料理家・執筆家の麻生要一郎と申します。
皆さんの忙しい日々に、ほんの少し力が抜けるようなエッセイを毎月お届けしていきたいと思っています。
今回は、忍び寄る老化についての話です。
同じ年頃の友人たちと話していて、「不調を感じて病院へ行ったら、病名よりも先に『老化現象ですね』と言われてショックを受けた」という話題が出た。
人生100年時代と考えたら、もうすぐ折り返し地点にたどり着く。折り返してからも、まだまだ先は長いというのに、老化への入り口は思ったよりも早いものだと実感した。
病院のお世話にならないよう、健康にはできる限り気をつけている。
腰痛が悪化した時に友人の紹介で始めたピラティスには、定期的に通っている。日常生活の中では意識したところで伸ばせないような箇所も、マシンとトレーナーに体を預ければ、すっと伸びていくから不思議。一つの種目をこなすごとに、血のめぐりがよくなっていく感覚がある。
スタジオへ行く時の体は重いけれど、帰り道の体は軽い。
並行して通うパーソナルトレーニングも、すっかり習慣化した。書く仕事、料理の仕事どちらも姿勢が前傾になりやすい。最近のトレーニングでは、体をひねって前傾姿勢の矯正をするような動きが多い。程よい筋肉痛をまといながら、あっという間の90分。
他にも気まぐれに家の周りを走ったり、プールで泳いだり、体を動かすようにしている。どうにも疲れた時には、友人のセラピストにマッサージをしてもらう。サプリもいろいろ飲み、調子が悪い時にはマヌカハニーと梅肉エキスで整える。
とまあ、ここまでは健康優良な体裁を保っているが、実はこの20年くらい、検査の類いは一つも受けていない。
その間、家族の病院にはたくさん付き添った。
父親は僕が19歳の時、働き盛りの45歳で心筋梗塞により急逝。母親は僕が38歳の時、62歳で乳がんの再発が原因で亡くなった。母親の最期は自宅でみとれたのは幸い。しかし病院にいる時期も長かった。
廊下で担当医に会うと「お時間ちょっといいですか?」と呼び止められて、病院の廊下を一緒に歩いて行くこともしばしばあった。
何を言われるのかわからないし、もちろんいいことを言われるはずもない、ただただドキドキするのが嫌だった。
そういう経験から、病院というところへ足が向かなくなってしまった。
しかし、もう病名より先に老化が出てくるお年頃。早く亡くなった両親の分まで、長生きしなければ親不孝だと思い始めた。
病院や検査へ行きたくない言い訳に、「どこか西洋医学に対して納得いかないところがあって......」ともっともらしく話していると、家族のような友人のささやんに「どこが悪いかだけはちゃんと調べておいた方がいいですよ」と言われ、手始めに歯医者の予約をとってもらった。
次は先延ばしにしていた、人間ドックに行くことにした。
マネージャーの大ちゃんが、オプション満載にした予約の電話をしながら、日程調整にてこずっていたので、「ほどほどの検査でいいよ」とささやいてみると、「ダメです」と一喝された。
どうやらこの春は自分の体と向き合うことになりそうだ。
しかし、折り返し地点で一度きちんとメンテナンスしておけば、きっと大丈夫。
愛猫チョビだってもう16歳の高齢猫。
この先もいろいろなことがあるだろうけれど、仕事に励み、趣味をたしなみながら、適度な運動を心掛け、みんなで楽しく食卓を囲んでいれば、きっとどうにかなると信じている。
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