弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2010年 10月号

素麺

早速ですが、前回この欄で私のしたお願いに応えて、多くのお客様がジャガイモ料理の作り方をお教えくださいました。昔は、向こう三軒両隣のお付き合い。ご近所からご自慢の料理をお裾分けいただくこともよくありました。お声やお手紙を拝見していると、そんな頃が偲ばれるような想いがしてきて、とてもうれしくなりました。あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、ジャガイモに次いでするのは素麺のお話。熊本は南国ゆえ、夏の暑さにかけては人後に落ちませぬが。それでもお盆を過ぎると、朝な夕なに涼気がさし始め、九月中旬の大祭の頃には身をもって秋の訪れを知るが常でした。しかしながら、この夏の猛々しさはまったくもって桁外れ。盆を過ぎても暑さはいや増すばかりで、秋の気配など望むべくもございません。

厨房でも、社員が食を細くして夏バテなどせぬよう、毎日の献立に気を配って、西瓜を切ったり、カキ氷を出したりと工夫してまいりました。そんなある日。再春館ヒルトップを見学に来られた経営者の方に、小豆島産の素麺をどっさりいただきました。試しに一把食べてみて、その美味しさにびっくり。これは暑気払いにもってこい!と思い立ち、社員皆で食べる分を買い足し、昼食の献立に加えることに決めたのですが。そのとき、ふと思ったのです。

ご飯のかわりに素麺を出すだけじゃ面白くないわ…。頭の中には、太い緑の割り竹の道を滑るように流れる素麺の白が映っておりました。流し素麺をすれば美味しさに楽しさも加わって、きっと涼味満点! しかし、長く生きてきた私ですら流し素麺体験はほんの数度。準備をする者の殆どが写真やテレビで観たことしかない。それでできるのかと言えば、マガリナリにもできてしまうのですから、思いから生まれる力は、やはり大したもの。もちろん、お金をかけず手間隙をかける仕方は、ここでも相変わらず。太い竹の切り出しにはじまり、二つに割って中の節を抜く作業も、程好く素麺が流れる角度に固定する台づくりも、すべて自前でいたしました。

大なべで素麺が腰を抜かさぬよう茹であげたら、素早く運んで竹を流れる水に放つ…。数百人の社員が順繰りに食べに来るを想定して練習を繰り返したのですが、やはり本番は別物。茹でが過ぎたり足りなかったり、流す量が少なかったり多かったりして、流す方も食べる方もてんてこ舞いのし通し。そこへ、手際の悪さを叱る私の大声まで響いたのですから、冷や汗も加わった汗の量が、涼味をはるかに上回ったことは、まず間違いないでしょう。それでも社員たちは大喜び。子どものような顔になって、楽しかった!と言うのを聞いて、心から、やってよかったと思いました。

現役時代の私を知らぬ社員が、だいぶ多くなりました。出しゃばるつもりはございませんが、その者たちには、こうした形でも、段取りや工夫を大切にし、汗を厭わず働く楽しさを伝えていければ―

ウチの会長は、あの暑かった夏の最中に、汗びっしょりになって流し素麺をさせる人…いなくなった後、そんなふうに思い出してもらうのが、私にはいちばんふさわしい。汗を拭きふき後片付けをする社員を目で追いながら、そんなことを思っておりました。

西川通子

2010年 8月号

じゃがいも

再春館製薬所にはたくさんのお母さん社員がおります。彼女たちに安心して働いてもらいたいと思い、社屋のそばに専用の「わんぱく保育園」を設け、子どもたちを預かってまいりました。

この年ごろは何事も体で覚えるがよし。泥んこになった分だけ身につくことも増えるはず…。そんな思いで名付けたのですが。見てみると、庭で遊んでも芝生のおかげで、泥んこまでにはなりきれず。わんぱくよりも、優しさばかりが目につきました。

仕方ない。私の頃と今とでは環境も暮らしも大きく様変わりしております。泥んこなどはもはや、年寄りの思い出にしかない昔の遊び。けれども、その昔をたぐっていけば、物足りなさを埋め合わせるなにかしらが見つかるのでは…。ふいにアイデアが浮かびました。

そうだ、イモ掘りをさせよう。

再春館ヒルトップの空いた土地にイモを植えてイモ掘りをすれば、みんな泥んこ、大喜び間違いなし。掘ったイモでつくった料理を社員食堂で出せば、また喜ばれて一石二鳥!

