私らしく。

自分らしさのコツ#16

菱田昌平さん
家は「私」に立ち還る場所。革新する大工、その原点

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私らしい、あの人

日本の伝統技術とベルギーの思想をミックスさせた独自の世界観で、国内外から注目されている大工アーティスト・菱田昌平さん。長野県の小さな町の工務店にもかかわらず、Instagramのフォロワー数は約21万人にものぼります。「なぜ」を知りたくて、長年の思いを込めたというご自宅に伺うと、人の手がそこかしこに感じられ、直線や境界がない開放的な空間が待っていました——。

菱田昌平さん

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ひしだ・しょうへい 1979年、長野県坂城町生まれ。17歳でサッシ店、18歳で工務店に勤務。19歳で大工・竹花さんの最後の弟子となる。26歳で独立し、2012年に菱田工務店を同町に設立。代表取締役を務めながら、大工兼設計者としていまも現場に立つ。個人のインスタグラムはフォロワー数約19万人を誇る(24年4月現在)。

「心から住みたい家」とは
ベルギーでの体験が転機に

この家で、朝な夕な最もたくさんの時間を過ごすのは、妻の三奈さん。「やっぱりキッチンですね。落ち着きます」。シンクの正面に広く取られた窓からは、2歳の昌太郎くんの遊具がある庭からお隣さんのぶどう畑、そして山々の連なりへとゆったりとした景色が続いていきます。リビングのガラスの引き窓も大きく、開けると、庭との段差はほとんどありません。空間を分けているようで、つないでいるような、面白い窓です。

昌太郎くんが靴のまま元気よく屋内に入ってきます。「ほら、クック〜」と三奈さんは脱ぐように促しますが、地続きって自由な感じがしていいですね。晴天のこの日、二つの大きな窓は、長野の澄んだ風景をとても美しく切り取っていました。静かな高台に立つ2階建ての木造住宅は、大工であり菱田工務店の代表を務める夫・昌平さんが設計し、10年前に建てたもの。三奈さんが、その少し前に訪れたベルギーの思い出を話してくれました。

ベルギーの伝統的な古民家の考え方と日本の素材がミックスされた菱田邸。お風呂からも庭が眺められる(右下の低い窓)。

「初めて家族全員で2週間の長旅をしたんです。泊まったのは友人のマティスの家。キッチンに庭からの光が差し込んできて、すごくよかったんですよね。田舎でテレビもないから、音が全くしないんです。日本では毎日つけっぱなしの生活だったので、初めは戸惑いましたけど、空間がいいからでしょうね。私たちの家族ってこんなに会話ができるんだって。豊かな密というか、素敵(すてき)な時間だったんです」

働き詰めだった昌平さん、家族とこれだけ長く一緒に過ごしたのは初めてだったとか。同じ大工のマティスさんとは以前から交流があり、ベルギーには何度か訪れていたのですが、この2週間の体験が一つの転機になったと言います。

「自宅の設計は、人と家畜が一緒に暮らしてた時代のベルギーの古民家が基になっています。土間が家の中心にあって、生活が土と近いんです。そんな、心から住みたいと思う家を日本でも造ろうと考えていた時期だったので、よし、自宅でやるかと」

太い無垢(むく)材をはつったむき出しの梁(はり)。荒々しく見えるが、実際に空間に入ると落ち着いた心持ちに。家族が集まる明るいキッチン。

隔てる家ではなく、開かれた家。機械的な直線ではなく、自然の曲線。卓上の図面で引いた設計ではなく、木を見ながら現場で組み上げる職人の手仕事が生きた家——。

その象徴の一つが、一見荒々しく、でもどこか素朴な印象の柱や梁(はり)です。大型の斧であるまさかりを振り下ろして、丸太の表面を削(そ)ぎ落としていく「はつり」は、木のぬくもりと力強さを引き出す職人の妙技。伝統的なこの仕上げ方法も、熟練の大工が減り、効率化が優先されてしまう昨今の日本の住宅建築では、ほとんど見られないんだそうです。

