私らしく。 by 再春館製薬所

中村ブレイス
人口400人の町から世界へ。パラ五輪出場を支えた技術力

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ストーリー

石見銀山のふもとにある、小さな小さな町。古い町並みの残るこの地で義肢装具をつくり続けて50年の中村ブレイスと、あるアスリートの二人三脚の物語。

2015年4月、中村ブレイスのもとに一通のメールが届きました。内容は、近畿大学水上競技部でパラリンピックを目指す部員にトレーニング用の義手をつくってほしいという依頼。選手の名は一ノ瀬メイさん。その春、大学に入学したばかりの先天性右前腕欠損症のスイマーでした。

大学から遠く離れた地にある中村ブレイスに依頼が来た理由は二つありました。一つ目は、同社が義肢装具のすぐれた技術を持つメーカーであったこと。

サポーターやコルセットなどのレディーメイド(既製)品、医療用のオーダーメイド義肢装具に加え、乳がんの手術などで乳房を失った人のための人工乳房や指、耳といった人工補正具は国内外で高い評価を受けています。「メディカルアート製品」と呼ばれるその製品は、本物と見紛うほどの完成度。その精巧さにぞくっとします。

肌の質感や爪のツヤまで実にリアルな義手。
肌の質感や爪のツヤまで実にリアルな義手。ネイルもOK。中央が、ちょっとゴツゴツした筆者の手。

そして二つ目は、それらの義肢装具製作の礎を築いた先代の中村俊郎さんが近畿大学の出身であったこと。この縁をきっかけに中村ブレイスと一ノ瀬さんは出会います。

依頼があってすぐに、中村宣郎社長は義肢・装具製作技能士の那須誠さんと共に近畿大学を訪れます。競泳の強豪である近畿大学水上競技部にとって、一ノ瀬さんは初めてのパラスイマー。生まれつき右肘から先がないため、どうしても右腕や右肩周りの筋力が弱いのです。

「メイさんは『リアルな義手は必要ない、鉄パイプむきだしの、ロボットみたいなカッコいい義手がいい』と、はっきりしたイメージを持っていました」

中村ブレイスが手がけてきた本物そっくりの義手ではなく、アスリートのトレーニングに特化した義手。それは同社にとって初めての試みでした。

試作と改良を重ねた義手が
一ノ瀬さんにもたらしたもの

型どりをして社に戻り、那須さんはすぐに製作にとりかかります。目指すのは筋トレに耐えうるタフな義手。まずは義手にトレーニング器具を「つかむ」「支える」機能を持たせることを考えました。

トレーニングの時だけ使うものとはいえ、「いかにストレスなく着けられるかが重要」と那須さんは言います。また、日常生活用の義手とは負荷のかかり方が違います。筋トレに耐えられる強度も、当然必要です。

ここで活躍したのが、中村ブレイスの強みであるシリコーンゴムの加工技術。靴のインソールに使用していたシリコーンゴムを使って、長年、製品開発をしてきた同社です。用途に応じた素材の選択や、手作業による繊細な加工には自信がありました。

中村ブレイスの強みであるシリコーンゴムの加工技術
一ノ瀬さんの義手は、シリコーンゴムのインナー、シリコーンライナー、ハードソケットの順に3段階で装着する仕組み。密着状態になることで腕にフィット。負荷がかかっても外れることはなく、トレーニング内容に合わせて手先具が替えられる構造です。例えばチューブトレーニングではカラビナフックを、バーベル上げや懸垂をする時には保持用金具を、というふうに。
中村ブレイスの強みであるシリコーンゴムの加工技術2
装着する際はこのように。ヨガの際など、体のバランスをとる役割を果たします。先端を金属製の手先具に替えれば、トレーニング器具に引っかける、固定することが可能に。