さっそく庭を手入れする美花隊に、花ならぬ種イモを植えさせ、日々手入れをさせた結果、見事なジャガイモがどっさり。もちろんイモ掘り大会も大好評で。夢中で土を掘り大はしゃぎする園児たちの瞳の輝きに目を細め、意を得た思いを感じておりました。

これこれ、これが見たかったのよ…。

しかし。大成功に終わったかに見えた私のイモ掘り大作戦に、一つだけ大きな誤算がありました。予想をはるかに超え、出来すぎてしまったのです、ジャガイモが!

毎日数人がかりで掘りつづけ、二週間かかって掘り終えたジャガイモの重さは、優に一トンを超えておりました。さて、どうしたものか…。答えは翌日の昼食から明らかになりました。社員食堂のメニューに、たまに加えるつもりだったジャガイモ料理が、毎日必ず登場することになったのです。

それでもまだまだ捌ききれず。持て余した分を、漢方薬の低温貯蔵庫で預かってくれない?と頼んだところ。冗談が真に受けられ、泥つきイモなど絶対ダメッ!とモノ凄い剣幕で断られる始末。謝って引き下がったものの、放り出し腐らせるわけにもいかず…。

かくして私は今日も厨房隊の面々と、ジャガイモ料理のレパートリーを広げるべく試作、試食を繰り返しております。幸いなことにジャガイモは賢い野菜。肉じゃが、カレー、サラダと様々に応用が利きます。けれども、その様々もすでに二回り目、三回り目…。

そこでご相談。ずうずうしいお願いですが、もしもお得意メニューの中に、ちょっと変わったジャガイモ料理がありましたら、お教えくださいませ。今年のみならず、来年も出来過ぎ間違いなしのジャガイモを、もうちょっと苦労なく楽しむためにも役立てさせていただきます。ぜひぜひ、よろしくお願いいたします!

西川通子

2010年 5月号

スリッパ

梅はまだか…という頃から取り掛かっていた女子社員寮の改修工事。いつもよりひと足早く咲き揃った桜花に見守られながら、ようやく仕上げることができました。

建ててから二十年。どこもかしこもガタがきておりましたが、修理すればまだまだ大丈夫!新入社員が入ってくるまでに!と勢い込んで、突貫工事をつづけておりました。専門家の手も借りましたが、「できることは、できるだけ自分たちで!」という私流を土台に据え。さらに、前例のない工夫をあれこれ盛り込んだため、作業にあたった社員たちは、毎日毎日てんてこ舞い。ケガこそ誰もしませんでしたが、骨が折れたと感じなかった者は、誰一人としていなかったと思います。

生まれかわった寮の、いちばん人目につくところへ。私は一枚、手書きでこしらえた張り紙をいたしました。「寮内ではスリッパ、上履きを使わないのがルール。靴下か裸足で過ごしてください。トイレにもスリッパは置きません。足裏で汚れを感じたら、すぐ掃除をして、廊下も部屋もトイレも、どこに寝てもいいくらいピカピカで暮らしましょう」。

私は常々トイレのスリッパに馴染めぬものを感じてまいりました。トイレはご不浄と呼ばれますが、その名の通り不浄かと言えば、とんでもない!決して不潔であってはならぬと、どこよりも磨きをかける。つまり、汚れを避けるスリッパをもっとも必要とせぬ場所がトイレだ、と思ってきたのです。

加えて申せば、スリッパは日々洗うことをせぬもの。丸洗いできる品もあるようですが、それでも靴下のように毎日、ではないでしょう。もしトイレが汚れていたとして、スリッパで入れば、底に汚れが付いても気づかぬまま。気づいても、スリッパがあるから掃除は今度…そんな緩みばかりをカビのようにはびこらせてしまう気がいたします。  部屋もトイレも分け隔てなく清める。汚れを感じたらすぐ掃除する。そんな習い性も、“スリッパを履かず足裏の目を見開いて”暮らすからこそ育つものではないでしょうか。

