私らしく。 by 再春館製薬所

鞍田愛希子さん
「何歳からでも、生き直せる」。自然の力で、心と体を整える方法

story ストーリー| # # #

ストーリー

立ち止まっても、また歩き出せる──そう勇気づけてくれるのは、思ったより身近なものかもしれません。長年、植物を介したケアに取り組む「Atelier Michaux(アトリエ・ミショー)」の鞍田愛希子さんは、4年前に独自の就労支援施設を立ち上げました。活動を通して見えてきた、心と体を整える「環境の力」について迫ります。

東京都のほぼ中心に位置する小金井市。
"はけ"と呼ばれる崖地や湧き水、そして雑木林が点在する自然の息づく街です。
その一角に、就労支援施設「ムジナの庭」はあります。

「一般社団法人Atelier Michaux」代表の鞍田愛希子さんがこの施設を開いたのは2021年。生活や就労に障害のある方が、自分らしい働き方を見つけるための場所として誕生しました。

緑に囲まれた建物では、草花の手入れや庭仕事をはじめ、手仕事や菓子製造など、人が少しずつ自分を取り戻していくための"作業"や"プログラム"が日々おこなわれています。

ぐるりと緑に囲まれる「ムジナの庭」。建築家の伊東豊雄が1979年に設計した名作住宅を福祉施設に改築しました。

原点にあるのは、
植物のある暮らし

鞍田さんの原点には、いつも植物がありました。
「祖父母の家には大きな松の木や盆栽があって、果物を摘んだり、チャボが卵を産んだり......。自然と暮らしが当たり前のように溶け合っていて、その様子が私の原風景となっています」

大学では環境アートを学び、ランドスケープデザインに関心を持つように。卒業後は「働きながら学びたい」と植木屋の道へ進みます。体力勝負のハードな日々の中で、学生時代から悩まされていた不眠がいつしか落ち着いたそう。

樹木の名前を次々と教えてくれる鞍田さん。「元・植木屋のさがか、思わず『この木、登れるな』と見てしまいます」。

「結局は運動不足だった。植木屋の仕事では、命綱を着けて、木のてっぺんまで登る仕事もあるんです。20 mもの高さの木に登ると、地上とはまるで違う景色が広がっていました。光も、風の感覚も違って、それまで味わったことのない爽快感を覚えたんです」

体をちゃんと使ったり、視界や環境を変えること。案外単純なきっかけで、心と体は整うこともある。身をもって気づいた瞬間でした。

庭で摘んだハーブを蒸留する器具も。アロマやリンパマッサージ、おきゅうなど、五感に働きかけるケアをおこなう。

その後花屋に転職し、ウエディングや供花(きょうか)を通して、人の感情を支える草花の力を実感。やがてアロマや植物を使ったワークショップを始め、かつての自分のように心や体に不調を抱える人たちと関わるようになります。

切実な悩みに対応するため、専門的な勉強の必要性を感じた鞍田さん。福祉の専門資格を取得し、福祉施設やフリースクールなどで現場経験を積みながら、これまでの経験を生かした新しいケアの実践の場を模索します。

植物を用いた一般向けのワークショップを不定期で開催。写真は「小石川植物祭2023」でおこなわれたアロマミストづくり体験の様子。(写真提供:ムジナの庭)
青空の下、小石川植物園で採集した月桂樹やヒノキを活用したオリジナルアロマのブレンドを体験。身近な植物を五感で体感するきっかけとなった。(写真提供:ムジナの庭)
「ムジナの庭」周辺で植物を採集し、植物標本の素材として制作するワークショップをおこなうことも。形や色、学名など、植物の背景に触れることができる。(写真提供:ムジナの庭)

「失敗しても大丈夫」と
思える場所を

「ムジナの庭」のスローガンは、「何歳からでも、リスタートできる社会へ」。
年齢も、利用期限も上限のない「就労継続支援B型事業所」としての開設にこだわったのは、再チャレンジへのハードルを下げられるようにするためです。例えば就労や結婚などで施設を"卒業"した後にうまくいかなくなったとしても、また戻ってやり直せることを鞍田さんは重視しました。

"失敗しても大丈夫"、"もう一度やってみよう"。
前向きな気持ちを保ち続けることは、簡単ではありません。だからこそ、いいことも悪いことも起きる人生に寄り添いたいと、鞍田さんは「いつでも帰れる家」のような場所を目指しました。

