私らしく。 by 再春館製薬所

長田佳子さん
自然に身をゆだねて気づいた、本当に必要な暮らしのこと

story ストーリー| # # # # #

ストーリー

ハーブやスパイスを使った滋味溢れるお菓子づくりを探求する、菓子研究家の長田佳子さん。「素材のそばで暮らしたい」という長年の想いから、2年前、東京から町全体に果樹畑が広がる山梨県甲州市に移り住みました。そこで自然や土、生産者と近い場所に身を置くことで、お菓子づくりへの向き合い方だけでなく、生活のペースや価値観までも変化したといいます。「植物に生かされている」そう話す長田さんが、ここでの暮らしを通して見て、触れて、感じたこととは。

自然の力を取り入れた
"誰か"を癒やすお菓子

「お菓子は買うよりつくる方が身近でした」

そう、幼少期を振り返る長田さん。手づくりしたお菓子を食べた家族や友人が喜んでくれたという原体験が、「お菓子に込めた誰かを想うやさしさが、人と人をつなぐものになってほしい」と願う長田さんのお菓子づくりの始まりでした。

「わたしがつくってそのお菓子を届ける目の前の"誰か"。私のレシピを見てつくってくれる"誰か"、それを食べる"誰か"。小さいけれど、お菓子を介して、誰かを想うやさしさの輪がつながっていけばいいなと思うんです」

アトリエ『SALT&CAKE』のオープンキッチン。光がたっぷりと入るアトリエは清々しく、澄んだ空気は長田さんの人柄を表しているよう。
アトリエ『SALT&CAKE』のオープンキッチン。光がたっぷりと入るアトリエは清々しく、澄んだ空気は長田さんの人柄を表しているよう。

そんな長田さんが、ハーブやスパイスをお菓子づくりに取り入れたいと思い始めたのは、20代後半。多忙により体調を崩したことがきっかけでした。そんな時、花の力で感情や精神のバランスを整えてくれるフラワーレメディやフラワーエッセンスと出合い、植物のパワフルな力、癒やしの効果を体感したといいます。

「植物の力ってなんてパワフルなんだろう。知れば知るほど、すごく奥深くてどんどん興味が湧きました」

それを機に、お菓子づくりと並行して植物療法に基づいたハーブの専門家であるハーバリストの先生のアシスタントを務めながらハーブの勉強をスタート。少しずつ、お菓子にハーブやスパイスを取り入れる今の形ができていきました。

アトリエ裏の花壇で摘んだカモミール、ゼラニウム、レモンバーム、フェンネル、ミントなどのハーブ。いい環境で育ったことがひと目でわかる濃い緑と生き生きとした枝葉。みずみずしい香りがふわりと立ち上がる。
アトリエ裏の花壇で摘んだカモミール、ゼラニウム、レモンバーム、フェンネル、ミントなどのハーブ。いい環境で育ったことがひと目でわかる濃い緑と生き生きとした枝葉。みずみずしい香りがふわりと立ち上がる。
地植えしているハーブは、奄美大島で暮らすハーバリストの先生と一緒に開催しているレッスンの一環で生徒さんと共に植えたもの。「東京でプランターで育てていた時は何度も枯らしてしまっていたけれど、地植えするとすくすくと育つのがうれしくて」(長田さん)
地植えしているハーブは、奄美大島で暮らすハーバリストの先生と一緒に開催しているレッスンの一環で生徒さんと共に植えたもの。「東京でプランターで育てていた時は何度も枯らしてしまっていたけれど、地植えするとすくすくと育つのがうれしくて」(長田さん)
摘みたてのハーブを軽く洗ったら、花と葉をティーポットやガラス容器に。水を注いで半日から1日置くと、爽やかに香るフレッシュハーブウォーターが完成。
摘みたてのハーブを軽く洗ったら、花と葉をティーポットやガラス容器に。水を注いで半日から1日置くと、爽やかに香るフレッシュハーブウォーターが完成。
お菓子づくりに使われるたくさんのスパイス。
お菓子づくりに使われるたくさんのスパイス。

そして今、長年理想としてきた土や植物に近い山梨での生活を送る長田さん。いざ実践してみると、思いもよらなかった新たな気づきがあったといいます。それは、自然の前では「何もかも自分の計画どおりにはいかない」ということ。

「うまくいかない」の先に
見えてきたもの

長田さんが山梨へ移り住んだのは、2021年春のこと。それまでは東京で暮らしながら、植物やお菓子づくりの素材についてより深く知りたいと、生産者を訪ねて全国各地へ足を運んでいました。その中で、自然の暦をベースにした人々の暮らしに触れ、自身の生き方や暮らし方を問い直すことに。

