次の日に"残らない"
心地よい酔いの理由
江戸時代から変わらない、自然の力で醸す伝統的な手法の日本酒が今、「サステナブル(持続可能)な酒」として注目を集めています。
そんな"古くて、新しい"日本酒を、半世紀も前からつくってきた酒蔵が、『仁井田本家』です。ここでつくられているのは、その年・その土地の味を映す"自然派"の日本酒だけ。看板銘柄の「しぜんしゅ」は、「身体にしみこむような味わい」「飲んでも次の日に残らない」と評判です。
その始まりは、1967年に17代目・仁井田穏光(やすみつ)さんが「金寶自然酒(きんぽうしぜんしゅ)」の名で発売したことがきっかけ。それをさらにオーガニックな方向へと導いたのが、当代の18代目・穏彦さんでした。
「自然の力にゆだねる。そんな自分たちも気持ちのいい酒づくりが、結果的に人が飲んでも身体にいい日本酒になるんです」と穏彦さんはいいます。
原料は、地域の山の湧き水と井戸水、地元の土地で栽培した無農薬・無化学肥料の自然米、そして酒蔵に脈々と住みついている天然の酵母菌のみ。酒米となる稲を育てるところからこだわる仁井田の酒づくりの背景には、「この土地の田んぼを守りたい」という強い想いがあるそうです。
蔵がある田村町金沢(たむらまち かねざわ)は、字のごとく田んぼの町。金沢という地名は、一説には稲穂が金色に輝いて見えたことが由来だとか。さらに、地下には新旧の花崗岩層(かこうがんそう)が折り重なることで、硬水と軟水、2種類の天然水が採取できる珍しい土地だといいます。
田んぼを自然栽培にすることで土壌が豊かになり、良質な米がとれる。山をよい状態に維持することで、水は枯れることなく湧く。こうした自然の恵みは決して当たり前のものではなく、「代々この地で生きてきたご先祖さまたちが、手を入れて守ってきたからこその恩恵」と穏彦さん。
そして、この豊かな自然の循環を維持することこそ、地域の米と水を原料にする「蔵元たちのいちばんの仕事」だといいます。
山や田んぼを元気にする環境づくりが、土地のポテンシャルを引き出し、良質な素材が生まれる。そしてそれが300年続く蔵の発酵の力と相まって醸される、『仁井田本家』の日本酒。
時間も手間もかかるため、かつて廃れていったこの伝統的な酒づくりを続ける背景には、先代から受け継いだ"ある信条"がありました。
次の100年に
どんなバトンを渡すか
その信条とは、「約束を守る」こと。『仁井田本家』の社是(しゃぜ)にもなっているこの言葉について、穏彦さんはこう続けます。
「一番大事なのは、『つないでいくこと』。無農薬で嘘のない酒をつくるというお客さまとの約束を守る。それは、これから200年、300年先につながることなんです」
自らの行いによって人を裏切るようなことがあれば、次の世代の未来が変わってしまう。穏彦さんは、自身を過去300年とこれからの300年のバトンをつなぐいち走者として、「先祖から渡された豊かな環境を、できるだけよいかたちにブラッシュアップして、次の世代につなぎたい」と話します。
さらに、「たとえ今取り組んでいる酒づくりや田んぼの仕事が自分たちの代で日の目を見なくても、その先の100年、200年という大きな時間の流れの中で叶うかもしれない。そんなふうに夢が見られるのは、すごく楽しいこと」と穏彦さん。
先代から受け継いだ約束を守り、常に次の世代に何を残していくべきかを見据え、酒づくりを行う『仁井田本家』。現在のように"自然派"の酒蔵へと大きく舵を切ったのは、創業300年の節目に起きた東日本大震災がきっかけでした。
逆境が生んだ新しい循環
「自給自足の蔵」への道
東日本大震災によって発生した福島第一原発事故を境に、それまでの環境は一変。特に農作物への影響は甚大で、しかるべき検査をしているにも関わらず、町周辺の米農家さんも風評被害による深刻なダメージを受けたといいます。
「このままでは、次の世代にいいバトンを渡すことができない」
そう考えた仁井田さん夫妻は、「『自給自足の蔵』こそ、自分たちが目指すべき姿だ」と決意をかためます。
まず行ったのは、周辺地域で自然栽培の米づくりに励む農家さんへの訪問。食用米に比べ、酒米への風評被害は比較的少なかったため、「仁井田の酒米の契約農家になって、この窮地を一緒にしのぎませんか」と、声をかけたのだそう。
