弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2006年 秋号

真っ当なもの

先日、知り合いからお招きをいただき和食屋さんのカウンターに座りました。お店の名前は「さくら」。桜好きの私はそれだけでうれしい気持ちになったのですが。それはこのお店がくださるうれしさの”ほんのさわり“でございました。
小ぢんまりとしたお店を切り盛りしているのは板前のご主人と奥様のご夫婦お二人。なんでもご主人は私の亡き夫とご縁があったらしく。お世話になりました…というお言葉に生前の面影がちらと映る思いがし、またうれしくなりました。

お料理もまた、うれしさがいや増すものばかり。お招きくださった方が前もって知らせてくれていたのでしょう。頃合い良く出される旬の野菜料理を口に運ぶたび、ご主人の腕前やただならぬの感が伝わってまいりました。こうなれば、もうおさえはききませぬ。がつがつ音がしそうな勢いで食べ進みながら、お味の魔法を知りたい一心で、一皿ごと下拵えや味付けの仕方をいちいち聞いてしまいました。
さらに。すごい!と感服したのが、奥様のふるまい方、あしらいの仕方。一見、ご主人の手伝いをしているだけに見えるのですが。よく見ると、お料理の先が読めている、場の空気が読めている、不調法極まりない私のような客の気持ちさえ推し量れている。つまり、格別なにもしていないように見えるのは、常に次を読み先回りしているからこそ、なのでした。

万事心得ていらっしゃるのね、気持ちがいいわ…。私がかけた言葉に、なにもできませんから…と、奥床しいお返事が返ってきました。気配りのできる方は皆そう…と言いかけたとき、カウンター越しにご主人が思わぬことを教えてくださいました。「実は、西川さんが来られる前に話したんですよ…」。やはり、お招きくださった方が知らせてくれていたのでしょう。”西川って人は、食通じゃないけどウルサイ人なんだ“。それを聞いてご主人は奥様に”いつも通りのでいいな“とお話されたとか。「そしたら言うんですよ。いつも通りしかないじゃない、って…」。
聞きながら私は、今日味わったなかでいちばんのうれしさを感じておりました。
“いつも通りでいい”という言葉には、日々すべてのお客様に、怠りなく精一杯を差し上げているというお二人の自負と誇りが、しかと映っていました。私の感じたうれしさは、久方ぶりに「真っ当なもの」と出会えた喜びにほかなりませんでした。

帰り道、今度はいつこのお店に来ようか、誰を連れてこようかと、知らず考えておりました。すると、先ほどのうれしさが、ふっとまた香ってくるような気がして。なんとも、なんとも後味の良い、名残りの夏の一日宵のお話でございました。
 さて。その日いただいた献立のなかから、私がいちばん感心した「枝豆のおひたし」の作り方を、しつこく聞いてメモしてきました。最後にちょっとご紹介。

●鰹節と昆布でとった出汁に、薄口醤油、お酒、みりんを加えて、もう一度煮立たせたあと冷やしておきます ●枝豆一袋をすり鉢かボールに入れ、一掴みの塩でゴシゴシ揉みます、これは表面の毛や汚れを落とすため ●三分ほど揉んだら塩がついたまま熱湯でゆでます、時間は一?二分、ゆで加減は固め ●ゆで上がった枝豆の両端を切って、最初に準備した出汁にひたせばできあがりー

お出汁さえ程よく仕上げれば、水菜だろうがほうれん草だろうが、ゆがいてひたすだけで美味しくなるとか。「鰹節と醤油をかけてっていうのが今の当たり前なんでしょうが、本来は出汁にひたすから”おひたし“と言ったわけで…」。一つひとつの仕事をていねいにすればお家でも美味しくできます、とはご主人の弁。私は、枝豆のさやに残った美味しいお出汁をちゅうちゅう吸いながら、へぇーと感心いたしておりましたが、さて皆様は?よろしければこしらえてみて、ぜひお召し上がりくださいませ。

西川通子

2006年 夏号

三人目

うれしや。この夏、長男が三人目の子を授かることとなりました。
予定日は七月の初旬、初旬といえば五日は私の誕生日。「幼稚園の送り迎えもしっかりやるから、入院中の孫の世話は安心してまかせてね。元気な子を、ぜひ私の誕生日に産んでちょうだい!」。子どもの世話は実家の母に…そんな嫁の申し出をさえぎるように口走ってすぐ“しまった!”と思いました。うれしさあまっての軽口とはいえ、誕生日を揃えろだなんて。嫁にしてみれば、小さくつくり笑いするが精一杯だったことでしょう。

どうしてこうも勢いまかせに過ぎるのか。幾万回目かも知れぬ後悔が胸に広がりましたが、「昨日今日の付き合いでなし。姑の先天性無礼症など彼女は先刻ご承知のはず」と高を括る気持ちがそれをサッと掃き集め。ついには「元気な子を産んでもらえるよう孫の面倒をしっかりせねば!」と、いつの間にやら、いつものような前向きに返っておりました。しかし。己が掘った浅はかという落とし穴はここばかりでなく、まだ先にもありました。すっかり忘れていたのです。本当に助けが必要なのは入院中の一週間よりむしろ、産んで帰ってきてからということを。一人目、二人目のときを思い出せば、すぐに気がつくはずでした。どうしよう!?孫と過ごすのは楽しみだけど、そこに産まれたばかりの子どもと、産んだばかりの嫁の世話が重なったら。仕事だってあるし、いくら私でも…。

