「1匹の猫で、人生が変わってしまいました」
そう屈託のない笑顔で話すのは、国産や無添加にこだわったペットフード、サプリメント、最近では動物病院事業なども手がける「犬猫生活株式会社」の代表取締役社長、佐藤淳さんです。
10年ほど前のこと。
当時、食品宅配会社の社員として人の食に関わる仕事をしていた佐藤さんは、ある野良猫と出会います。
突然始まった
猫たちとの暮らし
「当時住んでいた家の近所に、ガリガリにやせた野良猫ちゃんがいたんです。実家で猫ちゃんと暮らしていた妻は、その子を放っておけなかったのでしょう」
家に迎えてあげたほうがいいのではないか。夫婦で話し合い、その猫を保護することに。
ところが、その4日後。2人が仕事から帰宅すると、家の中で子猫が4匹生まれていたのです。
猫があまりにやせていたため、妊娠していたことには気づかなかったといいます。
残念ながら1匹は死産でしたが、その日から突然、生まれたばかりの3匹の子猫と親猫、佐藤さん夫婦の暮らしが始まりました。
「もともと私はわんちゃん派だったんですけどね(笑)。猫ちゃんと暮らすこと自体が初めてだった上に、いきなり生後間もない子猫たちとの生活が始まったわけです。でも、"どうしよう"なんて迷っている暇はありません。やせ細った親猫が、懸命に子猫たちにお乳をあげている。その姿を見ているうちに、この命を守りたい、健康に育ててあげたい、という気持ちが自然とわきました」
ウチの子にあげたいフードが
見つからない
食事は何を選べばいいのか。
健康のために、どんなことができるのか。
大切な家族が一度に増えたことで、それまで考えたことのなかった疑問が、次々と浮かぶようになりました。
もともと、食に関わる仕事をしていた佐藤さん。猫との暮らしが始まると、「この子たちはどんな素材でつくられたごはんを食べているのだろう」と気になり、ペットフードについて調べ始めます。
ところが、「これなら安心」と納得できるものは、なかなか見つかりません。
「当時、いいフードといわれるものは海外製がほとんど。でも、重くてかさばるフードを時間をかけて船で運ぶことを考えると、鮮度も気になるし、輸送費も価格に乗ってくる。国産でもっと良質なものはないのかな、と考えるようになりました」
原材料の産地や、どのような原材料が使われているのかが見えにくいことにも不安を感じたといいます。
ないなら、自分で
つくってみよう
「安心できるものがないなら、自分でつくってみよう」
そう決意した佐藤さんは、ペットに必要な栄養について学び、食に詳しい獣医師の協力を得ながら、理想のレシピを構想します。同時に、生肉を主体としたドライフードをつくることができる工場探しも始めました。
問い合わせた工場は、約20社。水分量の多い生肉は扱いが難しく、起業前で実績もない佐藤さんからの申し出に応じてくれる工場はなかなか見つかりません。
そんななか、金沢にある工場から「難しいと思うけど、話だけなら聞くよ」との返答が。
佐藤さんはすぐに新幹線に飛び乗り、直接思いを伝えに行ったといいます。
「“そこまで言うなら一度やってみようか”。そう言ってもらえた時は本当にうれしかったですね。きっと、動物だけでなく人間にとってもいいものがつくれるはずだ、と予感しました」
手を動かしながら、
確信に近づいていく
しかし開発も、決して順調に進んだわけではありません。
佐藤さんのレシピは、生肉を多く使う、穀物を使わないなど、それまでに実績がなく、ゼロベースで開発に取り組む必要がありました。材料の粘度が安定せず、なかなかきれいな粒になりません。試作品を開けると大きな塊になっていたこともあり、工場から「そろろそ諦めませんか」と言われたこともあったそうです。
また、添加物をなるべく使わずに、食材本来の風味や栄養素を生かしたドライフードにするために、低温で加工し、低温で長時間かけて乾燥させる製法を取り入れました。