「後を継ぐ世代が安心して農業を続けられる価格を提示して、少しずつ協力してくれる契約農家さんを増やしていきました。結果、こうした農家さんがつくる米の出来はやっぱりすばらしくて。質のいい酒米によって仁井田の酒のクオリティが高まり、結果お客さまにも喜んでいただけました」と穏彦さん。
さらに、原材料の酒米に続き、酒づくりの道具を自分たちでつくる道を選びます。蔵の裏山を覆う杉林の間伐に着手し、16代目の祖父が80年前に植えた杉材を使い、小豆島の職人のもとでノウハウを学び、木桶づくりを始めました。
しかしこれは、ただ木桶をつくることだけが目的なのではありません。間伐によって杉林に太陽の光が行き届くと、木々が健康に育ち、そこで暮らす動植物や微生物などの生物多様性が守られ、水質保全へとつながります。
震災を経て、同じ志を持つ農家さんとつながり、木桶づくりから広がる森林の循環にも気づいた二人は、今ようやく「悪いことばかりではなかった」といえるようになったと話します。
そして、「自給自足の蔵」という指針のもと、蔵のすべての酒を"つくる"のではなく、自然の力で"できる"酒づくりに舵を切った『仁井田本家』の酒は、ここから劇的に進化を遂げていきます。
地域の人と自然とのつながりが
未来へつなぐモチベーションに
自然のままに、なるべく人間がコントロールせずにつくる仁井田の酒は、毎年味が変わります。なぜなら、原料となる酒米の仕上がりはその年々の天候次第。微生物の働き方も、水質も、天然のまま。さらには仕込みに関わる蔵人たちが持つ常在菌もそれぞれ違う──。お酒の源となるものは、「すべて生きている」ということが根本にあります。
「でも、それこそが自然界のバランスがとれている状態で、そこから生まれる味が自然酒の醍醐味だと僕は思うんです」と穏彦さん。
人間の力で味をコントロールし、再現性を重んじる従来の酒づくりとはまさに真逆の発想。しかし、だからこそこれまでとは違う新しい飲み手とのつながりが生まれました。
「例えば今年、なぜかタンク1本分だけ通常よりも発酵が進んで、酸度がとても高いお酒ができたんです。どうしようかと悩んでいたら、発酵を専門にする知人がその味わいを『これこそが自然の味だ』とおもしろがってくれて、販売を後押ししてくれたんです。このように、自然酒ならではの味や特性を楽しんでくださる新しいお客さまと出会うことができました」(真樹さん)
その年に収穫したお米の個性をダイレクトに込められる"自然派"の酒づくり。同じ味がひとつとしてない再現性の低さに、魅力や価値を感じる人が着実に増えているようです。
「僕らがお酒をつくることは、田んぼや山を守ることにつながっています。"飲んで応援"じゃないですが、環境や地域に配慮したエシカル消費としても賛同してくれるサポーターが増えたのは、本当にうれしいことです」と穏彦さん。
『仁井田本家』が目指す、これからの「自給自足」のかたち。最後に二人は、さまざまな人とつながり、自然の力と知恵を集結させて、地域が持つ新たな可能性を引き出す日々について、「やる気が出るし、続ける活力になる」と教えてくれました。
味わうことで、土地の風景やつくる人の想いを思い浮かべることができる"自然酒"。ふだんの買い物や食事などで、こうした「自然とのつながり」を感じられるものを選ぶことは、私たちの身体はもちろん、心にも健やかなよろこびをもたらしてくれるかもしれません。
おいしくて身体にもいいお酒は、地域の田んぼや山の保全、それによって育まれる水の循環が保たれているからこそできるものなんだね。自然酒ならではの毎年変わる味わいが、その土地の自然やつくり手に想いを巡らすきっかけになりそう。
更新
にいだほんけ 1711年創業。以後300余年に渡り、福島県郡山市田村町金沢の地で酒づくりを続ける。18代目蔵元杜氏、仁井田穏彦(やすひこ)さんは、創業300年を迎えた2011年に「自然派酒造」としてリスタートすることを宣言し、昔ながらの製法で土壌の特徴を映す自然酒を追究。また、自然農法を体験しながら学ぶ「田んぼのがっこう」や、自社山の杉を活用した「木桶づくりプロジェクト」をはじめ、女将の仁井田真樹さんを中心に県内外で行うイベントやマーケットなど、酒蔵の枠にとらわれない活動・発信も行っている。