ヒット作を生む源は
矢部家の日常にあった?
ごみを捨てに行ったはずが、逆にごみを拾って帰ってきたり、流れるプールを「流されるプールだ」と言ってあえて水流に逆らったり。『ぼくのお父さん』で描かれる「お父さん」は一見突拍子もない行動で「ぼく」を振り回しながらも、常識にとらわれない自由な考え方を示してくれる大人として描かれています。太郎さんの父親であるみつのりさんは、実際に子どもとどのように向き合ってきたのでしょうか。
みつのりさん 「子ども向けの(工作などを教える)造形教室を開いていましたが、そこでは"正解"は教えませんでした。大人は知識がある分正解を探しますが、子どもはまだ知識がありません。そんな子どもが世界をどう見るのか。彼らが見ている世界を子どもの後ろから、僕も見てみたいと思ったんです」
太郎さん 「"正解"が無い分、その"過程"を楽しんでいました。そのおかげか、いまでも何かを作ろうとする時に、なんとなく道すじが見えるんです」
みつのりさんの造形教室を子どもの頃から手伝っていたという太郎さん。当時からみつのりさんは、太郎さんのある才能に気がついていました。
みつのりさん 「太郎が小学生の頃、日常で起きたことを親戚に報告する『たろうしんぶん』を描いてもらっていました。普通、子どもは描きたいように描くと思うのですが、太郎は『見る人が楽しめるように』描いていたんです。当時からエンターテイナーだなと思っていましたね」
日常に創作する環境があった矢部家。「いつもユーモアがあふれていて、そんなに裕福だったわけではないけど、すごく幸せだった」と振り返るみつのりさんは、娘さんと動物園に行った時の思い出を元にした代表作・絵本『かばさん』(こぐま社)をはじめ、家族や日常の細部を作品の中に描いてきました。この「描く対象」について、太郎さんは自身と「似ている」と語ります。
太郎さん 「日常を描くのは、『そこに描くべきことがある』と思っているから。ドラマチックで大きな物語よりも、日常にある小さな物語を描いているのは、父と共通することですね」
「自分には描けない」と唸らせた
太郎さんならではの「表現」とは
そんな二人は、一昨年に親子合作というかたちで、紙芝居『うさぎとかめ』(童心社)を発表しました。みつのりさんが下書きを、太郎さんが仕上げを担当しています。みつのりさんは完成した紙芝居を見て、太郎さんのある表現に「自分には描けない」と感心したそうです。
みつのりさん 「最後のページの、かめがうさぎに勝つ場面。よく見ると、負けたうさぎに観客のねずみが四つ葉のクローバーを差し出しているんですね。この表現は僕が描いたラフにはなかったんです。太郎らしいやさしい表現で、素晴らしいと思いました」
かめを見くびって昼寝をし、競争に負けるうさぎを悪者として描き、「かめのようにコツコツ努力すべき」という教訓として語られることが多い『うさぎとかめ』ですが、太郎さんは「うさぎの表情がかわいらしく見えるよう意識した」と話します。
太郎さん 「最後まで走ったうさぎを一方的に悪く描かなくてもいいと思ったんです。読んだ子どもに『うさぎも好きだなあ』と思ってもらえたらうれしいですね」
しかしそんな表現も含めて、太郎さんは作品を「何かを伝えたい」と思って描いているわけではないといいます。
太郎さん 「描くことでその世界を『知りたい』んです。新作の『マンガ ぼけ日和』(かんき出版/原案・長谷川嘉哉)は、認知症患者とその家族の日常を描いた作品。母が長く介護の仕事をしていて興味がありましたし、今後僕が介護する立場になるかもしれない。今作は原作がありますが、『家族のことを描く』という意味ではこれまでの作品と同じ感覚なんです」
太郎さんの人生を変えた
大家さんから教わったこと
そんな太郎さんにも、例外的に「誰かのために描きたい」と思った作品がありました。それが、『大家さんと僕 これから』です。同じアパートの1階に住む「大家さん」と2階で暮らす「僕」の日常を描いたシリーズ2作目の同作は、1作目を読んで喜んでくれた大家さんへ感謝を伝える手紙のつもりで執筆したと太郎さんは話します。
太郎さん 「大家さんは、僕の干しっぱなしの洗濯物を取りこむだけでなく、畳んで部屋に置いておいてくれるような方だったのですが、当初は正直その距離感をわずらわしく思っていました。けれど、接していくうちに『自分のことを思ってくれているんだ』と感じるようになったんです」
節分など季節の行事を一緒に楽しんだり、新宿にも蛍がいたことを教わったり。日常にある景色の新しい見方を教えてくれる大家さんに「もらってばかりで何も返せていない」と感じていた太郎さん。ある日そんな気持ちを察した大家さんからの一言で、ハッとしたといいます。
太郎さん 「お裾分けをもらって恐縮する僕に、大家さんは『もらってくださるだけでうれしいの』と言ってくれて。その時、『(何かを)うけとること』は同時に『(何かを)あたえること』でもあると気づかされたんです。だからこそ2作目では、面と向かっては言えない感謝を、作品を通じてなら言えるかなと思って描きました」
次第に、お互いを必要とする関係になっていった太郎さんと大家さん。また大家さんは、太郎さんにとって漫画を描くきっかけをくれた人でもありました。
年齢にとらわれない
大家さんの「粋な」言葉
大家さんからことあるごとに「矢部さんはいいわね。まだまだお若いから何でもできて」と言われていたという太郎さん。大家さんの前向きな言葉に触れることで次第に年齢に対する考え方が変わり、漫画を描き始めた38歳の時も「まだ自分は18歳なんだ」と思いこむことで気持ちが楽になったといいます。
またこのような大家さんの年齢との向き合い方は、『大家さんと僕』の中にも描かれています。例えば、「87歳の夏は今しかない」という大家さんの言葉。これには、太郎さんもみつのりさんも「粋だ」と感心したそうです。
みつのりさん 「87歳の方からこの言葉が出てくるなんて! 僕はいま80歳ですが、大家さんが常に新しいことへの意欲や関心を持ち続けていたことにも驚かされます」
かつて「子どもの背中から世界を見てみたい」と話していた、みつのりさん。太郎さんの作品や表現を通して刺激を受けながら、現在も新しい作品に取り組むなど、その時の絆はいまも続いています。
うけとるだけではない幸せは、家族だけではなく僕たちの周りでも、友人・同僚・ペットなどいろいろなところで連鎖しそうだね!
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