弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2017年 11月号

追っかけ婆

九月、私はほんの数日しか家に帰らず、もっぱら余所で寝泊まりしておりました。

そう書くと、すわ何事か?と驚かれるやもしれませぬが。なぜかと話せば、なんのことはない。国内外を転戦する我がバドミントン部の付き添い役として、今日は広島、明日は韓国、その次は東京と飛び回っていたのです。

なんだ遊び呆けていたのかと言われれば一言もございません。言い訳めいて聞こえるを承知で申し上げれば、再春館製薬所は小さな所帯。部を抱えたからといって専業の世話役を付ける余裕はございません。社員たちも上から下まで連日の大忙しで、応援する気は満々でも足を運ぶ時間は無し。となれば、今や暇つぶしを本業とする私がせねばと思い立ち、付き添い役を買って出た…というのが偽らざるところでございます。

しかし。やるからには徹底的にが身上。スポーツであっても勝負事には勝たねばならぬ!そう勢い込んで応援するうち、ただの役回りだったはずの付き添いに、いつしか本気の魂が宿り。勝ち負けの一つひとつが我が事のように嬉しく悔しく思えてまいりました。

そんな想いが募り募って、ちょっと困ったことに。我がチームのみに注いでいたはずの愛情が、知らずどんどん育っていって、大きくなり過ぎてしまったというか。気がつくと、バドミントン界全体を応援する気持ちで胸がいっぱいになっていたのです。

先のオリンピックで少しは知られてきたものの、バドミントン人気はまだ一部のファンだけのもの。けれども競技としての魅力は他のどの種目にも引けを取らない。ならば、遠からず野球やサッカーに勝るとも劣らぬ人気スポーツに育つよう私が一肌脱がねば!

誰の命なく頼みもなく、一人勝手にここまで思い込めるのは、生まれついてのお調子者ゆえ。いらぬお節介とそしられたって、いいじゃない。今はそう開き直って、バドミントン命の「追っかけ婆」業に徹しております。

けれども。困ったことがもう一つ。生まれつき丈夫というか、頑丈にできているはずなのに。午前中は快調でも、夕方になるとガス欠を起こした車のように気力体力がプスプスッと抜けてしまう。近ごろはそんな日が増えておりました。通子どうした?と自分に聞いてみたところ、返ってきたのは後期高齢者というお言葉。そうか、私も来年は仲間入り…。

以前ならシュンとしたり、まだまだやれると息巻いたりしていたところでしょうが、今回はなぜだか妙に合点がいきました。

独り善がりであっても、この歳になってこんな生きがいに出会える自分は幸せ者。無理無茶はお手の物、程々に留めるが大の苦手で通してきたけど、ここらでちょっと改めて、程好く刻んでいきましょう――

バドミントンがくれる夢や幸せを長く味わいたいという想いに、素直に従う自分へ向けて、年甲斐もなく!と、笑って悪口は言うものの。言いながら、新しいなにかがジワっと湧いてくるような。決してワルくない気持ちが胸にしておりました。

西川通子

2017年 8月号

体育館

この六月、昨年から取り掛かっていた工事がようやく終わり、再春館ヒルトップの体育館が出来上がりました。

建てている最中、多くの方から、なぜ体育館を?バドミントン部の練習場ですか?などと聞かれましたが。確かにそれも理由の一つ。でも、第一番目かと言われれば、そうではなく。口には出さずまいりましたが、胸中で並べた理由の第一番目には、私が昔から抱きつづけてきた想いがありました。

申し上げるまでもなく私は熊本生まれの熊本育ち。ここまでにしてくれた故郷への愛着は、人二倍三倍と自負しております。しかし。もっと人々とふれあいたい、お役に立ちたいと想い願っても、それだけではどうにもならず。なにかしらの場や機会を設けねばかなわぬと知り、身の丈に応じたできることを見つけてはアレコレしてまいりました。

そんな企ての数々も、役目を果たし終えて一つ、ここが潮時とまた一つ、順にお開きになっていって。少なからず寂しい気持ちを抱えながら、次はどこでなにをしようかと考えておりました。そんなある日、突然のように思い浮かんだのが体育館のイメージでした。

体育館をつくって、地元の人々や子どもたちがスポーツを通してふれあえる場にしよう!バドミントン部の練習場にもなるし、選手やコーチにバドミントン教室を開かせたり、大会を催すのもいいアイデア。社員たちにも開放すれば、喜ばれること間違いなし!

