私らしく。

自分らしさのコツ#11

尾上菊之助さん
自信のない日々で見つけた、不安を埋めてくれるもの

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私らしい、あの人

アニメやゲームを題材にした斬新な歌舞伎を次々に企画・プロデュースし、歌舞伎界に新風を巻き起こしている尾上菊之助さん。その華やかな舞台での顔とは裏腹に、自身について「いまだに自信がないし、常に不安なんです」と話します。伝統を次代へつなぐ、菊之助さんの挑戦の裏にあった、不安との向き合い方についてお話をうかがいました。

尾上菊之助さん

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おのえ・きくのすけ 1977年生まれ、東京都出身。屋号・音羽屋。1984年、六代目尾上丑之助を名乗り初舞台。1996年、五代目尾上菊之助を襲名。2005年、新作歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』を企画・実現させて以降、古典歌舞伎を伝承しつつ、現在まで新しい歌舞伎を生み出し続ける。『カムカムエヴリバディ』などTVドラマでも活躍。

背負う名前の重さ
挑戦を続ける理由は

歌舞伎の名門「音羽屋」に生まれ、気品あふれる美貌と洗練された芸で脚光を浴びてきた尾上菊之助さん。しかし、その華やかさの裏では"世間のイメージする菊之助"と"本当の自分"とのギャップに悩んでいたと言います。

「18歳の時に『五代目菊之助』を襲名させていただいて、ありがたい反面、自分には力が至っていないことを痛いほど思い知らされたんです。自分には見合わないものを背負い、どうにかしなきゃと毎日試行錯誤していました」

1996年の菊之助襲名記念本を手にする菊之助さん。「あれから27年、『菊之助』という名前が、ようやく自分になじんできた気がします」

そんな苦しい日々の中で転機となったのは、あるひとつの挑戦でした。

「新しい歌舞伎をつくりたい、ともがいていた頃にシェイクスピア研究者の河合祥一郎先生にお会いしました。思い切って、私にできそうな題材についておうかがいしたところ、双子が登場する『十二夜』だったら歌舞伎の早変わりを見せられるし、女方をやる菊之助なら小姓の役もできるのでは、とアドバイスをいただいて」

後世に古典歌舞伎として残るような新しい歌舞伎を、ともがいていた菊之助さん。「挑戦してはじめて、小さな自信が生まれることを知りました」

そこで、菊之助さんはすぐに行動を起こします。かねてより尊敬していた演出家の蜷川幸雄さんを口説き落とし、自らプロデューサーとなりつくりあげた新作歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』は、歌舞伎界はもとより演劇界でも衝撃をもって受け入れられ、再演を繰り返し、ロンドン上演を果たすという快挙を成し遂げたのです。

不安は無くせない
ならば、そこからはじめればいい

挑戦とは自信があるからできるものだと考えがちですが、菊之助さんは不安だったからこそ探究心を深め、自分の可能性を切り拓くことができたと話します。

「常に自信がない。性分みたいなものでしょうか。毎度、公演の前は不安になって、不安だからたくさん稽古をする。台本を何度も読むし、いろんなものを見たり読んだりして勉強をする。自分の中には"不安"と"探究心"はセットである気がします」

「以前、『グランメゾン東京』というドラマでシェフを演じた時は、レストランに通ったり、知人の紹介で厨房に入れていただいて、シェフから直接現場の仕事を教わりました」

無理に自信をつけるのではなく、不安ときちんと向き合うことで探究心を刺激し、行動へとつなげる。

「自分の知らないことに触れることは、単純に楽しいですよね。歌舞伎であれ、TVドラマであれ、演じる役のことはできるかぎり勉強したいんです」

そんな探求心は、新作歌舞伎の革新的な企画にもつながっていきます。

自分と向き合うことで
すべきことが見えてきた

アイデアの種は、自分の奥底に潜んでいることが多いもの。菊之助さんの場合も、小中学校時代に夢中になったものが新しい創作のヒントになったと言います。

「コロナ禍で公演も練習もできず家にいた時、久々にゲームをやってみたら子どもの頃の興奮がよみがえってすごく元気をもらえたんです。『風の谷のナウシカ』もそう。心躍るファンタジーに込められたメッセージがずっと心に残っていて」

取材時に上演中のインドの叙事詩を歌舞伎化した『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』では、お父さまの尾上菊五郎さん・長男の尾上丑之助さんとの親子孫三代共演も話題を集めました。(写真提供:菊之助さん)

好きな世界をいつか歌舞伎にしたいという思いをあたため続け、その構想は2019年の新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』、2023年『ファイナルファンタジーX』として実を結びます。身近で新鮮な題材の歌舞伎は話題を呼び、幅広い客層が足を運ぶきっかけとなりました。

「変わったことをしようと思うと、うまくいかないんですよ。自分はなにが好きか。自分と深く向き合い、なおかつ時代の求めている声を感じることですよね」

数あるゲームのなかでも『ファイナルファンタジー』が大好きだったという菊之助さん。『風の谷のナウシカ』は公開当時に劇場で見て衝撃を受けて、漫画版も全巻買ったそう。「こういうことを歌舞伎でやりたかったんです」(写真は菊之助さんの公式Instagramより)

どんな経験も自分の糧になるから、いまも勉強の日々だという菊之助さん。家にいてもオン・オフの切り替えが難しいからこそ、大切にしているリセット方法があるそうです。

自分の軸を整えるために
世界遺産・白神山地へ

「三年前に仕事で白神山地を訪れるご縁をいただき、その自然に魅了されました。アウトドアとは無縁でしたが、いまでは息子と山登りや魚釣りを楽しんでいます。芸を忘れて一緒に遊べる時間はすごく貴重ですね」

仕事や周りのリズムに合わせて、心も体もゆらいでしまう経験は、きっと誰にでもあるはず。流されないためにと、菊之助さんは時間ができると白神に通うようになります。

白神山地に足を運ぶようになって、毎日の食事も変わったという菊之助さん。「白神の水でつくった玄米をマタギさんから送っていただくようになり、七分づきか五分づきのご飯とお味噌汁と糠漬けが基本になりました。いまの自分にはこれが合っているようで、体調もよくなった気がします」(写真は菊之助さんの公式Instagramより)

「朝日が出ると山がいっせいに目覚めて、夕日が落ちると山が眠りにつく。そんな自然のリズムの中でリセットして東京に帰ると、仕事でなにかあっても動じなくなる。舞台の上でも以前より深いところに行ける気がするんです」

自然の恩恵と向き合い、感謝する時間は、自分を整える時間にもなる。できない自分に悩み抜いたからこそ、感性や対処法が育まれ、菊之助さんのいまがあるようです。

「不安はきっと一生消えないと思いますが、それでも40代になって、やっと楽しいと思える瞬間が出てきました。仕事をがんばって山に行くと、美しい景色に出合えたり、野生動物がひょこっと顔を出したり。毎回なにかしらのご褒美までもらえている気がします」

経験に裏打ちされた菊之助さんの不安対処法は、不安に呑み込まれがちな人にこそ、すとんと腑に落ちるものがあるのかも。ネガティブに捉えられがちな感情でも、行動や挑戦の原動力にしていけば、人生がぐんと豊かに広がりそうだね。

文:井口啓子 写真:衛藤キヨコ ヘアメイク:高草木剛(VANITÉS) スタイリスト:中井綾子(crêpe) 編集:藤田三瑚
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