言葉や数字で表せない
「日本の色」の奥深さ
日が落ちる前の夕焼け空を表す「黄昏色(たそがれいろ)」、若い芽の柔らかな黄緑色を表す「若草色」など、日本では古くから情景や時間を「色」で表現してきました。こうした日々の暮らしの中で色の美しさに心惹かれる感覚は、今も昔も同じく、私たちの感性に根付いています。
京都・伏見に工房を構える『染司よしおか』は、こうした感性に訴えかける「日本の色」を追究する老舗染織店。明治時代、開国を機に西洋の化学染料が入ってきたことにより、一度は廃れてしまった植物染めの技術を研究・復活させ、染料はもちろん、布、糸、和紙まですべて自然のものを使用し、植物染めでしか出せない色と趣を守り続けています。
6代目当主として工房の運営を担いながら、自身も染織を行う吉岡更紗さんは、植物染めの魅力を「言葉や数字で表せないところ」と話します。
色見本の数値通りに決まった色を再現できる化学染料の染色とは異なり、毎年の素材の出来や刻々と変化する気温や湿度に左右される植物染めは、一つとして同じ色はつくれません。頼りは、自身の経験と「感覚」だけ。
しかし、だからこそ自然の力と人の手でしか生み出せない色には、「言葉にできない、感覚的な魅力と奥深さがある」と吉岡さんはいいます。それはまさに、私たちが夕陽や植物の色を見て美しいと思う感覚そのものなのです。
また、植物染めに使われる素材のほとんどが、漢方にも使われていることも興味深いところ。そもそも日本の寺院や神社で見かける五色(緑〈青〉・黄・赤・白・紫〈黒〉)は、漢方と同じく、中国に伝わる自然哲学「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」に基づくものともいわれています。
「陰陽五行説」は古代中国に起源を持つ自然哲学で、あらゆるものは「陰」と「陽」の2つの要素と、「木・火・土・金・水」の5つの要素の掛け合わせから成り立っている、という考え方だよ。
実際に、吉岡さんはこんな体験をしたのだとか。
「冬に紅花(べにばな)を触っていると、手がポカポカとあたたかくなってくるんです。古くは口紅にも使われていたそうで、塗ると唇の血行をよくする効果もあったとか。赤い口紅を塗ると、顔色も気持ちもパッと明るくなりますよね。そういう意味でも、色の持つ力ってやっぱり大きいなと腑に落ちました」
植物染めを始めてから、毎日のように植物の特性や色のルーツを知ることに発見と喜びがあるという吉岡さん。さらに、こうした体験は仕事だけではなく、日常生活でも吉岡さんの視野を広げるきっかけになったといいます。
自然の力を感じることで
眠っていた感覚がひらいた
染織の道に進む以前に、アパレルブランドで販売員として働いていた吉岡さん。当時は一日の大半を百貨店の売り場で過ごしていたため、季節を先取りした洋服や流行色などには触れるものの、"今"の季節を意識することはほとんどありませんでした。
そんな吉岡さんが、染織の仕事を始めてからというもの、「山の景色、庭の木の様子が毎日変わることに気づいた」といいます。
「私たち人間の体調や気分が毎日同じではないように、山も木も、毎日違う。そんな当たり前のことに気づいた途端、目に映る世界が一気に豊かに感じられるようになりました。自然を相手にしていると予定通りにはいかないことも多い。でもそれは、自然の流れとともに仕事ができているということ。ありがたいですね」
藍が発酵する独特の香りで夏を感じ、胡桃(くるみ)の実がトタン屋根にコツンと落ちる音で秋の深まりに気づく──。自然を軸にした生活を送ることで、眠っていた感覚が次々とひらいていった吉岡さんは「植物染めは、まさに五感が研ぎ澄まされる作業だと思う」と話します。
季節や自然の変化を五感で捉え、愛でる美意識は、古くから現代に至るまで、日本人が無意識のうちに身につけてきた感覚ともいえます。それらを色で表現する文化が育まれたのが、平安時代。吉岡さん曰く、「当時の貴族にとって、色は知性やセンスを表現する手段でもあったんです」と、ここから色にまつわる興味深い歴史の話が始まりました。
平安時代の色あわせは
現代のLINEスタンプ?
