私らしく。 by 再春館製薬所

一ノ瀬メイさん
私を障害者にするのは社会。発信する元アスリートの覚悟

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ストーリー

2016年、リオデジャネイロ・パラリンピック競泳に出場し、現在も7種目で日本記録を持つ一ノ瀬メイさん。引退後もさまざまな分野で挑戦を続ける背景には「社会から障害をなくしたい」という、現役時代から変わらない思いがありました。

「自分はなんのために泳ぐのか?」
競泳パラリンピアン・一ノ瀬メイさんは、2023年3月に京都で開催された「TEDxKyoto」に登壇し、パラリンピックを目指していた当時の自分についてこうスピーチしました。

「何度も自分に問いかけ、ある時、その目的が分かったのです。周囲に認められるだけの成績を残し、自分の主張を伝えるためだ、と。水泳は、自分に自信を与えてくれるものから主張を聞いてもらうための手段となりました」

生まれつき肘から先がない先天性右前腕欠損症の一ノ瀬さんが水泳を始めたのは、1歳半の頃。両親とともに家の近くにあった京都市障害者スポーツセンターのプールに通い、泳ぐことを覚えました。

水泳だけでなく、クラシックバレエ、タップダンス、シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)、習字と、幼い頃はいろんな習い事に挑戦したという一ノ瀬さん。「好きというより、その中でたまたま結果が出たのが水泳だった」とふり返ります。

一ノ瀬さんの才能は徐々に開花。学校では同級生よりも速く泳ぐことができ、全国大会で優勝。やがてパラリンピックを目指すように。13歳で日本代表に選ばれ、史上最年少選手として出場したアジアパラ競技大会では50m自由形で日本記録を更新し、銀メダルを獲得します。

結果を残さないと
伝わらないんだ、と気づいた

しかし、その華々しい活躍の陰で、この頃の一ノ瀬さんはある思いを抱えていました。生まれ持った腕のために、実際にはできることも見た目で「できない」と判断される社会の不条理。障害の有無を理由に水泳教室への入会を断られたり、健常者の大会に出場した時にはルール違反で失格になったりしたことも。両手で同時に壁にタッチするというルールがあるからです。

「私を"障害者"にするのは、この腕ではなく社会。結果を残さなければ、自分の言いたいことも聞いてもらえない」。水泳で認められ、自分の思いを発信したいという意識が芽生えました。

トレーニング用義手は、中村ブレイス(島根県大田市)の製作。この義肢装具メーカーとの出合いが一つの転機となった。

根っからの負けず嫌いと確固たる目標、怒りを原動力に練習に励み、一ノ瀬さんは2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの舞台に立ちます。その後、2021年に現役引退。引退会見では「発信の手段としての水泳は手放す決心をしましたが、社会から障害をなくしたいという目的は一切変わりません」とまっすぐに語り、その姿は揺るぎない意志を感じさせるものでした。

とはいえ、「引退は怖かった」と胸の内を明かしてくれた一ノ瀬さん。大きな目標に向かって目の前のメニューをひたすらこなしていくルーティンの生活から一変する戸惑い。そして、泳ぐ以外、自分に何ができるのか、自分はどこでどんなふうに求められるのか。やはり不安はあったのです。

すべては思いを伝えるため——
現役引退後に始めた新たな挑戦

「水泳のない生活に慣れるまで時間がかかった」とは言うものの、現役引退後も思いはブレることなく一貫していました。陸上の大会に出たり、モデルやハーフマラソンに挑戦したり。講演会では自らの経験を基にして、パラスポーツはもちろんのこと、多様性を受け入れる社会のありようや、使い捨てプラスチックゴミの削減プロジェクトの取り組みについて話すこともあり、活躍の場は多岐にわたります。

ですが、一ノ瀬さんにとってこれらはすべて自分の思いを伝える手段。どんな時も「『正直であること』を大切に、思いと行動を一本の線にのせることを心掛けて」活動しています。

2023年には、大学時代から筋トレ用の義手製作でお世話になってきた義肢装具メーカー・中村ブレイス(島根県大田市)とパートナー契約を結び、「チーム中村ブレイス」を結成。現役時代、ともに切磋琢磨した仲間たちに声をかけて、11月に開かれた日本パラ水泳選手権大会の混合メドレーリレーに出場しました。

「参加したのには現役選手への思いもありました。『パラスポーツ』とひと口に言っても、みんなハンディキャップがそれぞれ違っていて、お手本にできる選手がとても少ないのです。現役の選手が国内で見本とする泳ぎを見る機会を持てないのは、パラ水泳の発展においてマイナス。だから、できるだけいろんな体の選手に声をかけ、その泳ぎを後輩に見てもらえる機会をつくりたかった。『チーム中村ブレイス』はその第一歩なんです」

「スポーツにどれだけいろんな形があるか、その可能性について感じることができた」と一ノ瀬さん。東京レガシーハーフマラソン2023のゴールシーン。

「パラリンピアン」としてのスポーツ分野での貢献にとどまらず、「一ノ瀬メイ」として新たなフィールドで表現を続けるのには理由があります。

「障害だけでなく、国籍や性別などいろんなバックグラウンドを持つ人が、メディアをはじめ人前に出ていくことが大事だと思うのです。『そういうのいいよね』ってみんなが思う社会に変わっていけたら。一つずつオセロをひっくり返していくようなイメージかな。いまはそんな思いで、いろんなことに挑戦しています」

自分の弱さや痛み、怒りとも向き合いながら突き進んだ現役時代を経て、一ノ瀬さんはいま、自分らしく、しなやかに発信することを楽しんでいるようです。

「一番サステナブルで大切なものは、自分の内側にしかないのかもしれません。痛みや怒りが連れてきてくれたこれまでの旅には感謝をしていますが、サステナブルな原動力が導いてくれる新しい旅にワクワクしています」

冒頭のスピーチをこう締めくくった一ノ瀬さんは、これからどんな道のりを歩んでいくのでしょう。新しい旅はまだ始まったばかりです。

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写真(トップ):Takako Noel

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一ノ瀬メイさん

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いちのせ・めい 1997年京都府生まれ。1歳半から水泳を始め、史上最年少の13歳でアジア大会に出場。2016年、リオデジャネイロ・パラリンピックの競泳8種目に出場する。2021年の現役引退後は「ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良好な状態)」「サステビリティ(持続可能性)」「ダイバーシティ(多様性)」を軸に幅広く活動を続けている。