私らしく。 by 再春館製薬所

荒木絵里香さん
人生の選択肢は一つじゃない。女性、アスリート、楽しむ力

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ストーリー

出産、育児を経て、またバレーボールの世界へ——。37歳までプロとして活躍した荒木絵里香さん。人生とスポーツを長く伴走させるヒントは、父からの教えにありました。

真剣なまなざしでボールを追い、ピンチの場面では声を上げてチームメートを鼓舞する。そんなバレー選手として活躍してきた姿からは、一変。自転車に乗って颯爽と現れた荒木さんは、周囲が温かくなるような柔らかい空気をまとっていました。「現役時代は戦闘モードでしたからね」と、にこやかな表情で話します。

20代前半で引退する選手も多いなか、37歳まで選手生活を送った荒木さん。なぜそこまで長く続けられたのでしょうか。

「競技の特性もあるかもしれませんが、学生時代からコーチや監督に厳しく指導されてきて、"やらされてきた感"がある人ほど早くやめてしまう気がします。楽しくて始めたはずのスポーツなのに、もったいないですよね。面白くなるのはこれからなのに、って。私が長く続けられたのは、バレーがずっと楽しかったから。やめたいと思ったことは1回もないんです」

荒木さんがバレーを始めたのは小学5年生の時。身長はすでに170cmを超えていて、強いクラブチームの練習に参加しました。しかし、当時では珍しくなかった体罰が当たり前の指導方針に、ご両親が猛反対したそうです。

「父からは『誰かに怒られたり、やらされたりして楽しい?』と。楽しくなければスポーツじゃないよね、というのが父の考えでした。両親の反対でクラブはやめさせられてしまいましたが、代わりに母が私の小学校でチームをつくってくれたんです。もちろんみんなバレー初心者だから、全然できなくて。でも、とにかく楽しかった。勝ちたいというよりは、みんなで一緒にうまくなりたいという気持ちでしたね」

荒木さんの笑う写真
引退後は早稲田大学大学院でスポーツ科学を学んだ。新しいことへの挑戦は「成長のチャンス!」と思って楽しんでいる。

Play(スポーツをする)=遊び。「楽しくなければスポーツじゃない」というお父さんの教えは、その後、長く競技を続ける荒木さんの心にずっとあったと言います。

高校生になると地元・岡山を出て、東京のバレー強豪校へ。生徒の自主性を重んじるチームのスタイルに、ご両親から背中を押されたのだそう。同級生は中学から全国大会に出ているような選手ばかり。後に荒木さんと一緒に日本代表で活躍する大山加奈さんもいました。練習漬けの日々かと思いきや、週に1回は休みがあり、「高校生らしい遊びもできました」と笑顔を見せます。

「メリハリがある生活で、週3日は学校に泊まって練習をする。やりたいと思えば夜中まで自主練をしてもいいし、必要がなければ早く寝ても怒られません。高校時代は"自分で考える"ことを学びました」

先生から言われた通りにするのではなく、自分で考えて、動く。初めは戸惑うこともあったそうです。

「先生の話を理解できずにいると、必ず『わかりますか?』と聞いてもらえました。そこで『わかりません』と言える環境だったことは、すごく恵まれていたと思います。『はい』しか言えなければ、自分で考えられなくなってしまいますよね。やらされていたのではないからこそ、うちの学校を出た選手は、その後も長くプレーを続ける人が多いんです」

全国大会で優勝した時のシーンは、いまも荒木さんの心に焼き付いています。跳び上がって喜ぶ仲間たちの表情まで、はっきりと覚えているそう。自分たちで立てた目標を達成できたこと、それをサポートしてくれた仲間や家族が自分以上に喜んでくれたこと。

「心がブルブルって震えるような感覚を、生まれて初めて味わいました」

あの瞬間をもう一度——もっと、もっと、と続けるうちに、どんどんバレーにのめり込んでいったと言います。プロになってさらに大きな舞台へ。そこで何度も感じた心の震えが「スポーツの醍醐味だった」と振り返ります。

人生の幅を広げるきっかけに
ママアスリートの情報を発信

2021年に引退してから力を入れているのが、理事を務める一般社団法人MAN(マン)の活動。MANは「Mama Athletes Network」の頭文字で、子を持つアスリート、子を持ちたいと希望するアスリート、指導者やトレーナーなど競技関係者への支援を目的に、ネットワークづくりや情報発信をしています。サッカー、バスケットボール、スキー、トライアスロン......と、さまざまな競技の選手が活動に賛同しています。

「私が子どもを産んだのは10年前で、当時は周りに相談できる人がほとんどいませんでした。だからこそ、いまはMANの活動を通してママアスリートの情報を伝えていきたい。出産、育児をしながら競技を続けることが、女性アスリートの選択肢の一つとして当たり前のものになってほしいと思っています」

荒木さんがバレー以外に目を向けられるようになったのは、イタリアのチームに所属した経験がきっかけです。チームメートには子育てをしている選手だけでなく、大学に通ったり、起業をしたり、モデルとして活躍している人までいたのだそう。

「その姿を見て、すごく刺激を受けました。いいな、私も人生の幅を広げたいなと」

MANの活動の一つに、人生設計プログラムづくりがあります。何歳まで競技を続けたいのか、結婚や出産はいつしたいのか。先輩アスリートの講演を聴き、自分で考えながら、自由にライフプランを立てていきます。もちろん妊娠、出産は予定通りになるものではありませんが、大切なのはイメージすること。

「女性アスリートの無月経、骨粗しょう症、摂食障害が問題になっていますが、競技に必死になっていると自分の体がおろそかになってしまうことも。自分の人生を考えることで、体にも目を向けてもらえたらと。それは全ての女性にとって大事なことではないでしょうか」

荒木さんの話している写真

ママアスリートの悩みは、女性だけのものではありません。「男性にも知ってほしいですし、知りたいという気持ちが理解につながります」と話します。MANには、「Man(男性)」や「Human(人)」の意味も込められているのです。

日々、子育てをするなかで、子どもとスポーツの関わりについても考えるようになったという荒木さん。10歳になる娘の和香ちゃんが夢中になっているのは、ダンスとテニスです。

「私はたまたま両親が導いてくれたおかげで、バレーを楽しめる環境に恵まれましたが、いざ自分が親になってみると、どうサポートしてあげたらいいのか、悩むことも多くて。ただ、やっぱり好きじゃないと続かないと思うので、娘の気持ちは大事にしてあげたいです」

荒木さんが現役の頃は、和香ちゃんに「バレーはママをとってしまう"敵"」と思われていたそうですが、「最近では一緒にバレーを見てくれることもあるんです」とにっこり。

ママアスリートになったことで、働くママたちからは「元気をもらっています」とたくさんの応援の声が届いたそう。楽しくてバレーを続けてきたことが、誰かの力になっている。その喜びが、いまも荒木さんを突き動かすエネルギーの源なのです。

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荒木絵里香さん

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あらき・えりか 1984年、岡山県倉敷市生まれ。高校時代にバレーボールの全国大会で3冠を達成。2008年から日本代表として4大会連続で五輪に出場。2012年ロンドン五輪で主将を務め、銅メダルを獲得した。2013年に結婚、2014年に出産を経て同年復帰。2021年に引退してからはクインシーズ刈谷のチームコーディネーター、バレーボール解説者として活躍している。