私は心密かに悪巧みまでしていたのです。いかに目に入れ可愛がっても、孫が選ぶはやはり一にお母さん。勝とうとまでは思いませんが、入院中を利用して濃厚サービスに努め、今の一割か二割増しの”おばあちゃん子“にしてやろう けれども、産後のことに思い至ってからは、そんな悠長な考えは消し飛んでしまいました。

「孫は来てよし帰ってよし」などと申します。孫が遊びに来るはうれしい。でも、その元気を喜んでいるうち次第に疲れはて、帰るという日はほっとした気持ちに…。そんな思いをしたことはまだありませんが。産中も産後もとなると、そんな心境となるに必要な時間の、ゆうに数倍は孫と過ごすことになります。あわてて東京に住む娘に「なんでも買ってあげるから、甥と姪の世話をする私を手伝いに、しばらく帰ってきなさい!」と命令とも哀願ともつかぬ電話を入れましたが、さてお聞き届けいただけるや否や。今はなんとか色よいお返事がいただけますようにと、祈るような心境で過ごしております。

閑話休題
私は三十前後の十年ほどの間に五人の子を授かりました。お産は近所の病院でしましたが、思うように立ち行かぬ警備会社の仕事が気になって、気になって。産後はすぐに自宅へ帰り、出社こそせぬものの、リビングルームを臨時の事務所にして、さっそく仕事に復帰しておりました。
翻って長男の嫁を思うと、私とは正反対。仕事を辞めて嫁ぎ、母、妻、嫁に徹する姿を目にしていると、彼女の願う幸せは私とはちがうとわかってまいります。

それをかなえるのは、まぎれもなく長男のすべきことですが。我が家に孫という宝を授けてくれる彼女を思うと、そのひたむきさがなんとも愛しくなって。私も彼女の幸せのために、できる限りを尽くそう。例えば外で「お姑さんってどんな人?」と聞かれた時、無礼な人と言われていい、粗忽者、不調法者と言われてもいい。せめて最後に「でも、根は優しい人なのよ」と付け加えてもらえるくらいには、彼女に愛されるよう努めようと、知らず思っているのでした。

西川通子

2006年 春号

お食事づくり

これまでのどの春よりも、待ち遠しかった春がやってまいりました。
先に、病院の仕事はじめに庭木を整え・・・とお話しいたしましたが。自分のした手入れが、どんな葉となり花となるか早く見届けたいと思っておりました。

これからの春、夏、秋が、一生懸命植え育てたご褒美をくれるのか、“もっとがんばりましょう”の並ぶ通信簿となるのかは、正直五分五分だと思っております。しかしながら、数十本植えた桜のつぼみは満点の花咲く期待たっぷりにふくらんで、なんとも嬉しいかぎり。もうすぐ満開の下でお花見が・・・。そう思うだけで、夢のあらかたがかなった気さえしてくるのは、永世お調子者の面目躍如、といったところでしょうか。

私の働く病院は高齢者の療養と介護を専門としており、患者様の平均年齢は八十五歳を超えております。引き継ぐと決めた理由の一つが、実はそこにありました。
戦前、戦中、戦後の激動を越えて高度成長を招来し、今につづく豊かな時代の礎を築かれたこの世代の方々に対して、私は常々深い感謝と尊敬とを抱いてまいりました。今を生きる者すべての恩人と言って過言ではない方々に、人生の幸福をご実感いただき、やすらぎと喜びに満ちた日々をお過ごしいただきたい。この仕事を受ければ、敬愛やまぬ人生の先輩方に、なにかしらしてさしあげることができるのでは・・・。
綺麗事に過ぎる、と思われるかもしれませんが。引き継ぐや否やに迷っていた私の背を強く押してくれたのが、「恩返し」の思いだったと申し上げて今も恥ずるところはございません。その思いは、私自身がここまで生きてきたからこそ抱くことができた、残りの生を残りかすに終わらせぬ意味を与えてくれるものだったと思っております。

今私が精を出しているのは患者様のお食事づくりです。毎日赤いたすき掛けで気合いを入れ厨房へと出向いております。だからといって、特別なことをするわけではございません。重湯、お粥、やわらかめ。ご飯だけでも数種類、おかずを入れれば数十に及ぶお料理を仕上げ、熱いものは熱く、冷たいものは冷たくしてお召し上がりいただく。まずは基本中の基本である、この心がけを徹底させんと努めております。
病院食が味気ないは、もっぱらの定説。確かに病状や体調に合わせるを優先し、味は二の次にせねばならぬ場合もございます。しかし、それとともに美味しく食べていただきたいという思いや気遣いまでなくす必要はないと思うのです。お料理を程よい熱さ冷たさで供する心は、なににも勝る調味料。味付けは控えめ、食材にも自由が利かぬならば、その分気遣いを余計に盛ってお喜びいただこう。そんな思いから、日々、出来立てを冷まさずお届けするには・・・と思い巡らせ工夫を重ね過ごしております。

