ミシュラン餃子店が掲げる
「ふつう」の意味とは?
2012年に代々木上原にオープンし、繁盛店となった『按田餃子』。数々のメディアやSNSでも取り上げられる一方で、中にはネガティブな書き込みもあるそうです。しかしそんな声にも、按田さん本人は意に介しません。
「むしろ『按田餃子』を食べた人全員が『好き』といったら、それこそおかしいと思うんです。だから半分くらい反対意見があることは、健全だと感じます」
そう聞くと賛否両論を呼ぶ、独創的なお店を想像するかもしれませんが、『按田餃子』では開店当初から「『ふつう』を目指している」そうです。では一体その「ふつう」とは、どんなものなのでしょうか。その答えは、意外にも開業と同時期に仕事で訪れたペルーのアマゾンで見た「台所」にありました。
「日本の台所では母親のような『責任者』が献立を決め、一人で料理をつくることが一般的ですよね。でも訪れた集落では、台所にはかまどがあり、毎朝薪で起こした『火の都合』で献立が決まるんです。『いまは火が弱いから、この料理にしよう』というふうに。しかも火にかけた鍋を、大人も子どももかき混ぜる。だからそこには『誰がつくった料理』という線引きがないんです」
この光景を見た時に、按田さんの中で「ふつう」の概念が覆されたといいます。
そのため、お店を始めるときも「飲食店だったら『ふつう』こうする」ということは意識せず、自分たちの「こういう店がいい!」を形にして、信じて続けてきました。そんな按田さんだからこそ、ネガティブな意見があることも素直に受け取ることができるのかもしれません。
「誰にでも『好き嫌い』をいう自由はあるのだから、他人から『好きじゃない』といわれても、気にしたり、傷ついたりする必要はないんですよ」
人気メニュー誕生につながった
これまでの人生の歩みとは
そんな按田さんのこれまでの経験が詰め込まれたという『按田餃子』の餃子。鶏肉や豚肉に乳酸発酵させた野菜を混ぜ込んだ餡が、有機ハト麦入りの厚みのある皮で包まれています。ほかにはない個性的なおいしさは、通販でも人気を博しています。
にもかかわらず、按田さん自身は「実は料理は得意ではないんです(笑)」といいます。ではなぜ「得意ではない」料理の仕事に携わるようになったか。それには、過去の失敗が関係しているそうです。
「学生時代は、苦手なものを克服しようと必死でした。協調性がないから体育会系の部活に入ったり、国語が苦手だから大学は文学部に入学したり。でも、結局、苦手なことは直らなくて、周りの人と比較してつらくなり、とても苦しい時期でした」
そこである時から、自分が辿ってきた人生にこそ、自分を活かせる「答え」があるのではと、自身のこれまでの経験を見つめ直します。
「大学卒業後、工場でパンとお菓子を製造する仕事をしていたのですが、そこで自分は『同じモノを量産する』作業が好きで、向いていると気づいたんです」
その後、乾物料理店の店長を経験したり、ペルーで現地ならではの食品の発酵・保存方法を学んだり。自分では受け身だと思っていたこれまでの人生の経験が、独自の餃子の味へとつながります。
「『こういうことができたら』と自分にないものを夢見るのではなく、いまの自分が『できること』や『向いていること』を掘り下げていけば、その先に自分にしかない個性が備わってくるのではないでしょうか」
「消費」だけではない
社会とつながる方法
また按田さんが『できること』として、料理以外にも取り組んでいることがあります。
「『按田餃子』では、自分たちの手元にあるものを余すことなく使うようにしています。たとえば、餃子の具になる『茹で豚』をつくった時にできるラードを石鹸にし、再利用して商品化したんです。店舗の掃除や食器洗いでも使っています」
そのことで「スタッフも自分たちが何を使い、その後どうなっていくか意識できる」と話す按田さん。その背景には、20代の頃に感じた、「ある疑問」があったといいます。
「世の中にはすでにモノがあふれている。なのに、売るためにモノをつくり、買うためにモノを捨てるという『消費』のサイクルに疑問を持ちました」
ちょうど「これからどう社会と関わるか」を考えていた時だったという按田さん。これから自分が何かをつくるにしても「消費し、させることだけで社会と関わりたくない」と思ったそうです。
「そこで、自分のできることを通じて、どう社会に『還元』できるかを考えるようになったんです」
そんな按田さんには、最近になって移住した三浦半島のリサイクルショップで、思わず「面白い!」と心が動かされたことがありました。
「お店には、本来何十万もするようなブランドの服やアンティーク家具が無造作に売られていたり、無料コーナーには使いかけの消しゴムなど、捨てられたようなものが並んでいたり。そこでは、『市場価値』という意味がはぎ取られているんです。
だからこそ、純粋に『必要だ』と思えるものを人が選んでいる。社会の中でモノが循環していくような発見がありました」
そもそもどこまでが『自分のモノ』で、どこからが『他人のモノ』なのか。かつて按田さんがペルーで見た台所の料理風景のように、その線引きを拡げられれば、自分にできることは増えていきそうです。
「私」から「私たち」へ
一人称を変えることで拡がる可能性
事実、「自分と他人の境界線を見つめ直す」ことは、日常生活でもプラスに働くはずと按田さんは続けます。
「お店のキャッチコピーは『助けたい包みたい按田餃子でございます』ですが、もともと私自身に誰かを『助けたい』という気持ちがあるわけではないんです」
「助かりたい誰かが、自分がしてほしいことをいえる場所として、お店を利用してほしいと思っています。
誰しも『私』一人では、できないことや苦手なことがでてくるはずです。そんな時は一人で抱え込むのではなく、周囲にいる『私たち』の中の得意な誰かに助けを出してもらえたらと思っています」
そうすることで、一人ではできないこともできるようになったり、自分ではない誰かができたことも、自分ごととして喜べるようになったり。自分を活かし、活かされるような関係がどんどんと拡がっていきそうです。
自分のこれまでを振り返って「できること」を掘り下げていくこと、そして「私」から「私たち」へ一人称を拡げることで、無理なく自分の可能性を拡げていけそうだね。
更新