すてきなおじいさんには、問答無用で憧れてしまいます。その彼らが生み出す魔法にも。
いままでいろいろな先生に就いて学んできましたが、思えば学びたいと願って会いに行く先生はおじいさんが多かった。
台湾の神学者C・S・ソンは90歳も近かったですし、アメリカの黒人神学者のジェイムズ・H・コーンは70代の後半でした。
それぞれスーツをきちっと着こなして、語り出したら止まりません。2人とも最後まで筆を握り、言葉への情熱を絶やさなかった人たちでした。
好きなミュージシャンも、おじいさんであることが多いです。
例えばジョアン・ジルベルト。私は数ある彼の作品の中でも『ジョアン 声とギター』というアルバムが大好きで、いまでも毎年、夏が近づいてくると、そして夏が終わる頃にも、いや秋の始めにも終わりにも無性に聴きたくなって、いったん聴き始めるとそれから1カ月くらい延々とリピートしてしまうほどです。
これはジョアン・ジルベルト、最後のスタジオアルバム。タイトル通り構成は、ジョアンの枯れ葉のような声とギターだけなのですが、聴いてみるとこれ以外に音を足す必要は全くなかったのだろうと納得させられます。どれだけ音量を上げてもうるさくない奇跡みたいなアルバムだと思います。
そういえば『ジョアン・ジルベルトを探して』というドキュメンタリーがありましたが、映像がノスタルジックでとてもよかった。
リオデジャネイロでの公演を最後に雲隠れしたジョアン・ジルベルトを映画監督のジョルジュ・ガショが探しに行くという内容で、先生を求めて台湾やアメリカへとふらふらしていた自分の姿を見ているようで共感できました。
そうやってわざわざ遠いところまで出かけて行っても会えるとは限らないのですが、声だけでも聞きたいと思って探しに行くという旅自体がかけがえのないものになるということも。
年齢を重ねたからこそできる
可能性を体現している人たち
日本のミュージシャンで言えば、細野晴臣はテレビなどで姿を見かけるたびにすてきなおじいさんだなぁと、髪形をまねしたくなるほどに憧れてしまいます。
彼の作品は大好きなものばかりですが、やはりおじいさんへと一歩踏み入れた細野晴臣がつくった『HoSoNoVa』は、先ほどの『声とギター』に比肩(ひけん)する、静かな傑作だと思います。何度聴いたかわかりませんが、聴くたびにどこからこの音は降ってきたのだろうかと不思議になります。
音楽であれ、言葉であれ、心つかまれたものを最後まで追い求めること。すてきなおじいさんたちの姿を見ていると、そういう日々の積み重ねがあったのだろうなと想像してしまいます。そんな日々の贈り物として、あんなにも自由で、美しくて、魂まで届くような作品が生まれるのか、と。
結局、私がすてきなおじいさんたちに憧れてしまうのは、彼らが体現している可能性がまぶしいからでしょう。年をとってもできるではなく、年をとったからこそできること、そんな可能性をうらやましく感じてしまいます。
いまは書けない言葉も、訳せない言葉も、これから10年、20年、30年と続けていたらいつか納得するものができるのではないか。そんな日を楽しみに、そんな日が来るように、私は今日も彼らの声を聴いています。
更新