大人はさほど自由ではない
それでも、大人の方が楽しい
むかしから、仕事をしている大人の女性に憧れている。
子供のころは、選択が限られ、パーティの最後までいられず、早く大人になりたい、と思っていた。子供のころ想像していたときより、大人もさほど自由ではない、と知るのだけれど、それでも、大人になったいまのほうが、ずっと楽しい。
「憧れの女性の生き方」ときくと、作品のなかのひとも、書き手も、両方浮かぶ。女性が描く女性で、好きな作品を三作、選んだ。
同じ人間、何も変わらない
オルランドに見る本質
肉体の制限から解き放たれていて憧れたのは、映画のなかの主人公だった。小学生のころ、映画『オルランド』をみて、ティルダ・スウィントンの立ち姿に憧れた。
ヴァージニア・ウルフが原作だと知ったのはずっと後だった。夕方、ふかし芋を食べながら、繰り返し映画をみる。オルランドは、男になったり女になったりしながら、数百年、生きる。
『オルランド』
エリザベス一世の寵愛を受け、不老不死、男性から女性に変身を遂げた、貴族・オルランドの400年にわたる時空と性を超えた旅物語。
©Mary Evans/AF Archive/British Sc/amanaimages
仄暗(ほのぐら)い画面や衣装が、鈍重(どんじゅう)で美しい。まばたき一回するだけで百年経つ。性別が可変するオルランドは「同じ人間、何も変わらない、性が変わっただけ」と思う。
ながめるだけで心地よい
美人画とは違う裸
小倉遊亀(おぐら・ゆき)は、明治生まれの画家で、百五歳で亡くなるまで、ずっと筆を握っていた。遊亀がインタビューで話していた「60代から仕事が面白くなり、70代が仕事ざかり」という言葉をお守りのようにしている。
鎌倉の自邸におじゃましたとき、トンネルをぬけたところに家が建っていて、御伽話(おとぎばなし)のような景色に驚いた。庭木が大切に育てられて、さっきまで描いていたような雰囲気のアトリエに、膨大な数のスケッチが残されていた。
生活の絵があかるくてとても好きで、なかでも『浴女 其の一』は、ながめているだけで、じぶんも浴しているような心地よさがある。
『浴女 其の一』
1895年生まれ、2000年没。大正から平成にわたる約80年間、女性像や静物を力強く描き続けた作者の、43歳での出世作。
1938年制作 東京国立近代美術館所蔵 ©tetsuju
この絵がとても好きなのは、美人画の官能とはまた違う、のびのびした、裸が描かれているからだった。
よく磨かれた清潔な浴室に、ふたりの女がいる。すらっとした娘さんがヘリに腰掛け、後ろ姿の髷(まげ)のひとはもっと大人にみえる。母なのか、年の離れたお姉さんなのか。お湯がたぷたぷして、タイルがゆがんでいる。外の新緑がうつっているような薄緑の湯の色も、乳房も、おなかも、前髪も、のどかだ。
百年前の少女の気持ち
共感できるおそろしさ
フランスの文学者ボーヴォワールの友愛小説『離れがたき二人』は、百年前に書かれたとは思えない新鮮な読み心地がある。ボーヴォワールと親友ザザがモデルの私小説で、ボーヴォワールがボーヴォワールになるまでが書かれている。
キリスト教徒の多いなか神の不在を実感する少女ボーヴォワールの気持ちは、いまの私の感覚からは遠いのだけれど、それ以外の感覚は、おそろしいほどわかる。
『離れがたき二人』
舞台はいまから約100年前のパリ。生前未発表だった小説が、当時の書簡や資料、養女のあとがきを加え、ついに刊行された。
百年経っても、二人の少女の気持ちが共感できる、ということは、女性の身の上があまり変わっていないというおそろしいことでもある。
この小説は、奇妙なことに、生前は出版されなかった。ボーヴォワールのパートナーであるサルトルが原稿を読み、出版を止められたという経緯がある。このことをめぐって、翻訳家の関口涼子さんは、この小説で描かれているシスターフッドにサルトルが嫉妬をしたのではないか、と推(すい)していた。ですます調の文体がみずみずしい。亡くなったザザへの愛の手紙だから、嫉妬するのもわかる。
自由を選びたいと思っている少女の気持ちと、自由に生きることのむずかしさ。次の百年までに、この小説がすごく古い、と感じられますように。
『TIMELESS』文庫版
2月28日に文庫版が発売された朝吹さんの著作。互いに恋愛感情を持たないまま結婚した男女と、2人の間に生まれた息子の姿を描いた圧巻の長編。江國香織さんの解説を収録。
写真:鈴木親
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