黙々と取り組みたい人、おしゃべりしながら作業したい人。それぞれの気持ちに寄り添い、作業は進められる。

「ムジナの庭」にふさわしい場所を探す上で、譲れない条件がありました。
光や風がすっと通ること、そして庭があること。

「うつろいゆく季節をどこにいても感じられるように。手仕事をしながらも自然と五感が刺激されていく"環境"をつくりたい」

ある時運命的に出合ったのは、日本を代表する建築家・伊東豊雄が1979年に手がけた名作住宅「小金井の家」。ご縁がつながり、伊東氏の事務所にゆかりのある建築ユニット「o+h」に改修を依頼しました。元の設計を生かしつつの改修は、鞍田さんが大切にしている環境因子を言語化していく作業でもありました。

吹き抜けに面した2階の壁。改修時に新たにつくられた小窓からも、周辺の緑や日の光を感じられるように。

開設から4年。
庭では果樹やハーブがすくすくと育ち、四季折々の表情を見せます。
庭仕事をする時間はもちろん、花の前でぼうっと過ごすひとときも、ここでは大切な時間。

庭で採集したレモングラスなどは乾燥させ、お茶やクラフトに利用する。

「植物ばかりが特別、というわけではないんです。人間以外の"何か"──裁縫道具でも、木工でも、お菓子でもいい。自然やものと関わる時間の中で、作業に没頭することで孤独を楽しむ力が育まれていく。没入体験は、"個"としての自分を取り戻す時間にもなるんです」

「環境を選べること」が
生きやすさをつくる

2024年7月、鞍田さんは新たな施設「こらだ環境研究所(通称・こら研)」を小金井市に開設しました。

"こらだ"とは、精神科医・中井久夫による"心と体を一体のものとする"意味合いの造語です。自己理解や生活スキルを深めるために、こら研では心、体、生活・環境、調理といった領域ごとに分けたプログラムを設けています。

「他人との心理的な境界が曖昧にならないよう、"自分"と"自分以外"を切り離す訓練が自律への第一歩。集団の中でも"個"として立てるようになることで、さまざまな環境にも適応しやすくなるといわれています」

対話の場でも、どう振る舞うかの「選択肢」が準備されています。
毎週火・木曜はみんなで買い出しへ出かけ、昼食を作る。訪問日はちょうど誕生会のごちそうの準備中。「個人の記念日を仲間にお祝いされる」体験の提供も、大切にしています。

施設の新設は、鞍田さんが以前から重要視する「環境の選択肢」を増やすことにもつながっています。

「ある場所ではミスマッチでも、他の場所ではマッチすることがある。ムジナの庭での活動が負担に感じる人には、心身回復のプログラムに特化したこら研のような場所のほうがフィットするかもしれません。選択肢は一つじゃない、というメッセージを意識的にお伝えしたいですね」

「障害の有無に関係なく、植物や環境の力を生かしたケアは、誰にとっても必要なタイミングがある」と鞍田さんはいいます。

例えば、いつもとは違う通勤路を選ぶのも、「環境を選ぶ」ことの一つ。
鳥の声に耳を澄ましたり、道端の花の香りを吸い込むことも、五感をひらくことにつながります。
自分軸を見失いがちな時は、自分と他者の境界線に意識を向けてみるのもいいかもしれません。

私たち人間も環境の一部。忙しさに追われる日々のなかで、広く辺りを見渡すことで、気持ちがほどけるきっかけが見つかるはずです。

11月のオープンアトリエのティータイム(有料・予約制)で提供する「姫りんごのファーブルトン」。(写真提供:ムジナの庭)

「ムジナの庭」では、利用者以外に向けて、月2回オープンアトリエを開催しています。参加者の中には、心の疲れを癒やしに訪れるという人も少なくありません。

"何歳からでも、生き直せる"。
そんなふうに背中を押してくれる場所がある──。
いいことばかりではない人生の中で、そんな場所の存在自体が、「お守り」として心を支えてくれるでしょう。

ムジナの庭

こらだ環境研究所

文:藤田三瑚 写真:松本のりこ

更新

鞍田愛希子さん

くらた・あきこ 精神保健福祉士・社会福祉士。植木屋、花屋を経て、2011年に京都にて植物と哲学の実験工房「Atelier Michaux」設立。アロマカウンセリングや植物を使ったワークショップなどの個人活動を経て、2020年に法人化。2021年に「ムジナの庭」、2024年「こらだ環境研究所」を開設。