震災で一時中断を余儀なくされはしましたが。一石二鳥どころか三鳥、四鳥とふくらむ夢に勢いづいて、場所はどこどこ、着工はいついつ、設計はどれどれ?と、その後はトントン拍子に進み。あれよあれよという間もなく、竣工の日にたどり着いておりました。

地元との交流を一にする場であれば、なによりも人に優しくと考え、足腰に負担のかからない床材を敷くなど、要所要所に心ある工夫を施したつもりでございます。

また、ヒルトップのイメージは、豊かな自然にとけ込む工場。体育館もそれに倣って、決して出しゃばることのないよう、地中を掘り下げ、その中へつくり込みました。しかし、それで終わりでは、あまりにも殺風景。地味過ぎて逆に悪目立ちするのでは…ということになり、待ってました!とばかりに、私の出番がやってまいります。

これまで様々な庭を手掛けてきた自己流の通子流で、見事とけ込ませてみせる!と意気込みアイデアを練りながら、今は、植え込み、花咲かせる日を心待ちいたしております。

新しい体育館は、大好きな花の名をいただき「サクラリーナ」と名付けました。夏も鎮まった頃を見はからって、まずはここに、桜の若木を植えようと考えております。

何年後かはわかりませんが。その桜の花の下、ここで育ったスポーツ選手を晴れの舞台に送り出す日が来るかも…。そんな想いにふけっていると、その場にどうしても居合わせたいという想いが強く湧いてきて。来ぬかも知れぬ日の夢に肩を借りて、も少し頑張って歩いていこうと、知らず想っているのでした。

西川通子

2017年 5月号

自業自得

ビチッ!そんな音とともに、右ひざのあたりに痛みが走り、崩れ落ちるように、その場にしゃがみ込みました。1月、所用で韓国に行った際のことです。

なにをしたわけでもないのです。ただ歩いて、数センチの段を上がり、洗面台の前に立とうとしただけ。しばらくしても、痛みは鎮まるどころか増すばかりで。仕方なく予定を取り止め、翌日、日本へ戻りました。

戻ってすぐ病院へ行きました。膝のどこかが切れた!これは一大事!私の見立てでは生涯初の大ケガ、だったのですが、レントゲンにはなにも映らず、どこも傷んでいるところはなし。

切れても折れてもいないのに痛いとは摩訶不思議…。そんな想いで家に着いた私を待っていたのは、娘からの強烈な一撃でした。

「体重よ、体重!」。

一瞬、むむっ、と思いましたが、すぐにしょぼんとした気持ちに。薄々気づいていたのです。どこにも障りがないとしたら、重みに耐えかね膝が悲鳴をあげたのかも。

見て見ぬふりをしていたツケが、とうとう回ってきたのね…。

自業自得。そう思い知ると、すぐに痛みが引かぬも仕方なしと観念できて、しばらくは車椅子に乗って過ごしておりました。

社員や周囲の人々がよくしてくれたので、特段の不便は感じなかったのですが。前に出たい、右に行きたいと思っても、頼んで押してもらわねばならず。思いどおりにいかなくても、親切にしてくれた人に小うるさく言うわけにも。

だいぶノロマになってはいましたが、思いを汲んで勝手に動いてくれていた足の有難味を、まさに痛感する日々でございました。

今は車椅子を降り、杖なしで歩けるまでに戻りましたが。動くとまだ、鈍い痛みを感ずる状態。でも、痛いからと甘やかしておけば、筋肉が落ちて動けなくなるかも…。そう考えるとゾッとして、できるだけ多くリハビリに時間を割くよう努めております。

