私らしく。 by 再春館製薬所

郡司莉子さん
“超人”の母、一番話した父へ。「帰りたくない日もあった」

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連載

私たち一市民は、ニュースになるような大きな話題はつくれませんが、それぞれの町で誰かを思いながら毎日を生きています。親子であればなおさらです。当連載「親子レター」では、ある家族の小さな声、一片の物語を拾っていきます。第2回は、中学卒業までの9年間、すべての時間を費やして支えてくれた両親へ送る、バドミントン選手の娘からの手紙です。

15歳の時国内留学で、地元・神奈川を離れ熊本へ移り住んだ娘・莉子さん。当時の思いを綴った手紙をご両親に読んでいただき、父・克彦さんに話を伺いました。

郡司莉子さんの両親

お父さん、お母さんへ

こうして改まって二人に向けてお手紙を書くのは、何年ぶりか分からないくらいですが、普段は照れ臭くて直接言えない事や一緒に暮らしていた時の出来事、日頃の感謝を伝えられたらいいなと思います。
まずはここまで大切に育ててくれて本当にありがとう。
私も今年で二十二歳になりますが歳を取るごとに二人の偉大さ、強さ、有り難みをすごく感じます。お母さんと一番一緒に過ごした時間が長い場所は車かな。小学生の時から中学卒業まで本当に長い時間、毎日片道一時間以上の道のりを嫌な顔一つせず送り迎えしてくれたね。仕事も家事もその他のことも沢山やることがある中で私のために大切な時間を使ってくれてありがとう。寝る時間もほとんどなかったと思うけど中学三年間毎日美味しいお弁当を作ってくれてありがとう。今の私からしたらあの頃のお母さんは超人です。これからは自分のために時間を使って、できなかった分の息抜きを沢山して欲しいです。
お父さんとは家族の中で一番話し合う時間が多かったと思います。
バドミントンの話から勉強の話、将来の話まで本当に沢山の時間をかけて向き合ってきたと思うし、車の中の反省会も勉強ができずに深夜まで教えてもらったことも他の事でも沢山怒られたけど今となっては全てが大切な思い出だし、全てが今の自分につながっていると思います。沢山時間をかけて向き合ってくれてありがとう。中学生の時は、正直家に帰りたくない日もあったし、実家があまり好きではない時期もありましたが今では実家が一番安心する場所になったし、私の大好きな場所になりました。沢山の思い出がある実家に帰るのがいつも楽しみです。これからも思い出をつくっていこうね。
これから先も何かと頼ってしまうことがあると思いますがその時は少しだけでも支えてくれたらとても嬉しいです。今の私の最終目標は、四年後のロサンゼルスオリンピックでメダルを獲得して二人にメダルをかけてあげることです。この目標を達成するためにも今年こそは飛躍の年にできるように頑張ります。
これからも身体に気をつけて元気いっぱいでいてね。
これからも未永くよろしくお願いします。

莉子

莉子さん直筆の手紙
両親に宛てた、莉子さん直筆の手紙。
莉子さん直筆の手紙2
両親に宛てた、莉子さん直筆の手紙。

いつ寝ていたんだろう?
共働きで支えた「本気」サポート

小学校から中学卒業まで、自宅がある神奈川から東京のクラブに練習に行くのに、カミさんが片道1時間以上かけて毎日送っていました。行くと帰ってこられないので、練習が終わるまで3時間くらい待っていて。自宅に帰ってくるのは22時過ぎでしたね。

次の日も「さぁ自主練の時間だ」って言って、朝6時に起こすんです。その時にはもうお弁当が出来ていましたから、いま考えるとカミさんはいつ寝てたんだろうと......。向こうでの待ち時間に車で寝たり、分割して寝てたのかな(笑)。

莉子はカミさんが通っていたママさんバドミントンがきっかけで、バドミントンを始めました。最初は遊びだったけど、だんだん本気で強くなりたいと思ったようです。

小学校1年生の時に莉子が自分でクラブを選んで、そこから僕たちのバドミントン人生が始まりました。

莉子さんの子供の頃
自宅に飾ってあった莉子さんの子供の頃。

低学年の時はけっこう厳しくしつけてました。最初に「やるんだったら本気でやらなきゃだめだよ」と伝えて始めたんです。

でも、うるさく言ってばかりだとだんだんと親の顔色を見て育ってしまって、自立できなくなると思ったんですよね。それで徐々に口を出さないようにしたんですけど、そばにいるとつい叱り飛ばしちゃったりする時もあるわけですよ。だから、親元を離れるのが一番いいなと、わりと早い段階から考えてました。

郡司莉子さんが体育館を片付けている
拠点は神奈川の自宅から遠く離れた熊本県益城町。
財布
使い続けているという財布を見せてもらった。お父さんに買ってもらった大切なもの。
莉子さん

厳しくしていた理由は、競技で勝つということ以上に、人間力を高めてほしいという思いがあったからなんです。僕も小さい頃柔道をやっていたんですが、その時教えられたことは習慣化していて、いまの自分のベースにもなっていますから。

昭和のやり方で、理不尽なこともあったけれど、いいこともたくさんありました。そういうのを全て否定するんじゃなくて、いいところは残し、伝えていきたいと思うんです。莉子へのしつけは、いっぱい失敗してますけどね。でも気持ちは通じてたのかなと、いまの莉子を見て、思います。

「お酒は控えめにね」の文字が泣ける、誕生日や父の日に送られたメッセージ。
「お酒は控えめにね」の文字が泣ける、誕生日や父の日に送られたメッセージ。

バドミントン一色の9年間
夫婦で向き合い続けられた訳

莉子は素直なところが強みだと思いますね。吸収する力がものすごく高い子だったから、教えているこっちも楽しくて、バドミントンに関しては僕自身もすごく勉強しました。

最初は本とかネットで調べて、こういう練習がいいんだなとか、小さい時にこういうトレーニングやった方がいいんだなとかね。大会に行くと、会場を走り回って他の選手の試合もビデオに撮って。この子は勝ち上がってくるぞ、ああいう打ち方だとこうなるのか、と分析してました。暇さえあればビデオ見てましたね。

あとはクラブの監督に、「この選手いいと思うんですけど」「ポイントはここですかね」なんて話しながら見解を聞いたり。そうやって知見をどんどん高めていきました。

父・克彦さんが読んだ本と記録した画像CD
父・克彦さんは本を読み、映像を記録しながらバドミントンの研究に励んだ。

僕ね、競馬が好きなんですよ(笑)。でも、莉子に付きっきりだった9年間は全くやらなかった。バドミントンの方が大事だったんです。だから、自分のやりたいことを我慢したという感覚はないですね。それが私たちにとってもやりたいことだったので。

楽しかったんですよ。練習すればするほど、莉子が技術だけでなく心も体もどんどん成長していくのが。少しずつだけど変化していく。それを感じられるのが二人とも本当に楽しかった。こういうふうにしていこうと夫婦で話し合ったわけじゃないんですけど、夫婦が常に同じところを見てたなとは思いますね。

父・克彦さんと母・千春さん
莉子さんのトロフィーや賞状が並ぶ自宅リビングにて。父・克彦さんと母・千春さん。

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郡司莉子さん

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ぐんじ・りこ 小学2年生の時に全国大会で優勝して以来、バドミントンにのめり込む。中学校まで地元・神奈川県海老名市で過ごし、15歳の時に親元を離れて熊本県の高校へ進学。現在、くまもと再春館製薬所バドミントン部に所属。