これから先、どのように磨き育てていけばいいか方向を定めあぐねておりました。その方向が、ワインになる葡萄づくりの話によって定まったのでした。原料こそ命。自然の力をお肌の力とするドモホルンリンクルならば、自然の恵みをしっかりと授かった最高の原料のみを選りすぐりつくっていこう。それ以来私は一度も迷うことがありませんでした。
さらにもう一つ、心に残る出会いがございました。それは、ワインの醸造所でお会いした二人のおじいさんとの出会い。彼らは親子で、日本酒づくりでいう杜氏にあたる仕事をしていました。私が行った頃すでに、醸造過程のほとんどを最新の設備によって管理するワインづくりが主流になりつつありました。しかし、そんな中にあっても、頑として機械任せにしない仕事がありました。醸造の加減、仕上がりの塩梅。すべての段階で「程」を見極めることができるのは、やはり人の感性のみ。そして、代々ワインづくり一筋に生きてきたこの二人の感性こそが、機械には決して肩代わりできない、この地のワイン文化の肝心要として尊敬を集めていたのでした。
衛生面から考えれば最新設備は絶対に必要。しかし、自然の恵みを最大限に活かすワインは、人間の力をもってしか完成に導くことはできない。醸造所で働く二人の姿を見ながら、私は、「人が、人のために、人の手でつくる、思いのこもったものづくり」という自分自身の信念が、しかと裏づけられた気がしていました。

今、あるワインのことを考えております。そのワインとはボルドーを旅した際、亡き主人が買い求めたもの。私が「仕事が落ち着いてから」とコルクを抜かせなかったため、とうとう飲まずじまいのまま逝ってしまいました。そのワインたちが我が家のどこかに眠っております。これまでは「生きているうちに飲ませてあげれば」と思い出すたび後悔しきり。私もワインを嗜むようになったことだし、次の命日にはコルクを抜いてと思ったこともございました。けれども、これを書いている胸のうちには、やはり開けぬままにという思いがわいております。
このワインは飲まず眺めて楽しむワイン。そうすることで、主人との旅の思い出や、私のものづくりの原点の記憶が香りや味を増していくはず。そんな気がしてきたからです。

西川通子

2005年 夏号

きもの

私は着物が大好きです。でも、世にいう着道楽とはちょっとちがう類、と思っております。和服とは文字通り「普段着の付き合い」をつづけてまいりました。もちろん社の代表として立つ時は、それなりのものを身に付けます。けれども、そのような”取って置き“は箪笥のほんの一部を占めるに過ぎず。残り大半は、楽しみながら手をかけ、長年にわたり着つづけてきたものばかりです。

例えば、と言ってお見せできないのが残念ですが。今日の着物は三十五年前、さほど財布を痛めず手に入れ、染め直して着ているもの。帯の方は、古着屋さんから六千円で買い求めた古典柄の袋帯を、自分で半幅に直し締めております。

時間を見付けては気に入りを探し歩いたおかげ、と言っていいのか。近頃はあちこちの古着屋さんからダイレクトメールが届くようにもなりました(苦笑)。買うだけでなく、生きていれば九十九になる亡き母が、嫁入り道具として持参した帯を形見に譲り受け、やはり自分で仕立て直し近頃よく締めております。

若い頃はとにかく、目立つものを着たいと思っておりました。雲一つない五月であれば、空の色に負けぬ青を。長雨の六月最中には、気分を晴らす華やかな出で立ちを。まるで自然と競うかのように、派手な装いを選んでおりました。

しかし、年齢を重ねるにつれ、派手好みも納まるところに納まっていったようで。近頃はと言えば、夏はすっきり涼しげなカラー、秋は温かなオータムカラー・・・という具合に、四季の移ろいにとけ込む装いを好むようになっております。

ちょっとばかり事情もあるのです。染め直しできるところも着物の魅力。染め見本を眺めつつ、次はどの色に・・・と迷うのも楽しければ、これと決めた通りの色に仕上がった時の嬉しさは格別のものがございます。ただ、いくら色抜きをしても純白に戻る、ということはありませんので、仕上がりはどうしても元より濃い色になります、そして。私の持つ着物の大半は、染め直しをした年季ものばかり。ですから、鮮やかに・・・と思っても、目の冴えるほどのものを選ぶことなどできず、比較的明るいもの見繕う・・・というところに落ち着くことになるのです。

