広島駅から車で約50分、広がるのは空の青、山と草の緑ばかり。牛たちの歌うような声が響きます。
「低い声の時はリラックスしてるみたいです。声で気持ちを表してるんじゃないかなあ」
軽トラックから現れたのは、3代目の久保宏輔(こうすけ)さん。一緒に農場を歩いていると、一頭の牛が牛舎から放牧地へ引かれる姿が見えました。他の牛たちが心配そうについていきます。牛は集団行動する生きもので、性格がデリケートなんだそうです。
日本では輸入飼料を与える酪農家が多いなか、ここサゴタニ牧農で牛が食べるものは牧草が中心です。
牧草には土から譲り受けた乳酸菌が豊富で、発酵させると腸を整える上質な飼料になります。久保さんたちはその9割を農場の畑で育てています。
理由は、牛たちの健康のため。
「酪農は草を乳に換える農業だと、農場を拓いた祖父は言いました。だからこそ、牛が食べる草、草を育む土が大切なんです」
さらに、サゴタニ牧農が力を入れているのは放牧地の開墾(かいこん)と放牧です。牛たちがのびのびと草を食べ、体を擦り合って遊ぶ様子から、この農場ならではの景色が生まれていました。
しかし、放牧には広大な土地が必要な上、牛の運動量が増えると乳量がぐっと減ってしまいます。そのため、多くの酪農家は牛舎飼いを選びます。
久保さんたちが夢見ているのは、全ての牛を放牧で飼う全頭放牧です。おいしい牛乳をつくるだけでなく、たくさんの人に「土と草と牛と人が環(わ)になって育て合う風景」と出合ってもらうために。
10年ほど前から林地を開墾して草の種をまき、牛が心地よく過ごせる放牧地を広げてきました。
私たち生きものは
食べたものでできているんだから
そんな話を聞きながら傾斜を上ると、山々に囲まれた見晴らしのいい高台へ。風に乗って、青々とした草の香りが漂ってきます。
「あ、落としものに気をつけて」と言われてぽかんとしていると、足下の草陰に大きな牛のフンが。
「牛はフンの周りの草は食べません。生き残った草は、フンが土の養分となり、よく育ちます。フンがすっかり土に還(かえ)る頃には栄養たっぷりの草が育っていますからね、牛が戻ってきて、いい草を食べる。
そして、いい乳をつくります。その乳を飲んだ人間は元気になるでしょう? 私たち生きものは、食べたものでできてるんですよね」
なんと、足下のフンをめぐって見事な循環がぐるぐると渦を巻いているのでした。
「こうしたいのちの営みは、農場の中だけで完結しているわけではありません。近くの山の養分が染みこむ地下水系があるから、健康な土も草も牛も育ちます。自分たちの農場を大切にすることは、周りを大切にすることになるから不思議です」
スタッフの皆さんが牧草を刈り取り始めました。すると、その上空にトンビやツバメたちが集まってきます。虫やヘビがびっくりして這(は)い出るのを狙っているそう。農場のいたるところで、生きものたちのさまざまな「生きる姿」を目にしました。
開墾というと重機で土を掘り返す荒々しいイメージですが、ここでは牛が開拓者です。
「傾斜地には重機を入れられないので、僕たちができないことは牛にお願いしています」
牛が踏み歩き、草を食べ、フンをすることは、土地を耕すことでもあります。機械で真っ平らにするのではなく、昔からある木は牛が休む木陰として、根には土の力を高めてもらう。土地や牛の力を借りてゆっくりと開墾するのは、気持ちがいいそうです。
久保さんの計画を聞いて驚きました。これから15年ほどかけて放牧地を拡大し、その広さや牧草の密度に見合うように、牛の頭数を現在の120頭から50数頭に減らしていく予定だそうです。
「頭数を減らせば、乳量も売り上げも減ってしまいます。とはいえ、1リットル何千円もする、限られた人しか飲めない牛乳をつくるつもりはないんです」
では、どうするか。酪農とは別に、農場を訪れる人たちに「食」や「農」に触れる体験を提供することを、もう一つの事業として育てたい。乳搾りや牧草やりはその一歩だと、久保さんは考えています。
きっかけは、コロナ禍で受け取った
地域の人たちからの手紙でした
とはいえ、リスクの高い全頭放牧をやるべきか、久保さんは長らく迷っていました。背中を押したのは、2020年のコロナ禍での出来事でした。学校や保育園に届けるはずの牛乳が、休校の影響で毎週4トンも余る事態に。
スタッフと知恵を絞ってドライブスルー形式で販売したところ、1日1000台の車が列をつくったのです。
声の代わりに手渡されたのは、サゴタニ牛乳が大好きというお子さんや、ここでぼんやり過ごす時間が子育て中の癒やしというお母さんなど、地域の人たちからの手紙でした。
「僕たちの農場がこんなに愛されているなんて知らなかったんです。この地をもっと豊かな場所にして返さないと。土地は借りものという祖父の言葉を思い出しました。
光る牧草畑や、放牧地でくつろぐ牛たちを眺めながら、土と草と牛と人のつながりを何となく感じてもらえる場所にしたいなと思って。僕の夢はみんなの夢になると、心が決まりました」
久保さんは父であり社長の正彦さんに相談しようとしましたが、ことあるごとに考えが対立してきた2人。家業を立て直そうと力むほど、ぶつかりました。
いまこそ向き合いたいと、北海道の放牧農場を視察する旅に父を誘い、思いを打ち明けました。
「わしも思いはあった、放牧をやりたいなら応援する」
正彦さんと久保さんは、それ以来一度もけんかをしていません。「敬意を持って接すると、相手も耳を傾けてくれるんですよね」と振り返ります。
サゴタニ牧農の牛乳は、「はるとなつ」「あきとふゆ」によって、味わいもパッケージも変わります。それは、「いまここ」で生まれるものに満たされる体験をしてほしいから。一年中同じ味の牛乳を全国に届けたいとは思わないと、久保さんは言います。
「牛のお乳の手ざわりや、農場の風景が親子の心に残って、いつか思い出を語り合ってくれたら最高。サゴタニ牧農の役割は、心の種まきですね」
父と弟の尚彦(なおひろ)さんと植えた若い樟(くすのき)を見上げて、久保さんは今日一番の笑顔を見せました。
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