こけし
幼い頃、家族で山の中のくねくね道をタクシーに乗っていたとき、予期せぬ車酔いになって、何回も車を止めてもらったりして、申し訳ないし、情けないしで涙目でやっと目的地に着いたことがあった。
それは伊豆のどこかの駅だったと思う。
狭い車内で私の具合がずっと悪かったから、家族もみなぐったりしていて、機嫌が悪くなっていた。私もまだまだ消耗していて駅のベンチにへたりこんでいた。
そのとき、父が近くのお土産物やさんで、小さなこけしを買ってきて、私に渡してくれた。なんの変哲もないこけしだったけれど、私はありがとうと言ってそれを抱えるようにして、その時間をやりすごした。
手の中に急にこけしがすとんと入ってきた瞬間を、今もはっきりと覚えている。
父は亡くなり、私はあのときの父の年齢をすっかり追いこした。私の子どもも、あのときの私の年齢を大きく追い越した。そんなことがあるのだろうかと思うくらい、その全てはあっという間だった。
自分の中ではいつまでも父は歳上で、子どもはうんと小さい、そんな不思議な感覚の中にいるのに。
今もそのこけしは机の上に飾ってある。その頃にはこの世に影も形もなかったはずのうちの猫が、こけしをまたいで窓辺に行く。そんな全てもまた去っていくであろうことを、こけしはみんな見ている。そのことになぜか安心するのだ。
写真:砂原 文
本連載は、吉本ばななさんのエッセイとともに、写真家・砂原文さんの写真をお届けします。
この世に生まれて10日目の娘の小さな手。
握りしめたその手の中に希望が満ちますように、と祈りながら撮影した一枚。
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