弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2007年 秋号

できる限り

熊本に随兵寒合(ずいびょうがんや)という言葉がございます。随兵とは、九月半ばに行われる藤崎八旛宮の大祭のこと。
熊本ではこの頃を境に朝夕がぐっと涼しくなり、秋の訪れを肌で感じられるようになります。しばらく前までは衣替えをこの時季と決めて、まずまちがいありませんでした。しかし、今年ばかりはもういけません。九月の声を聞いても、暑さは衰えを見せず。あと一週間ほどで随兵寒合が…とは、とても思えないのです。

天草牛深の海水温が上昇しているとか、阿蘇の草原が危ないとか。ここのところ耳にする地元のニュースは、自然破壊を報ずるものばかり。聞くたび胸に“ちくっ”としたものを感じておりました。それを“ずきっ”とした痛みにまでしたのが、この夏の尋常ならざる暑さと、その最中に聞いた有明海の赤潮被害の報せでした。

昔から熊本の幸の第一は海山の幸。農業、漁業、畜産業など、自然の恵みを授かり育むなりわいこそ、熊本の“大黒柱”と、ずっと信じてまいりました。自然が壊されていくということは、すなわちその柱が揺らぐことを意味します。さらに進むにまかせれば、倒れてしまう日さえ来るでしょう。

これまでも“自然のくるい”について書いてまいりました。できることから一つずつ…そう唱えては、良いと思ったことを積み重ねてまいりました。しかし、それを嘲笑うかのごとく、自然からの悲報は日々厚みを増す一方。“できること”では足りない。“できる限り”を尽くさねば、もう間に合わない!どうすればいいのか、なんとかせねば…胸のうちではそんな思いが、日に日に大きくふくらんでおりました。

そんなある日のこと。久しぶりにつむぎ商館にまいりました。ヒルトップの木々草花は、まさに我が子のごとく丹精してきたもの。けれどもつむぎ商館はといえば、社長と社員たちにまかせっきり。建設中の報告を受けても、あなたたちが働く場所だから…と、ほとんど聞き流しておりました。

改めてというわけではございませんが、眺め歩いて驚きました。思いつく限りのところに、太陽光を電気に換えるソーラーパネルが付けられておりました。天井には自然光を受け入れる窓が設けられ、照明を節約できるようになっておりました。自然の風を利用して空調をする窓、製品づくりに使った水で洗うトイレ…およそ考え得るすべての箇所に、無駄を省き自然への負荷を下げる工夫が施されていることに、このときまで私は気づいておりませんでした。できることから!と教えてきた相手が、私の“できること”を超えた“できる限り”を実践している。それを目の当たりにしながら、またしても“やったぜチクショウ!” の思いを胸で噛みしめておりました。

それから数日経った今は、こう思っております。つむぎ商館で社長や社員たちがしたことは、いわば私の蒔いた種から育ったもの。その実りが新たな種となって、今度は私の胸に蒔かれたのだ、と。

私の性分をよくご存知の皆様には、言い訳、負け惜しみに聞こえるやもしれませんが。こればかりはそうではございません。誰が誰に教えようとも、教えられようとも、いい。風に舞う種のように、誰彼なく人の胸から胸へ広がっていけば、それでいい。なぜならば、自然の明日と真剣に取り組むことは、誰がしてもいいこと。そして、今日に生きる誰もが、せねばならないことなのですから。

西川通子

2007年 夏号

西瓜

先だって亡き主人の十三回忌をいたしました。仏前に供えた西瓜を見ながら、一人思っておりました。あの人は、ほんとうに西瓜の好きな人だった…。

主人とは一卵性夫婦、そんなことを臆面もなく書いたこともありました。実際、生き方の太いところはとても似ておりました。けれども、細かいところはまた別で。見るもの食べるもの、ことごとく好みは合わぬが常。数少ない“相通ずるもの”のひとつが西瓜でした。生前は毎日のように西瓜を切り、瑞々しい甘みを楽しんでおりました。それは夏の盛りでなく、四月から六月にかけての頃でした。

思いは主人の生前から自分の子どもの頃へさかのぼりました。私が育った熊本の田舎では、盆と言えば七月盆のこと。仏前には、その年一番生りの西瓜が供えられました。そしてお風呂場の五右衛門風呂のなかには、お供えの連れに母が買い求めた西瓜が二つ三つ、ぷかぷかと浮かんでおりました。法師様の読経は退屈極まりないものでしたが。これさえやり過ごせば、あの西瓜にかぶりつける。そう思い正座をくずさぬよう努めました。終って食べた西瓜はいつも、我慢したかいがあったと思える味をしておりました。夏の真っ盛り、七月も半ばの頃でした。

