本当に大切なことって
いったい何だろう
新聞社を50歳で早期退職する直前、入社以来一度も取れなかった有給をまとめ取りし、長年の夢だった南インドのアーユルヴェーダ・リゾートに20日間滞在した。
海辺で連日マッサージ三昧(ざんまい)というバチが当たりそうな贅沢(ぜいたく)。でもここはれっきとした治療施設で、毎日マッサージの前に必ず敷地内の病院へ行き、ドクターの面接を受けるのである。
つまり、いわゆる「病気」ではなくともここでは病人扱いをされるのだ。確かに誰しも、肩がこるとか胃もたれがするとか寝付きが悪いとか、さまざまな不調を抱えて生きている。人類みな病人と言えないこともない。
面接のパターンは毎日ほぼ同じ。
「調子はどう?」と聞かれ、「喉がちょっと」などと言うと、ドクターは「痛みはあるの?」と聞きながら血圧と脈を測り、「大丈夫、ふだんどおりですよ」とにっこりし、その日のマッサージの内容説明をして「エンジョイ!」と気合を入れられお別れ。
私はこの面接がとても好きだった。
めくるめくマッサージより好きだったりして。
なぜこんなに好きなのかとぼんやり考えていたある日、面接の最後にこう言われてちょっと衝撃を受けた。
「ソー、エミコ アーユーハッピー?」
仏像のような笑みを浮かべ、私の目を見つめるドクター。からかっているわけでも深刻に心配しているわけでもない、でもちゃんと聞いておきたいの、という気持ちが伝わってくる。
予期せぬ展開に「イエス、アイムハッピー!」「喉の調子もいいし」と慌てて答える私。ドクターはそうよかったとうなずきそのまま別れたんだが、その質問はいつまでも私の中に残った。
アーユーハッピー? いったい日本の医者で、そんなことを聞く人がいるだろうか。考えてみれば、病気を治すというのは手段であって、ほんとうに大切なことはその人が幸せかどうかである。逆に言えば、仮に病気が治らなくたって幸せであればそれでいいのである。
幸せとはいったい何だろう。
生きることも幸せになることも
思ってたよりずっとシンプルなのかも
ふと、わが老いた母のことを思った。目下体調も気力もすぐれぬ母の最大の敵は、医者なのだ。
不安なこと、助けてほしいことはいっぱいあるのに取り合ってくれない、薬ばかり増えると、病院へ行くたびに不信と悲しみを募らせ帰ってくる。たぶん母の説明が要領を得ないのだろうし、医者が何でも解決してくれると思っているのも甘い。
でもきっと母に必要なのは、ただ、うんうんと聞いてくれること、そして「アーユーハッピー?」と気にかけてもらうことなんじゃないだろうか。
そうか、だから私はここの病院が好きなのだ。
ドクターは毎朝私の顔を見るなり「元気だった?」と笑顔でハグしてくれて、何かあったらいつでもいらっしゃいと念押しをする。
そう言ってもらえると、少々体調が悪くても「だいじょうぶ。アイムファイン!」と満面の笑みで答えてしまい、実際に元気が出てくる。幸せとは結局のところ、あなただいじょうぶですか、ハッピーですかと気にかけてくれる人がいることなのだ。
生きることも幸せになることも、私が考えていたよりずっとシンプルなことなのかもしれない。
そう思ったら目の前がパッと開けた気がした。私は人を幸せにすることができるし、そうなればきっと自分も幸せ。会社を辞めようがこれからどうなろうが、何を怖がることがあるだろう。
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