鹿児島市から30分ほどの海沿いの町、いちき串木野市。平野部のJR鹿児島本線市来(いちき)駅周辺は、市内でも珍しく上質の軟水が湧き出る土地で、その豊富な水を利用して、いくつもの焼酎蔵が芋焼酎をつくっています。
その一つ、明治27年創業の白石酒造を訪ねたのは、自分たちで育てたサツマイモ(以下、芋)しか使わないという珍しい蔵であること。そして"困難な"無肥料、無農薬栽培を十数年来続けていると知ったからでした。
看板銘柄は、焼酎好きのみならずワイン愛飲者までもが友人知人に口伝して、近年ますます広く知られることになった「天狗櫻」です。
現在の杜氏(酒づくりの責任者)、5代目の白石貴史さんは、まさに南国鹿児島を象徴するような精悍(せいかん)な顔つきと、分厚い胸板。"芋焼酎"と聞くと、男性的で力強いお酒を想像するかもしれません。風貌は、そのイメージにピッタリでした。
ところが、2日間話を聞く中で、白石さんは何度も「優しい」「やわらかい」「かわいい」と焼酎を表現します。
特に印象的だったのは、「サツマイモは根ものの野菜なので、とても優しい素材なんです」の言葉でした。その原点を、白石さんの言葉からたどっていきたいと思います。
素材の潜在能力を引き出すために
たどり着いた「何もしない選択」とは
東京農業大学醸造科学科を出て、実家の蔵に戻ってしばらく経った頃のこと。白石さんは、知人からもらった長芋を食べた時、思わず涙があふれ出たんだそうです。
「食べると、なんかわかんないんですけど涙が出てきたんです。2回食べて、2回とも泣いちゃって......」
野菜。一本の長芋。目の前にあるのはそれだけ。
実はその長芋は、自然農法でつくられたものでした。自然農法とは、農薬や化学肥料を使わずに、田畑を耕さず、除草せず、人の手や機械を使わずに栽培する農法のこと。
白石さんは、なぜこの長芋をおいしいと感じたのか、なぜ心を動かされたかを探るうちに、「大事なことは引き算なんだな」と確信を得ました。それが、さまざまな取り組みのきっかけになったと言います。
2007年、白石さんは農業をやめた方から荒れ畑を借り、自然農法で芋づくりを始めます。除草剤を使いませんから、雑草が芋の畝(うね)を覆います。化学肥料や農薬を使わないと収穫量は格段に落ちます。「無謀だ」と言われたそうです。
しかし、「いらんことをしない方がおいしくなる」。その一心でした。
2024年の現在では、畑によってカキ殻や米ぬかをまくことがあるものの、有機肥料や堆肥を使うこともありません。
「芋は僕の子ども。いい土があれば、ほかに与えなくていいと思うんです。芋の潜在能力を信じてあげたいので」と白石さんは言うのです。
芋、といっても、「天狗櫻」には紅芋系、白芋系、紫芋系、橙(だいだい)芋系など多様な芋を用います。その系統の下には、ベニハルカ、ジョイホワイト、アヤムラサキ、ハヤトイモなどさまざまな品種があります。
畑は粘土質、砂地、水質、水はけ、風、日照など条件が異なりますから、同じ品種であっても"同じ芋"はできないわけです。
意図した味や香りの「天狗櫻」をたくさんつくろうと思えば、栽培しやすく"計算が成り立つ"品種を、畑を極力似た環境に整えて、経験則に基づいた育て方や蒸留方法で焼酎をつくる方が合理的な気がします。
でも......、と白石さん。
「僕は、この料理に合うとか、あの香りや味を狙うってことができないんです。できない僕が、できないことを一生懸命やっても......って(笑)」
「だから、芋をじーっと見ます。できた芋に従って、毎回レシピを全て変えます」
苗を植えて自然に成長するままにするこの農法では、大前提は変えなくとも、つくり手の潜在能力も試されるということなのでしょう。
「近くで拾ったきれいな石でもなんでも、一番きれいなところを自分が見つけてあげるだけでいいと思っていて。その方がうまくいくことが多いんです、僕は」
自分を消して素材に向き合う
「芋も僕を見てるはずだから」
どの芋が、どんな味になるのか、それが楽しみだと語る白石さんは、毎年「混醸13種」「紅芋混植」「ジョイホワイト(単品種)」「南果(単品種)」「春の天狗櫻」など、何種類もの焼酎を世に出します。「今度はどんな焼酎なんだ?」「白石さんは何を見つけたんだ?」と、酒販店や愛飲家がワクワクして待っているというのもうなずけます。
蔵の近くの居酒屋で、一緒に、地元のおいしい鳥のタタキを食べていた時、鳥肉好きの白石さんはこう言いました。
「虫と草だけ食べて育った鳥を食べたいなぁって、いつも思うんです。人間が食べるものを餌にした鳥じゃなくて」
「最近ジビエ(狩猟で捕らえた野生の鳥獣やその肉)にすごく興味があるんですよね。米を動物の飼料用に加工したり、一方で人間の食用米が足りなくなったりするなかで、野生の動物たちは自然の食料だけで、おいしく育つわけですもんね」
白石さんは考えました。
「だから芋を過酷に育てることにしたんです。肥料を入れてしまうと、それに慣れてしまう。欲しがるわけです。探さない子になっちゃう。うちの芋は、頑張って必死に探してくれる。それがかわいくてしょうがないんです」
「だから自分も、ぬくぬくしてたらダメだと。ギリギリのとこでやらないと。鏡の法則みたいな感じですかね。僕のことを見てると思ってて、芋が」
収穫量は少なく、手間はかかる。実際に採算は厳しいとのこと。
「家族やスタッフまで過酷な状況にしないように、なんとか、なんとかって感じです(苦笑)」
それでも、「無意識でいたい」と白石さんは言います。
「目の前にあるものに、ただ愛情を持って向き合う、それだけの焼酎蔵でありたい」
「お酒で人を喜ばせるには、小手先の技術じゃ通用しないと思ってて」
学生の頃に東洋医学を学んでいたという白石さん。
「全てつながってると思うんです。自分の中では循環がうまくいくやり方が、きっとどこかにあると信じて、ずっと探しています」
農業をやめた地域の人に、畑の世話をお願いする。養鶏をやってもらう方には、どうすれば平飼いができるかをみんなで考えて、ちゃんと買い取る。こうした活動は、白石さんが自ら芋の栽培をし、日々土の上を歩いて、農家や地域の人たちと話をしてきたからできることなのかもしれません。
目指すのは、地域と人が見える
"手料理"のような焼酎
「いちき串木野市の一日を切り取ったような焼酎をつくりたい」と白石さんは言います。
「大きな酒造メーカーの優れたつくり手たちは、きっとすごい焼酎をつくる。それに勝てるはずがないから、逆に引き算をしてたどり着いた『手料理』みたいな。『あ、田舎が見える』と思ってくれるような焼酎を」
先の居酒屋で、橙芋を使った2023年の「天狗櫻」を飲ませてもらいました。
一口目の口当たりがするーっと優しくて、「え、これ芋焼酎?」と驚きました。パッションフルーツやキンモクセイの香りがして、少しヨーグルトの風味を感じます。花のような、果実のような不思議な香りです。
「最近の僕の中では、一番よくできたご褒美的な焼酎なんです」
この土地から、この蔵から、次はどんな「優しい」芋と芋焼酎がつくられるのでしょうか。楽しみです。
文:末崎光裕 写真:水崎浩志
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