私らしく。 by 再春館製薬所

要一郎さんのほんのり脱力術#11

麻生要一郎さん
ぼやくより、あるがままを楽しむ。3分の2の花火

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頑張りすぎもよくないのにな——。頭ではわかっていても、つい欲張ったり、肩に力が入ったりしがちですよね。心にほんの少しの余裕があれば、自分にも周囲にも優しくできるのかもしれません。おだやかなまなざしで日々の生活を楽しんでいらっしゃる人気の料理家・執筆家・麻生要一郎さんに、脱力のヒントを教えていただきます。

料理家・執筆家の麻生要一郎と申します。
皆さんの忙しい日々に、ほんの少し力が抜けるようなエッセイを毎月お届けしていきたいと思っています。

今回は、自分なりの花火の楽しみ方についての話です。

夏の風物詩と言ったら、何といっても"花火"ではないだろうか。

わが家は千駄ヶ谷に位置しており、神宮花火大会は至近距離。
付近は、昼間から浴衣を着た若者であふれる。早めに帰っておかないと、交通規制も重なって大渋滞となる。
マンションの屋上、6階ならば、方角的にも見えるのではないかとひそかに思っていた。

以前は5階と6階に、僕の養親であった高齢姉妹が暮らしていたので、花火を見ることを遠慮していた。彼女たちは花火に興味がなく、とにかくおしゃべり、せっかちで、一緒に花火を見る感じではなかった。

いまから2年前、その部屋に誰も暮らす人がいなくなった夏、友人たちを招いて花火観賞会を催した。リフォームする前で、果てしない片付けの真っ最中、どうにか気分転換をしたかったのだ。もちろん「花火が見えるはず」という前提のもとに......。

飲み物片手に15人ほどが集まり、つまみを食べながら、さあいよいよと期待が入り交じり、花火が見えるはずの方向をみんなが見つめている。
ヒューードーーンと大きな音が聞こえるが、ビルの向こうに見えたのは花火のかすかな外輪だった。もっと大きな音が聞こえた時、花火の3分の2が見えた。その時、あぁここからは見えないのだな、と確信した。

僕の気持ちを察した、空気をよく読む友人が
「全然見えないね、アハハハハハ」
と笑い飛ばしてくれたおかげで、空気が軽くなった。

かすかにだけ見える花火、音の余韻、屋上から眺める都会の景色に、生暖かい空気。
夏の夜の空気感を存分に味わわせてくれたような気がした。その後のうたげも、大いに盛り上がった。

しかし、花火が見えなくては、花火観賞会にはならず。昨年はスケールダウン。
今年も晩ごはんのついでに、くらいの気持ちで、花火の時間を楽しんだ。

眼下を走る首都高速4号線、この道を走りながら眺める花火は綺麗だろうと思った。昨年も一緒に観賞した、友人で音楽家の平井真美子さんと、お互いの打ち上がった花火を撮った写真を眺めながら、「全部見えないのがいいのかもねえ」と思った。

毎年集まるのは、花火がどうしても見たいというよりは、忙しい日々の中で夏の情緒をちょっとだけ感じたい、そんな思いからじゃないだろうか。
そして、ひょっとしたら綺麗に見える瞬間があるかもしれないと淡い期待を心に抱き、花火が持つ徒花(あだばな)的な美しさ、それに通じる夏の夜のはかなさを楽しんでいる。

来年もまた、この花火大会を僕らは何人かで「見えないね」と言いながら、見るのだろう。

最近、屋上バーベキューがわが家で流行(はや)っている。来年は、バーベキューをしながら観賞というのもいいかもしれない。

人生と同じなのだろう。理想をただ並べてぼやくより、現状を受け入れ、理想とのはざまを楽しめばよい。

花火大会は秋にかけて日本全国で開催が続く。夜空に浮かぶ花火はかすかに見えるだけでもうれしいもの。すぐそばまで行かなくても、仕事の帰り道、あるいはちょっと散歩しながら、音が聞こえたら、見えなくても心が潤う感じがします。余韻に浸るだけでも。

皆さんも、自分なりの花火大会を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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麻生要一郎さん

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あそう・よういちろう 1977年、茨城県水戸市生まれ。日々無理なくつくれる手軽なレシピの提案やエッセイを執筆。広いキッチンのあるスタジオでは、気の置けない友人たちを招いて食卓を囲んでいる。著書に『僕が食べてきた思い出、忘れられない味 私的名店案内22』(オレンジページ)などがある。