恩返しなどと言っても、私のできるそれはこの程度。けれども、がっかりしているのでは決してありません。逆に、この程度の当たり前に精魂を込められることに、この上ない幸せとやりがいとを感じております。私は、信じているのです。毎日三度のお食事を病院で召し上がる患者様は、熱いお料理、冷たいお料理に込めた私たちの思いに程なくお気づきになって、きっと温かく感じてくださるにちがいない。まるで、桜の花が開く日のように、その日の一日も早い訪れを、心待ちしているのです。

さて。月日の経つのは早いもの。ここ三年半の間に書き綴ってきたお勝手口が薄く積もって二冊目の本となりました。読み返した後の恥ずかしさは一冊目を超えておりましたが、えいやっ!と開き直り、今回もご希望のお客様にお贈りさせていただくことといたしました。お申し込みの節はくれぐれも期待だけは抱かぬよう、よろしく、よろしくお願い申し上げます。

西川通子

2006年 正月号

新しい仕事

残念。バス会社のお話、ダメでした。
春に申し上げた通り、古くから地元の足を担ってきたバス会社の再建役に手を挙げていたのですが。選ばれたのは私どもでなく、東京に本社を置く旅行会社の方。応援してくださった皆様には、私の不徳の致すところとお詫び申し上げるより他なく。しばらくはガッカリした気持ちを胸に過ごしておりました。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。落選の報に相前後して、やはり地元で有名な療養型の高齢者専門病院より私に「たってのお願いが」という連絡が入りました。一代で病院を築き支えてきた理事長先生が、寄る年波と持病のせいで経営をつづける気力を失いつつある。一日も早く後継を見つけ後を託したいが適任が見つからず、さりとて施設の性質上、財のみで心無き者に譲るわけにもいかない。ついては西川さん、ぜひ理事長の意を汲んで、この病院を引き受けてはくれまいかー。

正直驚きました、商い一筋の私に病院なんて。すると、ふいに亡き主人の声が聞こえてくるような気が。「バス会社の再建はとにかく大変だ。選ばれなかったことを喜びなさい。病院の仕事はきっとお前の新しい生きがいになるよ」。本当に天の主人よりのものか、それとも、胸の奥深くに湧いていた「手がけてみたい」という本心の表れだったのかは、今も定かではありませんが。いずれにしても、その声のおかげで決心が固まり、私は病院のお話を引き受けました。それからの六カ月は、まさに矢の如く流れ、気が付くと、無理と思った病院経営を天職とまで感じるようになっておりました。病院は熊本の中心地より車で三十分ほどの郊外にあります。敷地内には鬱蒼と木々が茂り、いささかならず暗く閉じた雰囲気をたたえておりました。私はまず木々を整理して、あふれる光を招き入れました。花壇をつくり、患者様やご家族様、近隣の皆様が、四季の彩りを愛でつつ歩ける散策路も設けました。また、厨房や保育園などにも手直しやり直しを加え働きやすい環境づくりに努めました。

ご承知の通り、人に喜ばれることを無上の喜びと感じるたち。明るくなりましたね、きれいになりましたね、働きやすくなりましたね・・・そんな言葉をいただくたび、胸中に喜びがあふれ、あふれた分「もっともっと」と喜ばれそうなことを探し実行する。まるで日暮れも忘れ遊びに熱中する子のように過ごしたこの半年は、忘れかけていたいろいろなものを思い出させてくれた、とても得がたい時間でした。

私の思い描く病院の理想像は笑顔の絶えない明るい病院。患者様に信頼され、地域の皆様に愛され、地元の誇りとされる病院。この半年では道半ばどころか、そこへ至る一歩さえ踏み出せていないかも知れませぬ。けれども、その道のりの長さが今はとてもうれしく感じられるのです。せねばならぬ山ほどのことを、重荷でなく生きがいと感ずることができている。還暦を過ぎてなお熱い思いを抱き過ごせることを、今の私はなににも勝る幸せと感じております。そんなわけで。病院の仕事に就いてからは、日に日に再春館製薬所に出向くことが少なくなっております。皆様のご愛顧のおかげあって業績も堅調とのこと。ならば無理をして出向きでしゃばって、後悔の種を蒔くこともなかろうと、妙にものわかりの良い風をして、せっせと「病院通い」をつづけております。しかしながら、やはり私の根は再春館製薬所、ドモホルンリンクル。遠ざかるよう見えるのは、幹が伸び枝葉が茂ったゆえでございます。願わくばこれからもこの駄文を書き連ねるをお許しいただき、皆様と同じ木にあることを感じつづけていきたい。年の瀬を前に久方ぶりの筆を運びつつ、そう思っておりました。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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