平安時代中期、遣唐使が廃止されたことで中国文化の影響から離れ、日本独自の国風文化が広まります。貴族の衣服にも大きく影響し、位を示す以外に、個性を表現するためにも色が取り入れられていました。
当時は、男女が簡単に顔を合わせられる環境ではなかった時代。女性は御簾(みす)の陰からそっと着物の裾をのぞかせ、その色で自分の知性や美的センスをアピールすることで、恋を実らせていたといいます。
「現代でいうと、LINEスタンプに近いかもしれませんね(笑)」と吉岡さん。選ぶ絵柄や言葉に個性や人柄が表れることを考えると、確かに、平安時代の色あわせとよく似ています。
さらにこの頃から、季節の情景や四季折々の植物などを衣の配色で表現する「襲色目(かさねいろめ)」が浸透し、色の名前に「桜色」「杜若(かきつばた)色」「柳(やなぎ)色」といった植物の名前がつくように。
こんな風に「日本の色」について知ることは、日本人の根底に独自の自然観や美意識が備わっていることを私たちに気づかせてくれます。そして吉岡さんは、植物染めの仕事を深めていくほどに、さらにこうした温故知新の気づきがあったそうです。
歴史から見えてくる
元来の「日本らしさ」とは
「『何か困ることがあったら、過去の文献を読め』と、常々父からいわれてきました。行き詰まった時に過去の文献を読むと、たしかに新しい発見があるんです」
色にまつわる歴史をひも解くと、先述した中国の「陰陽五行説」のように、実は日本以外の国からの恩恵もたくさんあるそう。「シルクロードで中国から日本に絹織物が伝わったように、染色や織物の技法も中国から生まれ、伝わっているものが多いんです」という吉岡さん。
例えば、『染司よしおか』の染料として欠かせない紅花もその一つ。今でこそ山形が産地としてよく知られているものの、実は、古来種はエジプトやエチオピアが原産なのだそう。
「『日本の色』を守り続ける」と聞くと、一見、「素材の産地はすべて国産にこだわっている」といったイメージを持ちますが、『染司よしおか』には「国産だからよい」という判断基準はありません。
「例えば蘇芳(すおう)という熱帯性の植物染料は日本では育たないため、古から現代に至るまで輸入に頼ってきました。絹糸を生み出す繭は今、ブラジル産が多いです。戦後日本から移民した人々がブラジルに養蚕技術を持ち込んだことで一大産地になり、今も良質な絹がつくられています。ほかにも、昔の日本人が『唐絹(からぎぬ)』といって中国の絹を重宝した時代があったように、中国をはじめとする外国から伝えられた文化や技術のおかげで、私たちの今があると思っています」
吉岡さんの話を聞くと、「日本の色」はさまざまな国と文化のめぐり合わせで生まれてきたことがわかります。「日本は島国でさまざまな人や文化が行き来していたからこそ、元来それらを受け入れる"おおらかさ"があったのかもしれません」と吉岡さん。
かつては一部の高貴な位の人のみの楽しみであった日本の色文化は、今では誰もが取り入れられる楽しみの一つになりました。当時と同じ製法でつくられる植物染めのものを眺めてみると、自然を映した柔らかな色彩の奥に、五感に働きかける「日本の色」が浮かんでくるはずです。
植物染めが生み出す「日本の色」は、私たち日本人がいかに自然と共に生き、独自の文化や生活の知恵を育んできたかを教えてくれる存在だね。潜在的な美的感覚は、身近な自然に目を向けることから磨かれていくのかもしれないね。
染司よしおか 京都店
京都・東山の古美術店が並ぶ祇園新門前通りに店舗を構える老舗染織店。絹や麻といった天然素材を、職人が植物染めで丁寧に染め上げた商品が並ぶ。
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住所:京都府京都市東山区西之町206-1(新門前通大和大路東入ル)
TEL:075-525-2580
営業時間:10:00~18:00
店休日:水曜/夏期休暇・年末年始
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