私らしく。 by 再春館製薬所

要一郎さんのほんのり脱力術#09

麻生要一郎さん
割れたワイングラスに見る、家と人をつなぐもの

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頑張りすぎもよくないのにな——。頭ではわかっていても、つい欲張ったり、肩に力が入ったりしがちですよね。心にほんの少しの余裕があれば、自分にも周囲にも優しくできるのかもしれません。おだやかなまなざしで日々の生活を楽しんでいらっしゃる人気の料理家・執筆家・麻生要一郎さんに、脱力のヒントを教えていただきます。

料理家・執筆家の麻生要一郎と申します。
皆さんの忙しい日々に、ほんの少し力が抜けるようなエッセイを毎月お届けしていきたいと思っています。

今回は、ものと人の関係性についての話です。

先日、家族のような存在の美雨ちゃん、その娘であるなまこちゃんが、わが家にごはんを食べに来た。

他の友人も交えて7人で食卓をにぎやかに囲んだ夜のメニューは、唐揚げ、さば味噌(みそ)、トマトのサラダ、鴨茄子(かもなす)の揚げ浸し。わが家の煮魚には梅酢を少し入れるのが、隠し味。

おなかいっぱいに一通り食べ終わり、コーヒーを飲もうかと食器を片付け始めると、なまこちゃんが愛用していたワイングラスがパタンと倒れて、粉々に割れてしまった。
そのワイングラスは、他のワイングラスよりも背が高くて、グラスの底は平になっていた。そこから伸びる凝ったデザインの脚が、個性的な存在感。

お試しに一つだけ買ったので、替えがなかった。最近、底と脚の接合部にヒビが入っていたのには、全員が気づいていた。
使っていても、漏れるわけでもないから、そのまま使っていた。普通に倒れても、あんなに割れはしないだろう。ヒビが入っていたから、あっさり割れてしまったのだと思う。

割れたことがあまりにショックで、なまこちゃんが泣いてしまった。みんなで慰めながら、僕も「もっといいグラスを買ってあげるから」と言いつつも、割れてしまったグラスは、一体どこで買ったのだろうかと考えていた。どこかのオンラインショップで購入したということだけは、覚えているけれど。

20代の頃なら、自分が買ったものは何であっても、どこで買ったか忘れることなんて、絶対になかった。みんなが帰ってから夜中に一人で、メールの履歴や思い当たるオンラインストアの購入履歴を片っ端から開いてみた。

しかし、どこにもそのワイングラスは登場しなかった。ひょっとしたら、どこかの店頭で購入した? わが記憶、当てにならず。

同じものを買おうにも、どこで買ったのか思い出せそうにもないので、なまこちゃんが気に入りそうなワイングラスを探すのが目下の課題。いざ探してみると、なかなかピンとくるものがない。
いつも家にやって来ると、ハリネズミが描かれた専用スリッパを履いて、自分のワイングラスを取り出し、冷凍庫の氷を入れて水を注いで、満足げに飲んでいた。

食卓に並べても、他の大人たちのグラスよりもずっと背が高くて、誇らしかったのかも知れない。大人からしたら、ただのグラスと思ってしまうかも知れないが、この家となまこちゃんをつないでいる、大切な存在だったのかもしれない。勝手な僕の想像だけど。

もっといいのを買ってあげるからと約束したのだから、喜んでもらえるものを選びたい。かわいいグラスにも目がいってしまうけど、子どもっぽいのを選んでしまっては怒られそうだ。

このグラスは世界に一つだけという気持ちで選び、今度は二つ購入して、一つはもしもの時の予備としてどこかにそっとストックしておこうと思っている。
値段が高いとか安いとかではなく、愛着という視点で、また増えてきたものを整理してみようかな。

今回の出来事は、ものと自分をつなぐ関係性を思い出させてもらったような気がする。
さて、ワイングラスを探す旅にでも出かけようか。

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麻生要一郎さん

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あそう・よういちろう 1977年、茨城県水戸市生まれ。日々無理なくつくれる手軽なレシピの提案やエッセイを執筆。広いキッチンのあるスタジオでは、気の置けない友人たちを招いて食卓を囲んでいる。著書に『僕が食べてきた思い出、忘れられない味 私的名店案内22』(オレンジページ)などがある。