「生産者の皆さんは暮らしの中に仕事があり、自分たちは自然の一部だという意識で日々を暮らしている。私もそんな環境に身を置いてみたい、その輪に入って自分を試してみたいと感じて」

長田さんにとって、移住は決して大袈裟なことではなく、「ちょっと遠いお引っ越しくらいの感覚」だったと話します。もし立ち行かなくなったら、その時はまた戻ってくればいいと、まずはやってみたいという軽やかな気持ちで、新しい土地での生活に飛び込みました。

山梨県甲州市。アトリエに向かう道中、一面見渡す限りブドウやモモなどの果樹畑が広がっている。
山梨県甲州市。アトリエに向かう道中、一面見渡す限りブドウやモモなどの果樹畑が広がっている。
元はワイナリーの貯蔵庫だった建物をリノベーションしたアトリエ。店頭で近隣農家さんが旬の農作物の直売所として使うこともしばしば。
元はワイナリーの貯蔵庫だった建物をリノベーションしたアトリエ。店頭で近隣農家さんが旬の農作物の直売所として使うこともしばしば。
アトリエでは不定期でお菓子やコーヒー、器、アートなど、さまざまなものづくりに携わる人たちと共にイベントを開催。
アトリエでは不定期でお菓子やコーヒー、器、アートなど、さまざまなものづくりに携わる人たちと共にイベントを開催。

いざ、住まいを移してみると、「最初の1年は"季節"に振り回されっぱなしでした(笑)」という長田さん。

これまでは自分のスケジュールに合わせて、きっちり計画立てて物事を進めてきた長田さんでしたが、自然のそばで暮らし始めた途端、その日の天候によって予定していた外出ができなかったり、畑は収穫の手が追いつかないほど旺盛(おうせい)に育ちすぎて慌てたり......。

なかでもそれを痛感したと話すのは、近隣の農家さんから突然届く、大量の"ハネモノ"(規格外で売り物にできない農作物)でした。

山梨県はブドウ、モモ、スモモの生産量が全国一の
山梨県はブドウ、モモ、スモモの生産量が全国一の"果樹王国"。なかでも甲州市が位置する甲府盆地は、雨の少なさと水はけのよさ、日照時間が長いという気候が果樹栽培に適したエリア。

その年の気候や気温で完熟しすぎたり、傷がついたりしたモモやブドウが、近隣の農家さんから時にはコンテナ2箱分(!)届くことも。聞けば、それらは大量廃棄されるか、安価で買い叩かれてしまうとか。そうした実態も、生産者のそばにいなければ知り得なかったことです。

『原田桃園』を営む原田弓大さん(左)。原田さんと長田さんは地元の不動産屋さんを介して知り合い、以来交流を深めている。最初に長田さんの元にハネモノを届けたのも原田さんだった。
『原田桃園』を営む原田弓大さん(左)。原田さんと長田さんは地元の不動産屋さんを介して知り合い、以来交流を深めている。最初に長田さんの元にハネモノを届けたのも原田さんだった。
原田さんのサクランボ畑で食べごろを見極めながら収穫する長田さん。原田さんが育てるサクランボはミツバチによる自然受粉で実がなり、農薬も使用しない。その分、できる実の数は少ないが、一粒ひと粒にしっかり凝縮した味わいが自慢。酸味と甘みのバランスも抜群。
原田さんのサクランボ畑で食べごろを見極めながら収穫する長田さん。原田さんが育てるサクランボはミツバチによる自然受粉で実がなり、農薬も使用しない。その分、できる実の数は少ないが、一粒ひと粒にしっかり凝縮した味わいが自慢。酸味と甘みのバランスも抜群。
「こうやって自分が一生懸命育てた果物が、長田さんにおいしいお菓子にしてもらえるのは本当にうれしいです」と原田さん。
「こうやって自分が一生懸命育てた果物が、長田さんにおいしいお菓子にしてもらえるのは本当にうれしいです」と原田さん。

「愛情を込めてつくられた農作物を無駄にしたくない、何とかしてあげたい」という想いからアトリエをつくり、丸2年が経った現在は、農の暦を先読みして準備するなど、だんだんと自然を軸にした時間の使い方にも身体が慣れてきたと話します。

「農家の皆さんの、太陽や雨に素直に生きる"自然ありき"の生活。自分はまだまだ到底及ばないけれど、清々しくてうらやましいですね」

長田さんが摘みたてのサクランボで作ってくれたタルト。素朴な味わいのタルト生地にたっぷりのカスタード。ひと口食べただけで頬がゆるみ、みんなが笑顔に。
長田さんが摘みたてのサクランボで作ってくれたタルト。素朴な味わいのタルト生地にたっぷりのカスタード。ひと口食べただけで頬がゆるみ、みんなが笑顔に。

