私らしく。 by 再春館製薬所

この生き方に憧れる#11

北大路公子さん
私は、機嫌のいい人になりたい。そんな時、いつも思い出す彼

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連載

常に機嫌よくいたいと思っても、疲れていたり、おなかがすいていたりする状況などでは難しいもの。エッセイスト・小説家の北大路公子さんは、そんな時に大学時代の友人であるY君が浮かぶそうです。今回は北大路さんに、ある元日のY君とのエピソードを綴(つづ)っていただきました。

機嫌のいい人になりたい。そう思った日をよく覚えている。

大学3年の元日のことだ。朝の4時半。私は心の底からムッとしながら、大学の友人たち10人ほどと初詣に向かっていた。ムッとしているのは、疲れていたからである。

前日の大晦日(おおみそか)、みんなで仲間の一人S君の下宿の引っ越しを手伝ったのだが、その疲労が全く抜けていなかったのだ。

なぜわざわざ大晦日かというと、「みんなが集まれる都合のいい日にしたら大晦日しかなかったんだよね」とのことであった。「みんな」ありきの姿勢が不思議だったが、その謎はすぐに解けた。彼の下宿がとんでもなく汚かったのだ。

いや、汚いだけではなく、彼は引っ越し準備らしきことを一切していなかった。
シワだらけの洗濯物が鴨居(かもい)からぶら下がり、脱いだ洋服は床に散らばったまま。コタツの上には古い雑誌と教科書とスポーツ新聞と生活用品とゴミが区別なく積まれ、シンクには汚れた食器が山積みで、布団は敷きっぱなし。

流しの下には明らかによくない気配を纏(まと)ったなんらかの卵とフンがびっしりと貼り付いている。聞けば入学以来一度も掃除をしていないそうだ。

「布団くらい畳んでおけよ」
「食器くらい洗っておけよ」
「なぜこれで引っ越せると思った」

口々にそう言いながら荷造りと掃除に挑むも、やってもやっても終わりが見えない。暖房はなく、冬の日は短い。寒さと空腹と怒りと悲しみに翻弄(ほんろう)されながら、ようやく作業を終えた時には既に夜だった。

そのまま買い出しと料理を経て、S君の新居で年越し。寝る時間などほぼなかった。
そうして迎えた元日の朝である。

疲れきった私に
Y君がかけた言葉

初詣に向かう私はひたすら無言だった。口を開いた瞬間、
「ねむいだるいさむい歩きたくないぜんいんにせんえんやるからいますぐタクシーよべ嘘(うそ)だよむしろお前らが私にせんえんくれ」
と延々呪詛(じゅそ)が漏れ出しそうだったからだ。

まるでゾンビじゃないか、と思ったその時である。信じられない言葉が聞こえた。

「ああ、気持ちがいいなあ!」

見ると、Y君が満面の笑みで夜明け前の空を見上げている。きれい好きの彼は前夜の引っ越し作業で何度も悲鳴をあげていたのだが、そんなことなどなかったような澄んだ笑顔だ。
驚くゾンビに彼は言った。

「なんかみんなでこうして新年迎えてさ、うれしくなるよな。楽しいよ」

いまでも疲れた時、おなかがすいた時、怒りと悲しみの区別がつかない時、地獄のように散らかったS君の下宿とともに、彼の笑顔が浮かぶ。

機嫌のいい人になりたい。

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北大路公子さん

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きたおおじ・きみこ 北海道札幌市生まれ。2005年にエッセイ集『枕もとに靴 ああ無 情の泥酔日記』(新潮社)でデビューして以来、あまたの新聞、雑誌にエッセイや書評を執筆。著書は『生きていてもいいかしら日記』『すべて忘れて生きていく』(全てPHP研究所)、『苦手図鑑』(KADOKAWA)、『いやよいやよも旅のうち』『キミコのよろよろ養生日記』(全て集英社)など多数。