斜面に広がるミカン畑を縫うように車を走らせ、山の中腹へと上りました。連れて行ってくださったのは、熊本県水俣市で柑橘類の栽培と共同販売を手がける組合「からたち」の大澤菜穂子さんです。不知火(しらぬい)海と呼ばれる穏やかな内海と広い空が一望できる、とても気持ちのいい場所でした。
「海に突き出たところに、こんもりとした森がありますよね。あれは『魚(うお)つき保安林』と言って、人の手を入れず、大切に残されている森なんです」
魚つき保安林をわかりやすく言うと“魚を育てる森”となるでしょうか。はるか昔から、この沿岸は、多様な魚介類や海藻類がすむ良好な漁場でした。なぜならば目の前の森が、質のよい栄養分を海にもたらしてくれるからです。
魚を育てる森は、つまり、人間を育てる森ということになります。であれば、その大事な森は、伐採したり人工物で埋めたりせず、そのままの姿で残すべきだと考えられてきました。
青々とした空の下で、海中で群れをなす魚たちを想像しながら、輝くような黄色のパール柑を一ついただきました。
噛むとサクッと心地よく、果実の小さなひと粒ひと粒が、プチッとにぎやかにはじけます。香りが鮮烈で、後味がすっきりと爽やかなのは、パール柑を育てた農家さんが農薬を使わずに栽培しているから。それは、「からたち」が取り扱う柑橘類の特徴であり、原則でもあります。
農薬を使わないことで
守れるものとは
冒頭で「からたち」は組合だと紹介しました。参加する15軒ほどの地元の農家さんは、「海を守るために、山を守るために、そして自分たちを守るためにも農薬は使わない」と自ら決断した仲間たちです。そもそも自然界には農薬どころか肥料もない——と、無肥料で栽培する農家さんも増えてきたといいます。
果樹を丹念に観察し、その声に耳を傾けながら、果樹が本来備えている力を生かしてあげること。自分たちの都合で余計な手を加えないこと。安全な柑橘を消費者に届けること。こうした考えに全員が一致している仲間たちです。
しかし、言うは易く行うは難し。虫との共生には苦労が絶えず、最適な土づくりの答えも簡単に見つかるものではありません。それでも、信念を曲げずに50年近く無農薬栽培を続けている農家さんもいます。
2025年11月に水俣市で「テッラマードレ(母なる大地)・ジャパン」という食のお祭りが、大澤さんも参加する実行委員会によって開催されました。
大きく掲げられたテーマは「We Are Nature」、私たち人間も含めて自然は一つである、という意味です。
森や山、水、海、人——自然は密接に関わり合い、循環しています。これを守ることができるのも人間であり、逆に壊すのもまた、人間です。
甘夏の栽培を始めた
2人に訪れた転機
今年は、工場排水が原因の水俣病が公式確認されてから、ちょうど70年の年にあたります。大澤さんのご両親は、患者支援のために1973年に水俣に移住します。
沿岸の漁師さんたちの多くは発症した上、生活の中心だった海を汚されたことから、漁の仕事を諦めて陸(おか)に上がり、甘夏の栽培を始めていました。
当初は“必要なもの”としてすすめられるままに農薬を散布していたそうですが、大澤さんのご両親が手伝っていた元漁師夫婦が、その農薬によって倒れてしまいます。これが転機となりました。
「被害者が加害者になりたくない」と、農薬や化学肥料を使わない甘夏栽培に移行したのです。形が不ぞろいで凹凸もあり、地元の市場(いちば)では受け入れてもらえなかった甘夏。
大澤さんの父・忠夫さんは理解ある消費者を探して全国を渡り歩き、甘夏の本来のおいしさと、水俣で無農薬栽培に取り組む意義を伝え、広げていきました。
思いを受け継ぐ長女・菜穂子さんと長男・基夫さん、妻の愛子さんは、自ら甘夏を栽培しながら会報誌をつくり、つくり手たちの思いや水俣の現在と過去、そして未来への希望の物語を添えて、全国に柑橘を届けています。
小さなミカンの向こう側を訪ねてみると、再生するのもまた人間だよ、と教えてもらったような気がしたのでした。
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