最初の訪問からわずか1カ月後。中村社長と那須さんはサンプルを持って再び近畿大学を訪れます。

「カッコいい!」

一ノ瀬さんの第一声にホッとしたという中村社長。

「喜んでもらえてうれしかったですね。私たちにとってやはり第一印象は重要ですから」

その後、パイプの長さやソケットの深さなどの改良を重ね、義手は完成。一ノ瀬さんはトレーニングに励み、課題であった右上半身の筋力を強化。「できることが増え、泳ぎが大きくなった」と実感した成果は、ほどなく表れました。

迎えた2016年3月のリオデジャネイロ・パラリンピック派遣選手選考会。一ノ瀬さんは200m個人メドレーで自身が持つ日本記録を4秒も上回る大記録を出し、見事、パラリンピックへの切符をつかみます。

荒木さんの話している写真
義手を着けてトレーニングする一ノ瀬さん。義手を使うことで徐々に筋力がつき、大学の終わりごろにはそれまで全くできなかった懸垂や腕立て伏せもできるように。(写真提供:一ノ瀬メイさん)

点が線に、そして輪になって——
未来のためのパートナーシップ

現役引退後も、中村ブレイスと一ノ瀬さんの関係は続きました。2023年にパートナー契約を結び、「チーム中村ブレイス」を結成。

陸上の短距離走にチャレンジする一ノ瀬さんのために、大ベテランの義肢装具士・大森浩己さんも加わって義手を製作。スタート時に地面に手をつくことや走る時のことを考え、両腕の長さをそろえて軽量化。「ちょっとした違和感」をなくすために、やりとりを重ねました。 「チーム中村ブレイス」の結成には一ノ瀬さんの強い思いもあったと言います。

「競泳選手時代は、規定により所属大学以外の名前を背負って大会に出ることができませんでした。ずっと支えてもらった中村ブレイスさんのことをアピールする場がほしいと思っていたので、『チーム中村ブレイス』として出ることができてうれしかったですね。こんな会社があることを知ってもらいたかったし、他の選手たちにも自分のようなモデルケースがあることを見せたかった」

人工補正具の手部の色つけをする那須さん
人工補正具の手部の色つけをする那須さん。シリコーンゴム用の顔料は6色のみ。混ぜ合わせ、自作の道具で内側から重ね塗りすることで血管やシワ、指紋まで再現。

一ノ瀬さんとの取り組みをきっかけに、中村ブレイスによるアスリートのサポートは次世代へもつながっています。一ノ瀬さんの紹介でやって来た、同じく近畿大学の南井瑛翔選手にもトレーニング用の義足を製作。南井選手は2024年パリ・パラリンピック競泳の代表に内定しました。

最後に、その後もモデルやハーフマラソン、講演活動、環境問題への取り組みなど次々と新しいことに挑戦し、周囲を驚かせ続ける一ノ瀬さんについて中村社長に尋ねてみました。

使う人に喜んでもらえたら、うれしい。だから日々、考える。
作業場に掲げられた社是。使う人に喜んでもらえたら、うれしい。だから日々、考える。

「障がい者とか健常者とか関係なく、誰もが殻をやぶって表に出ていくためのサポートは、私たちのやりたいことでした。自分たちだけではできないことを、エネルギッシュなメイさんを通じて実現させてもらっている感じです。たまに『そんなこと本当にできるの?』という時もあるのですが、私たちもメイさんに負けないようについていかなきゃ......」

笑いながらそう話す中村社長の隣で、一ノ瀬さんのリクエストを受けて新たな義手製作に取り組む大森さんもほほえみます。「できるかなぁ」なんて言いながら、二人ともなんだかとても楽しそう。

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中村ブレイス

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1974年、現会長である中村俊郎さんが地元である島根県大田市の大森町で創業。アメリカで学んだ技術を生かし、シリコーンゴムを用いた義肢装具などを製造する。また、「再び世界に誇れる町」を目指し、古民家を自力で買い取り、ゲストハウスやオペラハウス、図書館などに再生。2018年より息子の宣郎さんが社長に就任し、その理念と事業を引き継いでいる。