十三回忌の今にかえり、あらためて仏前の西瓜に目をやり思いました。子どもの頃に食べた西瓜は、どれも露地ものだったのよね…。主人と連れ添った頃、すでに熊本の西瓜の食べ頃は、いわゆる旬を外れ、四月から六月頃になっており。ほとんどの西瓜はハウスのなかで、素早く育てられるが当たり前になっておりました。

昔食べた露地ものだけが美味しい西瓜、などと言い張る気は毛頭ございません。現に今もハウスものを食べ、昔かわらぬ舌鼓を打っているのですから。ただ、なんとなく、いつも胸のどこかには、味気ないような思いが少なからず残ってしまいます。

どの果物もお野菜も、いつでも口にできるようになりました。全国各地の名産品を、どこに居ても取り寄せられるようになりました。時代とともに広がった“いつでも、どこでも”は、最初のうちこそ珍しく、うれしい気持ちを味わわせてくれました。しかし、すべてがそうなった今は、味気ない当たり前になってしまった部分が多いような気がいたします。

大切なのは度合い程合いではないでしょうか。旬の味は旬に味わい、土地の味は、その土地におもむき楽しむ。“いつでも、どこでも”に頼りっきりになる度を慎んで、程をわきまえさえすれば、今より暮らしは味を増し、香りもよく立ちのぼるような気が、私にはしてなりません。

主人にも、ちょっと聞いてみました。命日になくても、怒らないでしょ。これからはお盆に、私が子どもの頃食べたような西瓜を供えるから、それで喜んでくれるでしょ…。

うん、と返ってきたような。そんな気がしてうれしくなりました。しかし、それもつかの間。今の熊本でお盆の時季に、露地ものの良い西瓜を探しきれるかしら…。

ほっ…。ひとつため息をつきました。それで気が、少し楽になりました。 今はまだ六月だし、一ヵ月あれば大丈夫、探しきれるわ。自分と同じ思いの人が、きっといるにちがいない…。もう一度、五月の西瓜に目をやりながら、胸のうちで、そう思っておりました。

西川通子

2007年 春号

花暦

今年も私の大好きな桜の季節がめぐってまいります。ただし今年に限っては、これをお読みのころにはもう、満開の盛りを過ぎているやもしれませぬが。

一昨年、ひきうけた病院に桜の名をつけ、庭にはヒルトップからはこんだ桜木を植え。つぎの春には、それが見事に咲きそろい、ふだんは出不精な患者様までが、こぞってお出ましになられました。「来年もまたこんなふうにお花を楽しみたいものね」。花を見上げながら患者様が口にされたお言葉は、とてもうれしく、なによりの励みと感じられました。美しい四季のあるこの国に生まれてよかった…そんな気持ちが、知らず胸にわいておりました。

草花の色に季節の訪れを知らされることは、私にとってごく当たり前のこと。折々に変わる色を見つけ愛でることは、小さくてもかけがえのない喜びでした。しかしながら近ごろ、自然なはずの四季のめぐりが、どうも“不自然になっている”と感じられてしかたないのです。

きっかけはヒルトップに植えた木や草や花の様子。私のだんどり通り事が運べば、まずお正月明けには、赤い山茶花(さざんか)と椿が花咲き、次いで梅の芳しい香り、辛夷(こぶし)の白い花へとつづきます。連翹(れんぎょう)の黄、雪柳の白、ほお紅のような桃のあとには、いよいよ真打ちの桜花。そのころからは灯台躑躅(どうだんつつじ)も咲きはじめ、ヒルトップの野はまさに百花繚乱の春へと向かいます。

もちろん春のみならず。梅雨に紫陽花(あじさい)、夏には百日紅(さるすべり)、そして秋には紅葉(もみじ)と櫨(はぜ)が丘を真っ赤に染めて色づく。それを背景に雛を飾り、鯉のぼりを揚げれば、社員たちも、よくぞ日本に生まれけりの思いを感じてくれるはず…と皮算用していたのですが、昨年から今年にかけては、そのだんどりがくるってしまったのです。

くるわせたのは社員でなく、なんと自然のほう。昨年は十月すぎになっても紅葉や櫨が色づかず丘が赤くもえませんでした。年明けの花は、まあいつも通り咲いたのですが。二月は寒くなりきれず、気がつくと三月の花が咲きはじめているありさま。暖冬と耳にしておりましたが、問題は冬のみならず。まちがいなく四季のめぐりがズレているというか。これまで多少のくるいはあっても、ここまでのことは、ちょっと記憶にございませんでした。