けれども。悩ましいのは相変わらず減らない体重。それはそうです。ロクに動いてもいないのに、三度の食事の美味しいこと美味しいこと!ご飯に大根葉を混ぜて、おジャコをふって…などと思うだけで、お腹が鳴らないかとビクビクするほど。

健康過ぎるこの胃をなんとかせねば、痛みとの縁は切れぬ!そう心してはおりますが、ならば、今日はなにをどれだけ食べたか振り返ってみると、まだまだ…と思わざるをえず。

我が身に押しつぶされる恥だけは、なんとしても防がねばと、固さに不安の残る決心を、今も重ねてしているのでした。

この欄をお読みくださるご同輩の皆様へ。ひとたび体に障りが出ると、お手当てする気などどこかへ失せてしまいます。

大切なお肌のために、そして有り難い足腰のためにも、くれぐれも私を見倣うことだけはせず、腹八分を心がけお過ごしくださいませ。

西川通子

2017年 2月号

前を向いて

明けましておめでとうございます。

もう二月というのに明けましてでもあるまい…そう思われたかもしれませんが。今年ばかりは何月であっても、この欄の書初めはこの書き出しでと心しておりました。

昨年、たくさんの励ましとお心遣いをくださった皆様に、「ようやく熊本の心の夜が明けました」と、まずはお伝えしたかったからです。

春先、地震がありました。次いで長雨にたたられました。留めに阿蘇山が火を噴きました。この地に生まれ育ち七十有余年。昨年のような年は後にも先にもございませんでした。

日々各地の惨状を目の当たりにするたび、熊本は心折れてしまった。おいそれとは立ち直れぬにちがいない…そう感じて、胸に影射す想いばかりを募らせておりましたが。夏を過ぎたあたりから、それが大きな勘違いであることに気づきはじめました。

たしかに。未だブルーシートに包まれた建物を至る所で目にします。熊本城の復旧が成るのも、まだ遠い先のことでしょう。けれども。多くの人々は、すでに悲しみに暮れていず、疲れきった風も見せず、驚くほど明るく元気に過ごしているのです。

ここから新しい熊本を創っていこう!――会う人会う人にみなぎる意気を感ずるたび私は、慰めではなく、前向きな心を励ますなにかをしたいと思い始めておりました。

機会が巡ってきたのは、昨年の十一月。ご存じの方もいらっしゃると思いますが。育てていただいたご恩返しにと思い、毎年暮れに社の建屋や敷地をイルミネーションの灯りで飾り、地元の皆様をお迎えしてまいりました。

二十二年休まずつづけてまいりましたが、冬の風物詩と言われ出した頃から、飽きられぬ前に…と考え、一昨年をもって終了し、次になにをするかを探しておりました。

毎年、社員総出で手作りしておりましたゆえ、今年はそれが無い…と思うと、いささかならず荷を降ろしたような、ホッとした気で過ごしていたのですが。とある日、自席で呆けていた私のもとへ社長と社員が押しかけてきて、勢い込んでこう言ったのです。

「イルミネーションをやりましょう。今年やらないでいつやるんですか!」。

思いもよらない申し出に面喰いはしましたが、すぐにハタと膝を打つ想いが。そうだ、その手があった!「ぜひやりましょう!」。そう返事をするやいなや、社員たちは仕舞い込んだイルミネーションの設備を取り出し飾り付けをはじめました。

今年は、例年よりこじんまりとした規模にまとめましたが。新たに空港へつづく道沿いにも灯りを並べ、熊本を訪れる方々にもご覧いただけるよういたしました。

おかげさまで多くの方にお楽しみいただけているとのこと。それを聞きながら、窓の外に広がる美しい光の景色に目をやって、人の心の強さ温かさを感じつづけた一年を、心通ずる出来事で締めくくることができて、本当によかったと思っていました。

本年も心を尽くしてまいります。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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