最近はラクに着るための工夫もあれこれ試しております。洋装のゆったり下着に裾よけを縫いつけたり、子どもの着物にヒントを得て、半襦袢に紐をつけたり。こうすれば、裾よけや襦袢の紐が減った分、締めつけがなくなり着心地がぐっとラクになります。もちろんそんな成功例は数少なく、これはダメ・・・とお払い箱行きの工夫が大半以上ですが。それにめげず、思いつくまま試してみて、良いと思ったものだけを集めていく。そんなことが楽しくて仕方ないのです。

「贅を尽くし着飾る」ことも着物の醍醐味なのでしょう。しかし私の性分には「工夫を凝らし着こなす」がぴったりのよう。働きづめでまいりましたゆえ、買えない、ということはございません。けれども、買って済ませる、では、甲斐も満足もありませぬ。知恵を使い時間をかけて、お金をかけた以上の満足を得るのが、着物のみならず万事に及ぶ私流。とにかく楽しいのです。この色に染め直して、あの帯を合わせて・・・。そんなふうに思い巡らし工夫を重ねていくことが

喜んだり、感動したり、満足したり。生きてきてよかったという思いを一つでも多く味わい、人生を楽しく過ごすには、お金頼みや人任せより、自分で工夫するが一番。年を重ねるごとに、そんな思いが強くなってまいりました。これからは、これまで以上にあれこれ試して、私流の生きこなしを楽しんでいこう。改めてそんなふうに考えるだけで、なにやらうれしい気持ちがしてくるから不思議。

人生まだまだ。お楽しみはこれからも、ということですわね。

西川通子

2005年 春号

恩返し

突然ですが、私、“経営の第一線”に返り咲こうかと思っております・・・

などと書くと、この欄をお読みの皆様は「やはり生来のでしゃばりは抑えきれなかったか」とお嘆きになるやもしれませぬ。ご安心くださいませ、そうではないのです。

古くより市民の足として親しまれてきた熊本のバス会社が経営不振に陥りました。現在、産業再生機構の預かりとなって再建の引き受け手を探しているのですが。地元の商工会議所のお力添えを得て、その役に立候補しているのです。

きれい事を申し上げるつもりはございません。しかし、今度ばかりは腹のどこを探っても野心のかけらにさえあたらず、ふれるものといえば、ただただ使命感ばかり。そして「この仕事はここに生まれ育った者にしかできない」という思いを強く育てているのは、熊本を思うたび胸中にあふれだす感謝の気持ちなのでした。

三十五年前、この地に亡き主人とともに警備会社を旗揚げしました。実績も経験もなく、持ち合わせていたものは、この仕事をまっとうして地元の皆様に「なくてはならない会社」と認めてもらいたいという一念のみ。社名は九州警備でしたが心はいつも熊本警備でした。当初は足を棒にしても一件の契約すらいただけぬ日々。それでも初心に従い愚直に前を向きつづけました。ようやく実りを得たのは、すべて売り尽くし「もう駄目だ」と覚悟を決めたどん底の十年目。少しずつ増えていったお客様のおかげで、帳簿に初めて黒字を書き込むことができたのです。
それからしばらく後のことでした。主人を通じ、倒産した地元企業の再建話が舞い込みました。「通信販売による全国展開の商い」に魅力を感じた私は「賭けてみたい」と強く思いました。その会社こそが今日皆様との縁を結ばせてくれた再春館製薬所なのです。今、再春館製薬所は多くの会員様を得て無事生業ができております。しかし、経営者としての第一歩を踏み出した私を鍛え、励まし、今日につづく土台を築かせてくださったのは、まぎれもなく地元熊本の皆様なのでした。

十年前、主人が逝った年、九州警備に社員教育の不行き届きがあり四日間の業務停止処分を受けました。信用第一の警備会社が業務停止を受ければ、解約が相次ぎ即倒産が当たり前。それなのに、当時約四000件あったお客様の中から解約を申し出られたのは、わずか一件だけでした。あの時も見捨てることなく、今日どこに出しても恥ずかしくない会社へと成長するきっかけを与えてくださった・・・。晩節にかかるにつれ、そうした一つひとつの賜り物の得難さがひとしお身にしみるようになっておりました。そんな時だったのです、先のバス会社のお話に出会ったのは。

バスは熊本の地域を結ぶ血脈。例えば経済性のみ重んずる方が引き受ければ不採算路線をばっさり・・・ということもあるでしょう。しかし、この地に育った私には、そんな余所事は到底できませぬ。赤字路線でも必要とする方々がいるならば、それは熊本にとって欠くべからざるものであり、なんとか遣り繰りして活かすのが道。つまり私の再建は「熊本の皆様に喜んでいただくこと」が一であり、それさえ成ればさっさと退いて、ただの出しゃばり、やかまし者に戻りたいと思っております。

