私らしく。 by 再春館製薬所

福岡伸一さん
人間を生き物としてとらえれば、もっと楽な生き方が見える

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ストーリー

なにかと生きづらさを感じる現代社会。しかし私たちは本来、「ヒト」というひとつの生命種です。2025年開催予定の大阪・関西万博でテーマ事業プロデューサーを務めるという発表も記憶に新しい福岡伸一さんに、生物学者の観点で「生き方のヒント」をうかがいました。

「蚊を地球上から排除すると、
人類も絶滅する」という不思議

「人間は蚊やゴキブリを『害虫』と呼んで忌み嫌いますが、もし彼らを地球から排除すれば、人類もいずれ絶滅してしまいます」と福岡さん。
「なぜなら、蚊の幼虫であるボウフラは、水棲生物のエサになるだけでなく水を浄化する役割も担っています。もし蚊がいなくなれば、蚊やボウフラのまわりの生態系のバランスも崩れてしまう。それらは人類が生きるために必要な酸素などにも影響します。ゴキブリも有機物の分解者として、環境の循環に大貢献しています」
私たち人間が生きていくためには、植物が供給してくれる酸素や食糧が欠かせませんが、それらを生みだす生態系には、小さな虫やバクテリアといった存在が必要不可欠だといいます。

「チョウの羽の色や模様は、羽を覆う鱗粉によって決まるんです」。研究室のなかには標本や石など、福岡さんが情熱を捧げるさまざまな「生き物の不思議」が。
「チョウの羽の色や模様は、羽を覆う鱗粉によって決まるんです」。研究室のなかには標本や石など、福岡さんが情熱を捧げるさまざまな「生き物の不思議」が。

「そもそも蚊などの昆虫は、生物として1億年以上もの歴史があり、たかだか20万年前に生まれたホモサピエンスにとっては大先輩なのです。むしろ害的な存在なのは、あとから生まれて地球環境をめちゃめちゃにしてしまう最“凶”外来種である人間。地球に住むかぎり、私たちは環境を意識した行動を心がけなければなりません」

生物学の観点からとらえた人間
は、矛盾だらけ

生物学者の観点から見ると、現代の人間の営みには不自然だと思うことがたくさんある、と福岡さんはいいます。
「私たちは久々に会った知人と『お変わりありませんね』という挨拶を交わしますが、私たちは常に細胞を壊してつくり替え、自分自身をアップデートし続けているので、細胞レベル的には中身はまったくの別人なんです。ですから、私はつい『お変わりまくりですね』と反論したくなってしまう。

そんな『自然界の法則から見たありのまま』の状態を、ギリシア語で『ピュシス』と呼ぶのですが、人間以外のあらゆる生き物は、そんな自然の営みのなかで『いまの瞬間』を一生懸命生きているのが普通です。
でも、現代人の多くは、『未来のための、いま』を生きていますよね。『いま』勉強するのは、いずれいい大学や有名企業に就職するためだとか、いい暮らしをするために貯金をするだとか……。しかし、そういった『これが効率的だから』や『目的のために、いま努力する』といった発想は、完全に人間がつくりだした概念です。『いまという瞬間のために生きる』という生き物の法則から見ると、不自然でしかない」

イソップの『アリとキリギリス』から
学ぶべき、真逆の教訓

「どうして私たちは『いま』を生きられなくなったのか。そこには人間特有の『言葉』があるからです。言葉を操れるようになった人間は、死を概念としてとらえ、それを恐れるようになった。恐れるあまり、未来に備えることで、結果的に自らの人生を縛るようになってしまったのです。その、倫理や理性など脳がつくりだした概念を『ロゴス』といいますが、さっきの『目標のために、いま頑張る』といった発想が、まさにそれですね」

「ロゴス」は「ピュシス」の反対の意味の言葉で、「言葉を持つ人間」が生みだした、ほかの生き物には存在しない概念なんだって。

「生命種の一員でもある私たちは、未来のための窮屈さに縛られる必要はない。もっと『いま』のために、自由に生きてみてもいいんです」
「生命種の一員でもある私たちは、未来のための窮屈さに縛られる必要はない。もっと『いま』のために、自由に生きてみてもいいんです」

「ひとつ、わかりやすい例で話しましょう。イソップの『アリとキリギリス』という寓話は、夏のあいだ遊んで暮らしたキリギリスが、食糧がなくなる冬に困窮し、アリに助けを求めるーーつまり、『未来のために備えなさい』という教訓の話ですが、私からするとちゃんちゃらおかしい。生物学の観点では、キリギリスの生き方は正しいのです。キリギリスは秋に求愛行動をおこない、卵を産み、冬が来る前に人生を全うします。冬の心配をする必要がそもそもないのです。人間も、自分の人生を肯定して、ほかの生き物と同じようにもっと気楽に生きてみてもいい。それが本来の自然のあるべき姿なのですから」

最近、「親ガチャ」という言葉を耳にします。けれども福岡さんは「こんなナンセンスな言葉はない」といいます。
「何億個という精子からたったひとつの精子が選ばれ、何十万個という卵子のなかから卵子と受精し、うまく着床して胎内で育ち、この世に生を受ける。それは、何兆分の一という確率を超えて生じた、奇跡のうえに成り立っています。もし、受精したのが『あなたをつくりだした精子や卵子』でなかったら、いまここにいてこの世界を認識できているのは、あなたではない人なんですよ。だから、私は心から『この世に生まれてきたことは、6億円の宝くじに当たるよりも断然すごいことだ』という真実を、もっと知ってもらいたいんです。家が貧乏だとか親に学がないとか、環境の差異などささいなことです。『氏より育ち』という言葉もあるように、そもそも生まれてからあとにどういう人生を歩むかは、本人次第で絶対に変えられます」