やっぱりそうか…いよいよきたか…。日本は年々亜熱帯化している…とか、今世紀末には東京が沖縄の気候になる…とか。それがどういうことか、にわかに想像できませんが、とても不安な気持ちになるお話を見聞きするたび、地球の温暖化は、私たちが思っているより足ばやに、深刻の度を増していることを感じてまいりました。また、温暖化についての記事や本を読むたびに、慣れ親しんできた日本の四季、自然が織り成すこまやかな情趣を残すことは、もはや夢のまた夢になりつつあることを、あらためて思い知らされてもおりました。

憂いてもしかたないこと、できることから一つずつ…。自然や地球のくるいを感じたときは、いつもそう思い前をむいてまいりましたが、温暖化の影響がこうも身近に感じられてくると、そればかりではすまず。「できること」も「一つずつ」も、今までと同じでなく、今まで以上を目指さねばという思いが、胸に強くわいてまいりました。

なにを、どんなふうにということは、いまだ思案中でございますが。春は花、夏は青、秋は紅を愛でて過ごせる日を、一日でも長らえるためになら相当のことができる…。

いつもならやっかいに思う、雛祭り前の寒のもどりに、ほっとするような気持ちを覚えながら、そんなふうに思っておりました。

西川通子

2007年 お正月号

お引っ越し

今年、再春館製薬所は住み慣れた熊本市内を離れ、再春館ヒルトップへと引っ越しをいたしました。

私には長いこと思い描きつづけた夢がございました。それは「まさかこんなところに…」と驚かれるような、豊かな自然のふところでドモホルンリンクルをつくることでした。還暦の幕引き前につくった再春館ヒルトップと薬彩工園は、まさにその夢をかたちにしたもの。再春館製薬所の未来を抱くこの地を拓いたことを、私は心密かに誇りと感じてまいりました。

しかしながら、それはまだ夢の半分。お客様に“打てば響く”お応えをするため、お電話を承るTMセンターから研究開発までのすべてをここに集めたい。そう願いつづけてもおりましたが、残念ながら社長時代にかなえることができませんでした。それを、後を託した者たちがかなえてくれたのですから、うれしさはこの上なく。これでお客様のお声により素早く、きめ細かくお応えできる!と、まるで現役に戻ったかのように胸躍るを感じずにおられませんでした。

さらに。私はこの機に乗じて、ヒルトップの姿かたちから草木のあり方までを見直そうと決めました。再春館製薬所のすべてが集まったのですから、これまでと同じでは、見た目にも使い勝手にも無理が生じて当たり前。それを一からやり直すとなれば、私に代わる者などあろうはずが!と、頼まれも相談もせぬうちから自分勝手に盛り上がり、翌朝さっそくヒルトップへと向かいました。

ここはこう、ここはこんな感じに…。ヒルトップをくまなく歩きながら構想を練るのは、思ったとおりとても楽しい時間でした。しかし。ひとつ気になることがございました。それは、長男である社長に出掛け言われた一言でした。

「駐車場の外灯にかかるような木は植えないでくださいね…」。

どういうことかしら?見通しをさえぎらぬよう、高いところに葉を繁らせる木を植え、外灯の下には、こんもりとした低木を植えたいけど…。思いつつ行った駐車場で、私は、朝聞いた一言の真意に出くわしました。すべての外灯のポールに、防犯ブザーが取り付けられていたのです。

ヒルトップは市内とちがい住宅も商店もまったくと言っていいほどない場所にあります。ご承知の通り再春館製薬所は女性社員の多い会社。駐車場で万が一のことがあったときどうするかー防犯ブザーは、社長と社員たちがそんな議論を重ねたどりついた結論とのことでした。

よくやっていると感じておりました。しかし、ここまでとは思ってもおりませんでした。よそ様のお嬢様をお預かりする以上、担わねばならぬ重責をしかと自覚し、確かに果たしている。そのことに私は深く感心いたしました。この人たちになら安心して後を任せきれる…私の役割は本当に終わりつつある…。 胸には、子が己を乗り越えたとき、いつも味わってきた複雑な味と“やったぜチクショウ!”の一言が。一抹の寂しさもありましたが、しかし、気持ちはすぐに前を向いておりました。再春館製薬所は故郷になった。私は新しく得た天地をさらに耕し肥やすことに邁進しよう…。

結局、外灯の下には、防犯ブザーにかからない、さらに低い木を選び植えることといたしました。胸にあった複雑な味はいつしか、すがすがしい後味となっておりました。それを味わいながら、ヒルトップのつくり直しに精を出し、年の瀬を過ごしました。そして新年、またこうしてこの欄に座し、皆様にご挨拶できることに、このうえなき幸せを感じております。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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