私らしく。

つながる絆#006

旧出津救助院のハルモニュウム
苦難の女性たちと希望の歌。長崎に鍵盤楽器を訪ねて

relation しあわせの連鎖| # # #

しあわせの連鎖

明治半ば、断崖の集落に希望の歌が響きわたりました。女性たちの心を開き、笑顔にしたのは、「ハルモニュウム」という鍵盤楽器。その和音は、いまなお、歌う喜びを教えてくれます。

旧出津救助院のハルモニュウム

長崎県の外海(そとめ)地区に赴任したド・ロ神父が明治22(1889)年ごろに購入した。フランスのデュモン社製で、鍵盤を左右に動かす移調機能や、単音でも重厚な和音を出す機能がある。教会のミサで使用されていたが、現在は旧出津(しつ)救助院・授産場の2階に展示されている。

その音色は、まるで天から降ってくるよう。耳にした瞬間、いまがいつの時代で、どこの国にいるのか、わからなくなりました。奏でるのは、明治時代にフランスから渡ってきた楽器。

オルガンの仲間で、ペダルを踏んで空気を送りこむと、パイプオルガンを思わせる素朴であたたかな和音が鳴り響きます。

そばには、古い木の祭壇。マリア像に柔らかな光が差し込みます。礼拝堂のように静かなこの空間に、140年ほど前、14歳から20歳くらいまでの独身女性が共に寝起きして働いていました。彼女たちの毎日には、祈りと歌がありました。

オルガンを演奏している写真

みんなで声を合わせて、大きな声で歌う。いまなら学校や家であたりまえにできることが、彼女たちにとってはかけがえのない喜びであり、心が解きはなたれる時間でした。

なぜなら、彼女たちは長らく「歌えない人々」だったからです。

海の写真

ここは五島列島を望む長崎県の西の果て、切り立った崖の上にある「外海の出津集落」。五島灘特有の風と潮は荒く、山は急斜面だらけで土は痩せ、人が住むには過酷な環境でした。あえてこの地を選んだ人たちには、そうせざるを得ない秘密があったのです。

人々の多くは、禁教下に激しい弾圧から逃れてきた「潜伏キリシタン」で、貧しさや苦しさを耐え忍びながら信仰を守り継いできました。

十字架に祈ることも、神を賛美して歌うことも、胸に秘め続けた願いでした。

困窮する人々を見た
神父が考え、与えたもの

「この集落へ赴任してきた神父に、集落の人たちは聖歌を教えてほしいと、しきりに歌をねだったそうです。家族とですら歌うことがままならなかった人たちは、みんなで大きな声で歌う瞬間を待ちわびていたのでしょうね」

そう語るのは、ハルモニュウムが展示される旧出津救助院を管理するシスター赤窄(あかさこ)須美子(「お告げのマリア修道会」)です。

オルガンを演奏しているシスター

長らく続いた禁教令が廃止され、フランスからド・ロ神父が赴任したのが明治12年。「禁教」と聞けば、気が遠くなるほど昔のことのようですが、私たちのほんの数世代前の人たちが暮らした頃と思えば、ふと情景が浮かぶもしれません。

神父は集落の困窮した暮らしを目の当たりにし、「人々の魂を救う前に、その器となる体や生活が大切」と考えました。

自ら馬を引いて山を開墾して風雨に強い石垣を築き、日々の糧となるサツマイモや小麦の畑を起こしました。そして、パンやマカロニ、そうめん、織物など収益となる製品をつくる授産施設、出津救助院を創設したのです。

ここで、未婚の女性や海難事故で夫を亡くした若い女性が修養に励み、生きる術を身につければ、いずれ賢い母となって子を育て、地域も豊かにするはず――と、私財を投じて集落に尽くした神父は、「ド・ロさま」と慕われ、人々を導く希望の星となりました。

山側の大平地区にド・ロ神父と人々が開墾した畑からの写真
山側の大平地区にド・ロ神父と人々が開墾した畑がある。春は茶、夏は落花生、秋はサツマイモ、冬は麦。救助院でガイドを務めるかたわら、農作業にいそしむシスター赤窄誠子。「畑は癒やしです。夜明けに、山向こうから日がやんわりと昇る時間が好き」。
旧出津救助院を構成する施設の一つである授産場
旧出津救助院を構成する施設の一つである授産場。1階では旧出津救助院の関連歴史年表や、当時使われていた器具などを見ることができる。

人が集い祈る場を集落につくりたいと切望していた神父は、海を見渡す丘の上に教会を建て、10年後にフランスから最新式のハルモニュウムを取り寄せました。神父は歌うことが大好きで、声が枯れても口笛で聖歌を教えたそう。当時の人々の思いをシスター赤窄はこう想像します。

「『人にはよりよいものを』という信念があったド・ロ神父は、貧しい人こそ上質で美しいものに触れてほしいと願っていました。一人一人を尊敬し、慈しんでおられたからでしょうね。人々はこの音色がとても誇らしく、感謝をささげただろうと思います」

140年前から変わらない
共に歌えることの喜び

朝の光と共に、みんなで祈り、歌う。誰の目を気にすることもなく、顔を上げてのびのびと。初めて楽器の音色と声が風に乗って響いた時、女性たちの胸には生きる希望が湧いてきたのではないでしょうか。ハルモニュウムは60年ほど前まで教会でミサに用いられ、2度の修理を経て旧出津救助院へ移されました。

「一緒に歌いましょう」
救助院のガイドを務めるシスターたちは、見学者に声をかけます。なじみのある聖歌やわらべ歌を1曲、2曲――

「訪れる方々も、こんな楽しく歌ったのはいつぶりかしらと、顔をほころばせてくださいます。ハルモニュウムは140年近く、集落を見守り、人々を慰めてきました。みんなで大切に守り伝えてきたのは、使命感というよりも、弾くことや歌うことが心から気持ちいいからなんです」

オルガンの鍵盤を押している写真

一本指で「ド」の鍵盤を押せば、自動的に「ミ」と「ソ」の鍵盤が下がって和音が響く。特別なテクニックがなくても、音楽は誰でも自由に楽しんでいいんだよと、この楽器はささやきかけてくれます。

何にもとらわれず思いのままに奏で、歌う幸せはみんなのもの。

溶け合う和音の響きに耳を傾けながら、できるとか、できないとか、自ら線を引く必要などないのだと、心が緩やかにほどけていくのでした。

旧出津救助院

  • 長崎県長崎市西出津町2696-1
    TEL:0959-25-1002
    開館時間:火〜土曜9:00〜17:00、日曜11:00〜17:00(最終受付16:30)
    休館日:月曜(祝日の場合は翌日)

    明治16年にド・ロ神父が創設した女性のための授産施設。国指定重要文化財の授産場やマカロニ工場など複数の施設からなる。施設内の見学ができるほか、畑を使った体験プログラムも実施している。

    旧出津救助院

更新