「人生100年」「先行きが不透明な時代」などといわれる現代。
これまでよいとされていたロールモデルが通用しなくなり、新たな生き方を模索する方も多いのではないでしょうか。
そんななか、これまでにない仕事や役割を自らつくり出し、新しいロールモデルとして注目されているのが桜林直子さんです。現在の肩書は、「雑談の人」。一見すると不思議にも思えるこの肩書には、どんな背景があるのでしょう。
自分で自分がわからない。
違和感から始まった「雑談」
2016年ごろから、noteというプラットフォームに自身の思考整理法についての文章を綴(つづ)り始めた桜林さん。すると次第に「私も自分の考えを整理してみたい」という読者の声が多く寄せられるようになりました。
「あなたも文章を書いてみては?」とすすめてみても、「うまく書けない」「そもそも書くのが苦手」と感じる方がほとんど。考えを言葉にしたい気持ちはあっても、その入り口で立ち止まってしまう人が多かったとふり返ります。
それなら、一人一人と直接話してみるのはどうだろう──
そうした発想から2020年にスタートしたのが、有料雑談サービス「サクちゃん聞いて〜わたしと雑談しましょう〜」です。
1回90分、マンツーマンでおこなわれる「雑談」は、2025年の時点で、のべ3,000回以上。昨年には、雑談に関する書籍も出版されました。
「自分の話」だけを
していい場所がない
雑談は苦手、という方は多いかもしれません。
でも、桜林さんが提唱する「雑談」は、世間一般でいわれるものとは少し異なります。
「雑談の定義は? とよくきかれますが、そもそも"雑"なので、何を話してもかまいません。一つだけ決めているのは、"自分の話をする"というルール。一人で考えてばかりだと、どうしても迷子になりがちですから」
「自分で自分がわからない」と感じている人にこそ、心の内にある欲や感情を外に出す機会が必要だといいます。桜林さんの役割は、どんな話も否定せずに、聞き続けること。時には話を細かく分解し、整理することもあります。
「自分の話を思い切りできる場所って、実はほとんどないんですよね。特に普段から"聞き役"に回りがちな人ほど、気持ちを言葉にする機会から遠ざかってしまう。私自身も、もともとそういうタイプでした」
「ちゃんと」をやめたら
本音が見えてきた
「場所がないなら、自分でつくる」。
そうして雑談サービスを立ち上げて、早くも6年がたちました。
数え切れないほどの雑談を重ねるなかで、見えてきたことがあります。
「前もって準備された話よりも、ふと出てきた話のほうに、本当の欲や感情のかけらが潜んでいることが多いんです。"ちゃんと話さなきゃ""よく見られたい"という意識があるかぎり、生身の感情は出てきづらいものなので」
正解を求める教育のなかで育った私たちは、社会に出てからも無意識に答えを探しがちです。
「でも、正しい答えなんて、本当はどこにもないはずでしょう」
体面や「〜べき」という義務感から離れ、90分間、自分の話を続ける雑談。正直に話そうとさえすれば、考え方のクセや、押し込めていた気持ちが少しずつ見えてくるのだそうです。
「なんでもかんでもさらけ出す必要はなくて。思っていないことは言わない。それだけでいい」、と桜林さん。
「長年ひっかかっていたことを話してみたら、"あれ? 意外とたいしたことなかったかも"と拍子抜けすることってありますよね」
道筋のない雑談だからこそ、絡まっていた糸がするっとほどける瞬間があるのかもしれません。
「足りない自分」を責める前に
知っておきたいこと
雑談の大切さを語る桜林さん自身も、30代に入るまでは自分の本心がわからず、苦しんでいたといいます。
「18歳の時に父が倒れてから、経済的に苦しい状況が続きました。とにかく稼がなくてはならなくて、自分のことはいつも後回し。人生うまくいかないな、と感じながらも、目の前のことをこなすので精一杯でした」
高校卒業後は"手っ取り早く手に職をつけられそう"と製菓の専門学校に進学し、お菓子屋に就職。23歳で結婚・出産するも、翌年には離婚し、シングルマザーに。追い立てられるような日々のなかで、自分の「欲」を引っ込めるクセが身についてしまったとか。
「我慢するのが当たり前」というゆがんだ前提に縛られ、必要以上の苦労まで背負ってしまう。そんな悪循環から抜けだそうと思えたのは、子どもが小学生になり、ようやく少し、余裕が生まれた頃でした。
手始めに取り組んだのが、これまでの自分をノートに書き出すこと。
「見ないフリをしてきたことや、嫌だったことまで、洗いざらい書き出して。一つ一つを捉え直していくうちに、現在の状況や今後の課題、さらには、つい卑屈になりがちな自分の考え方のクセまでがクリアになっていったんです」
そうして初めて、"半分の時間で2倍稼ぐ"という、今後の具体的な目標が生まれました。
見ないフリをやめたら
人生が動き始めた
目標が決まると、行動も大きく変わりました。
「"困りごとを起点に考える"ようになったんです。一つ一つの課題に対し、できそうなことを全て紙に書き出す。優先順位をつけて、順位の低いものはバッサリ手放すんです。いわば消去法で、やりたいことではなく"できること"だけを着々と進めていきました」
冷静な自己分析と状況分析は、大きな決断へとつながります。
「12年勤めた会社を辞めて、クッキー店を起業する」。
そうして2011年に立ち上げた「SAC about cookies」は成功を収め、「半分の時間で2倍稼ぐ」というミッションは、予想以上に早く達成されました。
桜林さんのクッキー店は、あっという間に人気店に。順調に営業を続け、もうすぐ10年目というタイミングで新型コロナウイルスが流行。ほかの飲食店と同様、休業を強いられます。
再び「困りごと」に直面した桜林さんは、休業期間中、改めて状況整理に取りかかりました。
その頃の桜林さんは、初めての著作を刊行し、冒頭で触れた「雑談サービス」もスタート。がむしゃらに進むなかで、いつのまにか「できること」が増えた一方、そんな自分とお店のあいだに、距離が生まれていたことに気づきます。
「できること」を最大限に発揮する方法を探りたい──。「困りごと」を分解するうちに、桜林さんは再び自分自身を見つめ直し、「次の段階」へと進むために大きな決断を下します。
渋谷区富ヶ谷で9年間営業した「SAC about cookies」はいったんクローズし、雑談サービスを軸に活動することにしたのです。
何歳になっても、
自分を知ることが武器になる
いまの自分に違和感を覚えるなら、年齢に関係なく、環境や考え方は変えられる。桜林さんはそう語ります。
「年齢を重ねた方ほど、歩んできた道が長いぶん、ふり返る材料がたくさんあります。積年の恨みなんかが噴き出すこともありますが(苦笑)、不満の裏側には、必ず"こうしたい"って願いが潜んでいる。どんな感情も、自分を捉え直す材料だと捉えてみてください」
とはいえ、いきなり自分一人で内面を掘り下げるのは、やはり難しいかもしれません。また、本音で話せる相手が近くにいないこともあるでしょう。そんな時に桜林さんがおすすめするのが、「本を読むこと」。
「本というのは、誰かの思考の塊です。例えば小説には、自分とは違う感じ方や行動をする人物が登場しますよね。"こんな考え方もあるんだ"という体験を重ねることで、他者を通して自分を省みることができるはず」
他人の言葉に触れることで、自分の輪郭が少しずつ見えてくる。
常に変化にさらされている現代だからこそ、自分サイズの歩幅を知っておくこと。自分を知ることこそが、よりよい未来への道しるべとなるのだと思います。
文:藤田三瑚 写真:松本のりこ
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