私らしく。 by 再春館製薬所

岩川ありささん
休んでも、楽しんでもいい、と自分に言えるようになった転機

story ストーリー| # # # #

ストーリー

生きることに精いっぱいで、気がつけば息つく時間を持てていなかった——。そう話すのは、文学研究者の岩川ありささん。全てを仕事につなげてしまっていたという岩川さんに、趣味を楽しむ人たちから学んだことについて書いていただきました。

はじめまして。岩川ありさと申します。私は、人の心の傷つきと言葉や物語の関係について研究している日本文学の研究者です。毎日、本を読み、文章を書いて生活しています。

朝は6時に起きてごはんを食べて、散歩をして日の光を浴びてから執筆をし、手が止まったら、研究に関連する本を読みます。
お昼ごはんはクッキーと豆乳。午後はいろんな人と会ったり、エッセイを書いたり、勤めている大学で教えたりします。

こうして一週間が過ぎてゆくのですが、実は、私、趣味がないんです。

小説やマンガを読むこと、ドラマやアニメを見ること、ゲームをすることなどが大好きです。こう書くと多趣味と思われるのですが、実は、これらは生きるための水や空気みたいなもの。なくなったら、自分が生きられないという感じなのです。

私は、心の傷(トラウマ)について研究してきたので、苦しい時に寄り添ってくれる物語が人を支えていると考えています。私自身も、苦しい時、さまざまな物語が自分を支えて生かしてくれたと感じています。

でも、水の流れを見つめるとか、空気を味わうとか、そういった時間が最近なかったなと気がついたのです。

私は、2025年2月に、エッセイ集『養生する言葉』(講談社)という本を刊行しました。心の傷つきや生きづらさについて、さまざまな物語を読みながら考えてきたのですが、私自身も生きづらさがたくさんある人生です。だから、生を養うヒントになる言葉を集めたエッセイを書きました。

私は、生を養ってくれる言葉や物語を毎日読んでいます。それが自分を支えてくれているのです。ところが、いつも書くこととつなげてしまって、何にも考えずに続けられる趣味がないことに去年気がつきました。

生きることに精いっぱいで息をつく時間や休むことを忘れていたんですね。「あそび」がない状態だったのかもしれません。趣味が楽しめないでいました。そこで、趣味を楽しんでいる人をじっと観察してみました。

気がついたのは、みんな、楽しいからやっているということでした。ぐいぐいゆくマインドではなくて、いま、この瞬間が楽しいというきらきらした光が見えました。趣味っていうのは楽しい時間そのものなんですね。楽しいから趣味なんだと私は気がつきました。

いま、私は新しい言語を学ぼうとしているのですが、勉強をしないといけないと思っていたんです。けれども、新しい言語を覚えるのが好きな人に話すと、「うわー、すごく楽しい経験になるよ」と言ってくれたんです。楽しいから趣味になるんだなと大きく自分の考えが変わってゆきました。

そうして、楽しい時間、ぼんやりと何かをする時間をつくってゆくうちに、私は急ぐことをやめて、誰かと呼吸を合わせる生き方をするようになってきたように思います。

過程を楽しむうちに
できるようになったこと

私は、せっかちで、最初に答えを求めがちでした。でも、ある時から、ゆっくりと息をしたり、歩いたりするようになりました。春には草花が芽吹き、夏には陽炎(かげろう)が上がり、秋には紅葉、冬にはしんとした空気。そういう変化に気がつくようになりました。

そして、呼吸が整ってくると、誰かと話す時にも、相手との間合いが伝わってきて、待つことができるようになってきたのです。

のびのびと待つ。このことは誰かと一緒にいる時にとても大事なことなのですね。
答えを求めたり、情報として理解しようとするのではなくて、味わい深い一期一会があります。私は、いま、そうした他者との関わり方を心の底から楽しんでいます。おそらく、過程を楽しめるようになったから生じた変化なのでしょう。

お茶をいれる時、茶器を温めてみたり、時間をかけてみたりもします。でも、実はとても怖かったんです。時間をロスしないかとか、「コスパ」が悪いんじゃないかとか。
ところが、お茶の香りは毎日変わるし、日の光の中ではうっすらと違う色味だったりして、面白い。

過程というのは宝物だったと気がつきました。過程を楽しむ時間をとってあげると自分の体や心の声が聞こえてきます。誰かが決めた評価ではなくて、心地いいという自分の声を聞いてみると、自分にしっくりくる時間が見つかって、幸せだなとしみじみ。
だから、人生で過ごす全ては宝物なのです。

時々、自分につらくあたってしまうことがあります。いまどんな調子ですかと自分に聞いてあげるのを忘れていることがあります。

私は自分をケアすることがあまり得意ではありません。
自分に優しくするとか、丁寧に暮らすことができたらよかったのですが、私はめんどくさがりやだし、その気力も出ないこともあります。

けれども、いままで生きてきて学んだこともあります。
やらなきゃいけないとか、やるべきとか、らしくあらねばならないという考えから、こうすれば気持ちいいなとか、まあ、適当にでいいから一度やってみようと思えるように、自分が変わってきたということです。

今日も自分はよくやったなと思いながら、じっと手を見ながらハンドクリームを塗るような時間ができてきたりしました。スキンケアも、以前はやらなけりゃいけないタスクのように感じていたのですが、ゆっくりと過程を楽しむと、毎日、肌は違っていて、面白い。
めんどくさがりなところは全然変わらないけれど、楽しむことができるようになったのは大きな収穫でした。

つらい時、苦しい時に
自分にかけてほしい言葉

なぜこういう変化が起こってきたのかと考えると、やはり人とのつながりかなと思います。周りにいる人たちが自分を大切にしたりケアする姿を見て、こんなふうに自分を大切にすることができるのかと学んだんです。

ゆっくりとお茶を飲む人、空を見るのが好きな人、散歩をする人、コスメが大好きで試行錯誤する人。みんな、その時間を楽しんでいる。

過程を大事にするゆっくりとした時間を見ていると、効果を得ようと一足飛びの発想だった自分から、自分を長く大切に養生しようという思いへと変わっていったように思います。

心が傷ついた時、人は何もしたくなくなったり、苦しさの嵐にのまれてしまいます。そんな苦しみが起こらない社会や世界をつくることが何よりも大事なのですが、いま、つらい時には自分を大切にしてあげる時間をつくってほしいと思います。

休んでもいい、楽しんでもいい。
どうかそんなふうに自分に言ってあげてください。現在は、世界中で戦争や虐殺にあふれる時代でもあります。そんな苦しみのある世界を変えて、みんなが楽しく暮らせるようになればそれはとても幸せなことだと思います。

他の誰かがこの世界を楽しく生きる姿を思い浮かべる時間を持つこと。それは日々の生活のあちこちに必ずあると思います。 〈寄稿〉

更新

岩川ありささん

  • twitter

いわかわ・ありさ 1980年、兵庫県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専攻は現代日本文学、フェミニズム、クィア批評、トラウマ研究。著書に『養生する言葉』(講談社)、『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)などがある。