自分の都合やペースよりも、その日の天候や季節の移り変わりがベースにある暮らし。自然に近い暮らしによって、朝日とともに目覚め、暗くなったら身体を休めるという、本来の人間らしい生活のリズムも取り戻したそうです。

さらに、長田さんはここでの暮らしで考え方にも変化が表れたといいます。

自然に近い暮らしで
ほぐれた心のこわばり

以前はスケジュールを詰め込んでも、すぐに電車に飛び乗れば帳尻合わせができていたけれど、山梨ではどこへ行くにも車が必要。

物理的にもさまざまな制限のある自然に近い暮らしは、いい意味で長田さんを「あきらめる=自然に身をゆだねる」という意識へと導いていきました。

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「今日はこれとこれをやると決めたうち、一つでもやれたら、『頑張ったね』と自分を褒めてあげます。自然を相手にできることは限られるので、数をこなすよりも、一つの完成度をなるべく高めようという意識に変わりました。その方が意外と効率がいいこともわかったし、できない日はあきらめることも大事だなって」

決して便利とはいえない自然と近い暮らし。しかしそんな不便さが、時には自分にとって本当に必要なものは何か、無理のない健やかな生き方とは何かということに、気づかせてくれるのかもしれません。

 時折笑顔を見せながら、丁寧にまっすぐな言葉で、自身の心の内を話してくれた長田さん。
時折笑顔を見せながら、丁寧にまっすぐな言葉で、自身の心の内を話してくれた長田さん。

さらに、長田さんはこう続けます。

「以前は、忙しくしていないとだめという気持ちがどこかにあって。ごちゃごちゃとしていることに安心を感じていたのかな。でも自然の中に身を置いてみると、本当に必要なものってそんなにないかもしれないって。その分、身近なところに小さな幸せを見つけやすくなった気がします」

生産者の愛情を
無駄にしないために

いま、長田さんがお菓子をつくる大きなモチベーションの一つが、「農家さんのため」という想い。

「素材をつくってくださる方がいるから、それを無駄にはできない、したくないという想いが強いです。廃棄せざるを得ない果物を預かり、それを生かすお菓子をつくる。微力だけれど、それで農家さんの廃棄のストレスが軽くなって、安心してもらえたらうれしいです。気分が乗らない日も、原田さんや農家さんが働いていると思うと、私も頑張ろうと思えるんです」

そしてここでの暮らしを通して、この先目指したいお菓子づくりの形も見えてきたといいます。

「たとえば今日みたいに、畑で摘みたてのサクランボをその場でお菓子にして振る舞ったり、食べごろのハーブや果物があるからってお店を開いたり。いつかそんな自然を軸にしたカフェができたらいいなって思います」

「こうやって畑で摘んだフルーツをそのまま並べてタルトを仕上げるのが夢だったんです」と、笑みを浮かべながらうれしそうに手を動かす長田さん。
「こうやって畑で摘んだフルーツをそのまま並べてタルトを仕上げるのが夢だったんです」と、笑みを浮かべながらうれしそうに手を動かす長田さん。
アトリエで取材班にお茶菓子として振る舞ってくれた「シュトゥルーデル」(カスタードを薄く伸ばした生地で包んで焼いたもの)。口に運ぶと、上に乗せて焼いたフェンネルがふわっと香る。
アトリエで取材班にお茶菓子として振る舞ってくれた「シュトゥルーデル」(カスタードを薄く伸ばした生地で包んで焼いたもの)。口に運ぶと、上に乗せて焼いたフェンネルがふわっと香る。

自然を軸にした暮らしの中で、「誰かを想う気持ちを伝え、人をつなぐ」お菓子づくりを、まさに体現している長田さん。

ひと口食べると心がほぐれるような、奥深い余韻を感じるそのおいしさには、自然の恵みや農家さんへの敬意と感謝、それを食べて喜ぶ人を想う気持ちが、何重にも込められています。

「自然や植物に生かされている」。日常生活でそう実感できる機会は少ないかもしれない......。でも、日々の食事やお菓子をいただく中でも、そのおいしさに込められたつくり手の想いや、自然とともに育まれた農の景色を想像することで、誰でも自然の力を身近に感じることができそうだね!

更新

長田佳子さん

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おさだ・かこ 老舗フランス料理店、ファッションブランド『YAECA』のフード部門などを経て、「人を癒やすお菓子を」という思いから2015年に独立し、「foodremedies(フードレメディ)」の名義で活動をスタート。「レメディ」は“癒やし”や“治療”などを意味する。2021年春から山梨県甲州市塩山に移住し、ワイン貯蔵庫だった倉庫を改装したアトリエ『SALT and CAKE』をオープン。近書に『別冊天然生活 はじめての、やさしいお菓子』(扶桑社ムック)がある。