250の座席がある東京都多摩市のホール。観客に見守られるなか、たった一人の歌声が響きます。おこなわれていたのは、府中西高校合唱部の独唱会。1年生から3年生まで、男女47人の部員が一人ずつステージに立ち、歌います。
曲は、童謡からアリア(オペラなどの中で一人で歌われる曲)までジャンルもさまざま。選曲に表れているように、生徒たちの表現もまたそれぞれ。
ミュージカル俳優のように身ぶり手ぶりをする子もいれば、小さく手を握りしめ、一点を見つめて歌う子もいます。その姿からは、歌を通して何かを伝えようとしているように感じました。
府中西高校合唱部の創部は1975年。2024年は50年の節目の年です。1981年に指導者の大久保省三先生が始めた独唱会は現在も続き、いまや伝統に。
"合唱部"ですから、みんなでハーモニーを奏でることが大切なのでは? 独唱で、しかも発表会までするなんて。どんな経緯で始まったのでしょうか。
「周りと合わせることの前に、まずは歌そのもの。個々人が『歌える』ようになることを大久保先生は目指したのでしょう。歌うことは『ひたすら自分と向き合うこと』ともおっしゃっています。一人で歌うって、誰も助けてくれないですよね。逃げも隠れもできません」と教えてくれたのは、顧問であり指揮者の横井明子先生です。
彼らの歌声は、どんなふうに生まれているのだろう。独唱会の数日後、NHK全国学校音楽コンクール予選に向けて猛練習中の部員たちを訪ねました。
練習は生徒たちが主導
「自分で考える」ことで育つ強み
1983年の初出場以来、コンクール入賞の常連校ですが、長年目標にしている日本一の夢はまだ叶(かな)っていません。
「この前の合わせ(合唱)はひどかった。そもそもリズムが取れてない。そこからやり直そう」。練習の冒頭、言い出したのは先生ではなく、3年生の元部長・松井夏音(なつね)さんです。
数人のチームに分かれ、リズムを取り始めます。できている人とそうでない人をパートリーダーが選別。できた人から抜けていき、別の場所でまた違う練習が始まりました。そこで次に何をやるのかも、わかっているのでしょう。生徒たちの動きには迷いがありません。
聞けば、練習内容はその時の状況によって毎日変えていると言いますから、いかに自分たちで考える習慣が身についているかがわかります。
「大まかな練習プランは私が考えますが、何より自主制・主体性を大切にしたいんです。それがこの合唱部最大のウリですから。そのぶん横井先生も私も待っている時間は長いですよ。でも、自分で気付いたことは一生忘れないですからね」と同校OBで、個人レッスンを担当している藤井達也コーチ。
人それぞれ体が違うように、声質や得意な音程もそれぞれ。
藤井コーチは一人一人の声を聞き、個人が持っているよいところを生徒と一緒に探っていきます。
「低い音、あんまり出ないね。そしたら無理して絞り出すような練習はしないでいいから。それよりも自分の得意なところ、自分が活躍できる場所を見つける。高いドを超えてからの方が調子いいじゃない。それなら、高いところは私に任せなさい、そのかわり低いところは任せた、と潔く歌おう」
個々が生きた声が、"府中西高校合唱部の声"の土台になる、と藤井コーチは言います。そして、「任す、任せる、任される」関係、この絶妙なバランスがうまくいった時によいハーモニーが生まれるのだそうです。
練習中、元部長の松井さんが後輩に問い詰める場面がありました。
自由曲『父の唄』の歌詞について、父親から息子へ向けた言葉にどんな気持ちをのせるのか、イメージして歌ってほしいと言うのです。質問、回答のラリーを繰り返し、後輩の生徒は悩みながらも必死に答えを絞り出してくらいついていました。
評価されることだけが目標じゃない
楽しく歌うために必要なもの
歌は、言葉を取り扱うことができる唯一の音楽。2年生の部長・小川優真さんが少し恥ずかしそうに話してくれたことが印象に残っています。
「面と向かって言うとかっこ悪いって言葉も、歌にするとかっこよく見えたりする。歌うことで相手に感情を伝えられるっていうのはすてきだなって」
独唱会の時、彼らの歌声にどこか力強さを感じたのはそういうことだったのか、とふに落ちました。難しかったり解釈が複数あるような歌詞でも、思いをめぐらせて、自分なりの答えを探し出す。それもまた自分と向き合うということなのかもしれません。
生徒たちそれぞれの声質や表現をつくっていったとして、"合唱"はうまくいくのでしょうか。声をそろえること・合わせることが美しい合唱だという既成概念があるなかで、同校の歌声は、実際にコンクールで賛否があるのだそうです。
「勝ちたい、日本一になりたいというのはもちろんあります。でも、勝つことだけを目標にはしてないですね。全国大会に行くと、1位をつける審査員の先生もいれば、ビリをつける方もいます。こんなの合唱じゃないって声もありますよ。
それでも、全員の平均点80点よりも、誰かの120点がもらえた方がいいかなと。どんな評価をされても、うちの生徒たちはブレません。勝つことはうれしいですけど、それよりものびのび歌えることの方が楽しいんじゃないですかね」
藤井コーチの話を聞いて、すべてがつながった気がしました。生徒たちのいきいきとした表情。部活というよりも大家族のような、先輩後輩というよりも兄弟姉妹のような関係性。歌うことが楽しくて仕方ないといった様子。
しかし、日本一を目標に掲げていますから、うまくいかなくてつらいことも、横井先生にひどく怒られることも日常茶飯事です。それでも部に流れている空気が明るいのはきっと、お互いに思っていることをきちんと言い合っているから。
そして、任す、任せる、任される関係ができているから。
練習を見に行った日、3年生だけで歌う場面がありました。その歌声を聴いて、横井先生と藤井コーチが興奮気味に語っていました。
「今日はいままでにないくらい、最高によかった。思い切りのよさと"恥知らず"がよい表現になってたね」
自分と向き合い、仲間と向き合い、自分をさらけ出す。みんな一緒だから恥ずかしいことなんて何もない。その時、府中西高校合唱部の目指す歌声が生まれるのかもしれません。
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