「一般的なフードでは製造を安定させるために粉の原材料を使うことが多いのですが、私たちは生肉や野菜などを使うことにこだわりました。原材料の繊維や脂、水分量が毎回違うので、その状態を見ながら、温度や時間を調整しなければならない。機械だけに任せるのではなく、人が見て判断する必要があるんです」
原材料の配合や加熱温度、乾燥時間などを微調整しながら、佐藤さんは工場長と二人三脚で、粘り強く何度も試作を重ねていきました。
「完成したフードは、まず自分の猫ちゃんと、友人たちの猫ちゃんたちに試してもらいました。配合の異なるフードを複数並べ、食べっぷりを検証。時には、自分たちの口でも確かめます。 ペットは自分で食事を選べません。だからこそ、原材料や製法、香り、食べやすさまで、シビアな視点で見つめる必要がありました」
開発スタートから10カ月。保存料や着色料を添加せず、アレルゲンとなる穀物を使わない、なにより飼い主さんが安心して与えられるフードが誕生します。佐藤さんの「あったらいいな」が、ようやく一つの形になったのです。
助けを求める子に
手を差し伸べるには
原材料の産地を開示し、製法や鮮度にまでこだわったフードは、少しずつ受け入れられていきました。「安心して与えられるものを」という思いを抱いていた愛猫家は、佐藤さんだけではなかったようです。
共感する人の輪が広がるにつれ、今度は利用者からの「あったらいいな」の声が届くようになりました。たくさんの切実な声に真摯(しんし)に応えていくうちに、商品の幅はどんどん広がっていきます。
「具体的な要望や困りごとが、新商品のアイデアにつながっていくんです。新たなチャレンジに取り組む時は、いつも一番ワクワクしますね」
最近では、より多くの人に商品を手に取ってもらうための販売先の拡大や海外展開、食事以外の悩みに応えて生活全般を支えるため動物病院事業などにも取り組んでいます。最初は手探りでも、少しずつ運営の手応えが見え、次に何ができるかを考える時間が、佐藤さんにとって大きな喜びになっているそうです。
いま、佐藤さんはさらに大きな課題と向き合っています。
「かつて自分が保護したような、助けを必要としている子たちをなんとかしたい」
日本の殺処分をめぐる状況は年々改善傾向にあるものの、いまだ年間約6,800匹もの犬・猫が殺処分されています。1日にすると、約19匹もの命が失われていることになります。※
※環境省「犬・猫の引取り及び処分の状況(令和6年4月1日~令和7年3月31日)」を参照
殺処分をゼロにするためには、何をすればいいのか。
「最初のころは、利益の一部を使い、保護団体へフードやお金を寄付していたんです。しかし活動を続けるうちに、保護施設や不妊去勢専門の動物病院の不足、慢性的な資金不足や人手不足など、現場にある課題が少しずつ見えてきたんです」
2021年、ペットをめぐる社会課題に向き合うための実践の場として、犬猫生活株式会社が設立人となり、動物福祉のための非営利法人「一般財団法人犬猫生活福祉財団」を立ち上げました。寄付するだけでは見えなかった現場の難しさを、自ら引き受けながら学んでいくための一歩です。
「保護シェルターや不妊去勢手術クリニックをやってみよう、と。保護犬・保護猫を迎え、世話をし、譲渡まで伴走する。自分たちの手でやってみなければ、現場で何が大変なのかもわかりません。実際に運営してみることで、『殺処分ゼロ』を本気で実現するために必要なことが見えてくるのではないかと」
疑問や願いを、行動に変えていく
1匹の野良猫を家へ迎えたこと。
愛猫に与えたいフードが見つからなかったこと。
助けを求める犬猫たちの現状を知ったこと。
始まりは、どれもごく身近な出来事です。
そのたびに佐藤さんは、「どうしたらいいのだろう」と立ち止まり、自分の手足を動かしてきました。
自分の中に生まれた違和感や願いに誠実に向き合い、まずはできることから試してみる。
わからなければ調べ、うまくいかなければ、方法を変える。
そんな積み重ねから、見える景色が少しずつ変わっていくのだと思います。
文:藤田三瑚 写真:長野陽一
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