私らしく。

自然の力を、もっと身近に#11

上田愛子さん
まいにちが生きものさまさま。若き養鶏家の「こっこ愛」

nature 自然のかけら| # #

自然のかけら

清らかな水が流れる佐賀県鹿島市の山あいに「上田養鶏場」はあります。自然の素材を食べ、近くの農家に分けてもらう籾殻(もみがら)を踏みしめて元気いっぱいに育つ鶏の平飼い卵は、色も形も味わいも個性豊かです。若き女性養鶏家が夢見る、「こっこ」たちとのしあわせな暮らしとは。

上田愛子さん

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うえだ・あいこ 1993年、福岡県生まれ。宮崎大学農学部で畜産草地科学を専攻。卒業後は飲食企業に就職し、2018年に養鶏部門へ異動。2020年に「上田養鶏場」を開設、平飼い卵のブランド「うみとやまとこっこ」を立ち上げる。料理人やパティシエにファンが多く、地元のスーパーやオンラインショップでもリピーターが増えている。

犬や猫はもちろん、金魚も亀も好き。たくさんの生きものに囲まれて育った上田愛子さん。子どもの頃は、獣医師か動物の看護師になりたかったそうです。やがて、畜産に興味を持って大学は農学部へ。

「牛が特に好きで、あのつぶらな瞳が。でも、実習中に牧草のイネにアレルギーがあることがわかって、牛の飼育に関わることは断念しました」

家では養鶏場で保護した猫・まるとじゃれ合うのが息抜きという上田さん。オンもオフも生きものの存在が欠かせません。

就職活動では、「飲食か畜産」の二択を念頭に企業を訪ね歩き、ある飲食企業が養鶏部門を持っていると知るや、「興味あります!」と食いつきました。「変わった学生だと思われたでしょうね、ふふ」と振り返ります。飲食企業で働くこと数年、人事を担当していた頃、養鶏部門の求人募集にくぎ付けになった上田さん。「私が行きます!」と立候補し、福岡から佐賀県鹿島市へ移住したのです。

卵がみるみるおいしくなった
ゼロから始めた地道な努力

有明海を望む山の中ほどに養鶏場を開いたのは、2020年。20代の女性が養鶏場を始めることは、決して簡単ではありませんでした。

念願だった畜産への思いを会社にぶつけて、「そこまでやりたいなら『上田養鶏場』の名前で好きにチャレンジしていい」と一任されたものの、「何から手をつければ」という不安だらけのスタート。

地域に知り合いはおらず、平飼い(地面の上で放し飼いにする飼育法)のノウハウもなし。飼料や飼育法の専門書を読みあさり、平飼いの養鶏場を見学しましたが、「誰かのマネをするのは違う。私は何をしたいんだろう」と悩みます。確かなのは、薬を使わずに、鶏たちが自らの力で元気に暮らせるようにしたいという思いだけでした。

鶏舎に敷く籾殻は隣町の米農家に分けてもらったものだそう。
鶏舎に敷く籾殻は隣町の米農家に分けてもらったものだそう。
鶏舎に敷く籾殻は隣町の米農家に分けてもらったものだそう。
鶏舎に敷く籾殻は隣町の米農家に分けてもらったものだそう。

待ったなしの課題は、鶏たちの健康の土台となる飲み水と飼料。幸い、飲み水は多良岳(たらだけ)山系の豊かな伏流水に恵まれました。「山のおいしい水を飲めばよく食べるんです。水とご飯はセットで大切、鶏も人間も同じだとこの地に来て気づきました」と上田さん。身近な素材を飼料に使ってみようと、初めは鹿島産の無農薬みかんと米ぬかを発酵させた飼料や、有明海産海苔(のり)を混ぜた飼料を自作しました。

「同じ土地の産品を生かした循環型の養鶏ができれば理想的だと思ったんですけど、原料確保が難しくて『100%』は達成できませんでした」

最初の1年は、飼料の配合が卵の味や栄養にどう影響するか、地道に実験を続けました。配合が安定しない時期は「卵の味が薄い」と取引先から言われ、焦りを抱えたことも。やがて、近隣地域から入手した米ぬか、きなこ、ニンニク、海藻、乳酸菌などを配合する飼料に落ち着きました。

ずっしりと重い卵を割ると、白身がモリッと揺れ、黄身は濃く甘い。「塩を振った卵かけご飯やゆで卵でシンプルに味わってほしい」と上田さん。

もう一つの課題は、鶏たちがのびのびと快適に暮らせる環境をつくること。晴れた日は運動場で目いっぱい遊べるようにしました。鶏たちは運動場の扉が開くのを今か今かと待っています。鶏舎に隣町の米農家に分けてもらった籾殻を敷いたところ、鶏たちはすこぶる気持ちよさそう。籾殻と鶏糞が混ざってゆっくりと自然発酵し、香ばしいサラサラの鶏糞ができれば鶏たちがすこやかである証しです。

「近くの農家さんが、すごくいい肥料になるって褒めてくださるんですよ。私の畑にもまいたら、ほったらかしでも立派な大根ができて感動しました! やればやるほど、生きものの命ってつながっているんだなって。自然の恵みをもらって暮らす母鶏が毎日元気だと卵がおいしくなって、鶏糞の状態もよくなる。答えが目にみえるんですよね。すこやかに暮らしてほしいと願い続けてきた養鶏が、事業として手応えを感じるようになってきたうえに、わずかでも地域の役に立つのはうれしい」

せめて命ある時は
元気に暮らしてほしい

養鶏場を開いて4年の道のりを振り返り、上田さんは鶏たちに日々心を癒やされてきたと言います。

「臆病なコもいればマイペースなコもいて、〝こっこ十色(といろ)〟なんですよ。寝そべって羽を広げて日なたぼっこする姿を見たら、かわいいなあって一緒に寝ころびたくなっちゃう。心が通じる気がする時もあるし、わからないから面白いと思う時もありますね。たとえば、暑い夏に団子みたいにくっついたり、一つの巣箱に行列して産卵したりするのはなんで? とか。学術的にも解明されていないから、観察しながら考えを巡らせるのが楽しいんですよね」

上田さんは、好奇心いっぱいの少女のように顔を輝かせて「こっこ愛」を語ります。とはいえ、養鶏業はなんといっても肉体労働。一袋あたり20キロ以上もある飼料を持ち運ぶのも、鶏舎を掃除するのも、キツくないと言ったら嘘(うそ)になると言います。

生後300日の鶏たちが暮らす鶏舎。「警戒してる? 大丈夫だよ」と上田さんがフワッフワの羽毛に手を入れた瞬間、鶏はリラックスした表情に。

「養鶏を始めた頃、卵の質が下がった鶏は食肉加工しなければならないという現実に向き合うのがつらかったんです。捕まえようとすると、鶏たちもただならぬ雰囲気を察して全力で抵抗します。その時の感触に慣れなくて」

人間の都合で命に限りをつくってしまうのだから、せめて、生のある時は元気に、自由に、しあわせに暮らしてほしい。上田さんは「いつもありがとう。今日もあなたたちのおかげ、生きものさまさま」という気持ちで鶏たちに接しているそうです。

「いつか、鶏舎の壁も天井も取り払って、おひさまの下で飼いたいんです。課題はたくさんあるけど、できないことじゃないはず。私の夢の国です」

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