近頃、再春館製薬所の厨房に立つことが増えました。「美味しかったです!と喜ばれる料理をつくりましょうね。それが喜びだし、誇りですもの」。スタッフにそう言い聞かせるたび、ふつふつと湧いてくる思いを感じます。喜ばれることが喜び、それは経営も同じ。産業再生機構より晴れて再建の命を得た暁には、必ずや乗客の皆様から「ありがとう!ご苦労様!」という言葉をいただくバス会社に育てあげてみせるーそう思うだけで総身に生の実感がみなぎってくるのです。

皆様より賜った教えを胸に抱き、ただ真っ直ぐにまいります。ぜひ、齢六十を越え生涯の恩返しに起つ婆に、今一度思いをお寄せくださいませ。

西川通子

2005年 正月号

七五三

昨年のことですが。孫の七五三祝いをいたしました。

つい昨日生まれたばかりだと思っていたのに・・・。よくぞここまで無事に元気に育ったもの。ここはひとつ、しっかりとめかし込みお宮参りに馳せ参じて「おばあちゃんキレイ」と喜ばせてやるべし!そうと決まれば、まずは着物選びから。嫁に見立ての手伝いを頼み、どの着物か、この帯かと大騒ぎしたあげく、やっと一組に決め込んで、行きつけの美容院に着付けを頼む電話を入れました。

孫の七五三だからいつもより特別にね・・・。嬉々として話す私に、電話の向こうからハテナマークが返ってまいりました。「なんで会長がそんなに張り切ってるんですか?」。なんでって、あなた。孫の七五三だからに決まってるじゃない!次に返ってきたのは、あきれたような顔をした言葉。「それならまずお母さんの方でしょ、おめかしするのは」。そうか、そうよね・・・。

そうなのでした。いかに自由形の世の中と言え、七五三の主役を張るは一に孫、次いで母たる嫁。婆などは普通、記念写真の脇を固める程度で当たり前なのでした。

なんでいつもこうなのか・・・。一向に納まらぬ出しゃばり、出たがり、先走りの性分にまたしても正面衝突し、いささかならずシュンとしていたところ。まるで追い討ちをかけるかのように、頭の中の赤い恥日記が、ふいにぺらっとめくれました。

二十数年前、主人がまだ元気で子供たちも小さかった頃のこと。知り合いから頼み事をされました。熊本でプロ野球の巨人戦がある。ついては西川さん、花束贈呈をやってくれないか?当時の巨人軍には、熊本出身で”史上最強の五番打者“の誉れ高かった柳田選手がおりました。主人は柳田選手の高校の先輩にあたるのですが。そのよしみでぜひ・・・というお話だったのです。無論引き受ける気は満々でした。けれど、即座に二つ返事は物欲しそう。私なんかより、もっと若くてきれいな方がいいんじゃないかしら・・・。我ながら慎み深いと思いつつ言った、その時でした。主人があきれたようにこう言ったのです。「お前じゃなかたい。子供たちにたい」。

もし、今も主人が生きていれば、脇役ですらない分際で七五三の主役を喰わんと意気込む私を、同じようにたしなめたことでしょう。あなたは私の世間体を保つ防波堤でもあったのね・・・。そんなふうにありがたがられて、なにほどもうれしくないでしょうが。相も変わらずブレーキの利かぬ身を走らせ、あとどれほどの恥をさらすのか。そう考えると、性分と割り切っていたものが、手の届かぬ背中で起きる突然の痒みのように、なんともうっとうしく思えてくるのでした。

結局、七五三のお宮参りには同行せず。済ませて戻ってきた長男一家と、嫁のご両親とで祝いの膳を囲みました。大騒ぎにつきあわせた嫁に、私は行かないから・・・と告げた時。返ってきた「どうしたんですか?」の言葉の中に、心配と並び胸をなでおろす姿が立っているを見て、私もほっとする思いがいたしました。

のちの者に一つでも多く笑い話を残す。それくらいのつもりで行くしかなかろう・・・。何度目の開き直りかはわかりかねますが。今は、落ち着くところに落ち着いたかのごとく、己を受け入れる心で過ごしております。だって。どうあがいても仕方ない。社長を退くことはできても、西川通子を退くわけには一生涯いきませんもの。

閑話休題
七五三縄と書いて「しめなわ」と読むことを知りました。中国で七、五、三は陽気を帯びた縁起のよい奇数とされてきたとか。子の成長を祝う節目に冠ぜられているを見ても、良き縁起を呼ぶことは間違いありませぬ。願わくば、駄文のそこここにある七五三の一つでもが、皆様の新年を肥やす吉に成りかわりますように。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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