この柱と梁を復活させ、土間や、藁を混ぜた土壁、焼杉、大きな窓などを組み合わせて、ベルギーの思想と日本の住まい方や気候風土がなじむように考えた昌平さん。その土地に昔から存在していたかのような気配を持つ新築住宅を目指しました。

土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。昌平さんは、「素材と、人間の手仕事、それと美しさ。この三つを徹底追求したい」と言う。4枚目の写真は仕事部屋の茅葺き屋根。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。昌平さんは、「素材と、人間の手仕事、それと美しさ。この三つを徹底追求したい」と言う。4枚目の写真は仕事部屋の茅葺き屋根。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。昌平さんは、「素材と、人間の手仕事、それと美しさ。この三つを徹底追求したい」と言う。4枚目の写真は仕事部屋の茅葺き屋根。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。
土間が家の中心にあるつくりが新鮮。藁を混ぜた土壁は目にもやさしい。昌平さんは、「素材と、人間の手仕事、それと美しさ。この三つを徹底追求したい」と言う。4枚目の写真は仕事部屋の茅葺き屋根。

長年考えてきたことではありましたが、それらを「菱田工務店の世界観」として一つにまとめ、具現化したのがこの自宅です。人口1万4千人の小さな町にある、まだ12期目の小さな工務店は、この「世界観」で注目され、コロナ禍以降、軽井沢や白馬などに移住を希望する人たちに熱い支持を受けています。

道は自分でつくっていい
15歳の時に気づいたこと

手がグラブのようにぶ厚くて、顔をくしゃくしゃにしてガハハハと大きく笑う人。一見すると豪放磊落(ごうほうらいらく)な昌平さんですが、中学1年の頃、「力はあり余っているのに、自分で心のコントロールができなくなって」と不登校に。1年半こもっていた彼が外出できるようになったのは、同じ町でフリースクールを主宰していた先生との出会いでした。

1日2時間、わめいても騒いでもただただ一緒にいてくれた唯一の大人。リンゴ農家でのアルバイトを紹介してくれたおかげで働く喜びを知り、アメリカのフリースクールを回る旅に連れていってくれた人も先生の友人でした。

視察したアメリカには、子供が今日何するかを自分で決めて、サッカーでもゲームでも先生が率先して一緒に遊んでくれるスクールがありました。驚いて「勉強を教えないんですか」と尋ねたら、「遊びから夢ができるんだよ。夢を叶(かな)えようとすると学びが必要になる。そこからが僕たちの出番なんだ」と。

日本での自分は「目標がないまま『とりあえず勉強』というレールにぶつかっていた」と振り返ります。「道って自分でつくっていいんだ」、これが15歳での気づきでした。周囲が進学する中、いくつかの働き口を得て懸命に仕事を覚えます。でも、覚えれば覚えるほど「これが本当に俺の道なのか」とやり切れない思いで数年たちました。そんな折、納品先で「何だ、この世界は」と光って見えたのが大工たちの姿でした。

出会ってきた人がいつも
新しい可能性を教えてくれた

「自分で自分の家を建ててみたい——」と19歳の時に60歳の親方に弟子入り。無口で礼儀に厳しい親方は、機械を一切使わない〝最後の世代〟の職人。5年+奉公の1年間、一対一で手仕事をたたき込まれた昌平さんは、面白さにのめり込み、独立後には日本全国の木と家に関わる職人と交流を深めていきます。

親友マティスと出会ったのも、この活動を通してでした。「自分の歩いた先に必ず会うべき人がいて、いつも新しい道筋を示してくれた」と昌平さん。昨年、菱田工務店初のモデルハウスが町内に完成しました。その土地は、かつて通ったフリースクールがあった場所なんだそうです。

昌平さんのInstagramでは、木材をはつる様子も見ることができる。

昌平さんが造る家は、境界が曖昧で、曲がった木を好んで使い、わんぱくに寛容で、人の手の跡を残しています。何だか似ているなと思いました。〝僕と僕の好きな先生〟の交流は30年たったいまも続いています。おだやかに帰れる場所を持つと、人はやさしくなれるのです。

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