多趣味な福岡さんの研究室にあるテーブルのうえに所狭しと並ぶ、お気に入りのオブジェや採取した静物。石には採取日や場所が記載されています。
多趣味な福岡さんの研究室にあるテーブルのうえに所狭しと並ぶ、お気に入りのオブジェや採取した静物。石には採取日や場所が記載されています。

それぞれの良い面だけを切り取っ
て、手に入れる自由

「さっきからどうも人間特有のロゴスには良い点がなさそうにみえますが、そんなことはありません。言葉を獲得した人類だからこそ、ほかの生き物にはない『自由』も手にすることができたのです。この価値観があるからこそ、基本的人権が成り立ち、子どもを産まない生き方やさまざまな嗜好、ライフスタイルを認め合う多様性が尊重されているのです。

だから私は、ピュシスとロゴスのいずれかが正解といった、安易な二元論で語ろうとは思いません。時には未来を考えずに『いま』を楽しんだり、時には自分という『個』を大事にしてみる。生きづらさを感じたら、それぞれが持つ良い面に従うことで、人はもっと自由に生きられるのではないでしょうか」

無関係の「点」がいつかつながる、
人間だけが得られる奇跡

とはいえ、現代社会では加速度的に効率化が進んでいます。AI化する社会のなかでも不安感を覚えず、生きやすいと思えるヒントは、自然界のなかにあるのでしょうか。

「AIにはできなくて人間にできることがあります。それは『自分を壊し続ける』こと。今日がだめならまた明日、ゼロから仕切り直せばいい。そういう芸当はAIにはできません。AIは私たちの生活を便利にする道具に過ぎないのですから、私たちが使われる必要はないのです。

また、無関係のドット(点)を結びつけることもAIにはできません。たとえばスティーブ・ジョブズはアップルコンピュータの開発当時、モニターのなかに文字が美しく浮かび上がることにこだわりました。その時に役に立ったのが、若い時に学んだカリグラフィーだったといいます。もちろんカリグラフィーの授業を聴講していた時にはこれが将来、何かの役に立つとはまったくわからなかった。彼はその後、この経験を“コネクティング・ドッツ”と呼び、学生たちにも『一つのドットが何の役に立つかはわからないから、信じて前に進め』と言葉をかけています。

「ただ『いま』を生きるだけで、人生とはこんなにおもしろいもの」。昆虫から顕微鏡、そしてフェルメールへとつながる、ご自身の“コネクティング・ドッツ”の体験。
「ただ『いま』を生きるだけで、人生とはこんなにおもしろいもの」。昆虫から顕微鏡、そしてフェルメールへとつながる、ご自身の“コネクティング・ドッツ”の体験。

このように、一見無関係に見えるドットとドットの間になんとなくの関係性が生まれて、それが意図せず『何か』になるということは、まさに生き物が進化の過程でおこなってきたこと。私自身を振り返れば、昆虫オタクだった少年が顕微鏡に興味をもち、顕微鏡の発明家の友人だったフェルメールに出会って、その作品に惚れ込み、仕事がもたらしてくれた縁をきっかけに世界に点在する37の作品をコンプリート鑑賞するという幸運に恵まれました。その時々でただ『いま』を生きた、そのドットの連続の先に素晴らしいことが待ち受けていたのです。人生は、何があるかはわからないもの。でも、そんな偶然性に希望を託せることが、私たち人類の価値なのかもしれません」

17世紀のオランダの画家フェルメールをこよなく愛する福岡さんは、最新のデジタル技術によって作品を再現した「フェルメール 光の王国展」を監修するほどのフェルメール愛好家としても有名だよ!

アンチエイジングではなく、
グッドエイジングという発想

最後に福岡さんは、年を取ることのおもしろさについて提唱してくださいました。
「大人になるにつれ、私たちは子どもの頃にもっていた好奇心やワクワクする感情を失っていきますが、最終的な老化の先には純粋な自分の核が残ると思うのです。私が年を取って、認知症になったとしても、その時も私はきっと昆虫のフォルムの美しさや生命の神秘に、再び心をつかまれるはず。どんな状態になったとしても、自分の好きなものや核になるものは、消えないはずなので。もう一度、その時の感動や探究心を追体験できるのなら、それもまた楽しみです」

少し窮屈さを感じた時こそ、失敗を恐れず、自分の内なる声に耳を傾けてみる。その行動が、どんな偶然で、どんなドットにつながるかは誰にもわかりません。私たちはそんな「可能性を秘めた、おもしろい生き物」だからこそ、もっと肩の力を抜くことで、思いがけない未来につなげていくことができそうです。

photo:HASHIMOTO Hirotaka

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福岡伸一さん

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ふくおか・しんいち 1959年、東京都生まれ。アメリカ・ハーバード大学医学部研修員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授、アメリカ・ロックフェラー大学客員教授。サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)、『生命海流』(朝日出版社)、副交感神経優位の暮らし方をすすめる『迷走生活の方法』(文藝春秋)など著書多数。