寒さを避けたり、転ぶのを防ぐために、家の中でスリッパを履く。それは大切な心遣い、事情に応じすべきことだと思います。しかし、理由なく履いて足裏の目を閉ざしていては、掃除の意味や必要を身に染ませる機会を失くしているのと同じだと思うのです。

大切なお嬢様をお預かりしたならば、壊れ物扱いで波風が立たぬよう、というのでは、再春館製薬所に勤めるをお許しいただいた親御様に申し訳ない。いずれ良き妻、良き母になる日がくるか、その気があるかは別として、そうなれる資格というか、たしなみだけは、きちんと身につく暮らしをさせたい――

今どき流行らぬ昔風であることは重々承知しております。そのうえで私は、これからもずっと、それでいいと頑なに信じております。なぜなら、良く生きるすべを身に染ませるよう導くのは、親や先生に限らず、先行く者の誰もがすべきこと。いくら古めかしくなっていっても、輝きを失うことは決してないことなのですから。

西川通子

2010年 2月号

キムチ

師走へと差しかかる頃、毎年決まってしていたことと言えば、再春館製薬所の兄にあたる警備会社のお客様へ贈るキムチづくり。今年もお世話になりました…心からの御礼を託す品を、人任せに誂えていいはずがない。そんな想いからはじまったキムチづくりは、いつしか社員総出の恒例となり、気がつくと昨年で十六年目を迎えておりました。

当初は、素人だからこそ玄人をはだしに!と意気込み、韓国の市場で舌が赤に染まるかと思うほど味見を繰り返し、これぞと矢立てた唐辛子や漬けアミを買い込んでおりました。漬け込みも、名人を招いて指南を仰ぎ、身に叩き込むように覚えいたしておりました。

先に「決まってしていた」と過去形で書きましたが。子どもらに社長業を託した際、キムチづくりのいろはとともに、漬け込みを統べる軍配も譲り渡しておりました。それゆえ、近頃は仕込みも漬け込みもせず、することといえば味見だけ。それすら必要ないと思わせるほど、ここ数年の出来は申し分なかったのですが。前回つくったキムチを味わったときだけは、なんとも腑に落ちぬ味が広がるのを感じてしまいました。

不味い、というのではない。それなりに美味しくできてはいました。けれども、なんとなく自信無げで、借り物のよう。なにかあると思い、さっそく仕込みから漬け込みまでを改めてみたところ、やはり。太い流れは守られておりましたが、材料や手順などの細かい部分が、私の教えとはあれこれちがっておりました。

いいのです、変えても。大切なのはそれをした意味。この方がいいと信じてしたことなら、失敗も次への肥やし。けれども、ただ繰り返しているうち、少しずつ曲がりが生じ、気づかず流れついた果ての味では、まったくもっていただけません。

かくして昨年は数年ぶりに、キムチづくりの第一線にカムバック。初心に帰り、材料選びから漬け込みまで、すべての陣頭に立ち、玉ねぎを隠し味に使うなど韓国仕込みの裏ワザも効かせて、これまで以上の味をめざしました。

思い返してみれば、味が変わってしまったのは、仕方のないことだったのかもしれません。時が流れ、私とともに本場の流儀を習った社員も数えるほどになった今、込めた想いが薄まって、キムチをつくる慣わしだけが受け継がれていたのでした。

継続は力、という言葉がございます。然り、と思います。しかし、続けてさえいればと思っているなら、やがては惰性に堕ちてしまいます。継続を力にするのは、今に甘んじることなく上をめざす志――そう書くと、自分だけはそうと知っていたかに聞こえますが。実は私も、長く言葉にできぬままいたのです。キムチの一件でツノ出しヤリ出し出しゃばっているうち、それが頭に浮かんできて、今ようやくペン先を伝っている、という次第。

どうやら寅年も、頭に頼るより、体で覚えたことに従うが賢明。でも、干支にちなんで吼えまくるようなことだけは慎もう…。期する想いとて、相も変わらずこの程度の私ですが、本年も、なにとぞよろしくお願いいたします。

西川通子

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