「毎朝目覚めた時、自分が手をかけてつくったものが最初に見えたら幸せ——。アメリカで出会った、タイニーハウス(極小住宅)暮らしの友人夫婦の言葉が、ずっと心に残っているんです」
そう話すのは、パーマカルチャーデザイナーの川村若菜さん。浜松市の郊外でパートナーの大村淳さんと暮らしています。部屋の断熱性を高めようと、最近自分たちで張り直した寝室の天井は、まさに目覚めて最初に目に入る"手をかけたもの"。
「穴が空いていたり、決して綺麗とは言えませんが」と笑いつつ、この天井の下で眠れるのが何よりうれしい、と目を細めます。
自宅から森を隔てた先には、2人が育ててきた「フォレストガーデン富塚」が広がります。フォレストガーデンとは、「森のような菜園」のこと。豊かな森を手本に、生き物や植物の力を借りながら、果樹や野菜を立体的に混植する手法です。
10年前はスコップが刺さらないほどだった荒れ地は、いまでは200種以上の植物が実る豊かな菜園に育っています。
「今年は、めっちゃ来てますね」
満面の笑みで指さしたのは、手製のニホンミツバチの巣箱。養蜂は3年目。昨年は寄りつかなかったミツバチがひっきりなしに出入りし、採蜜も順調です。
アメリカで出合った
新しい価値観と文化
ここを拠点に活動する川村さんがいまの暮らしにたどり着くまでには、いくつもの回り道がありました。
大学卒業後、大病院で看護師として働き始めた川村さん。呼吸器科に配属され、命と向き合う日々でした。「新人だから頑張らなきゃ」と自分を追い込むうち、ある日過呼吸で倒れてしまいます。
「生真面目な性質で、途中で投げ出す自分が許せない。でも、頑張ろうとするほど動けなくなって……。人生で初めての挫折に、身も心もボロボロでした」
休職を経て見えてきたのは、胸の奥にあった「海外に行ってみたい」という思い。小さなクリニックで1年働いて留学資金を貯め、24歳で渡米します。
「知ってる人が誰もいない街がよかった。インディロックやアートが好き、という単純な理由でサンフランシスコの語学学校を選んで。趣味を通じて知り合った人たちは、ビーガンや環境活動家など出会ったことのない人が多く、カルチャーショックでしたね」
西海岸の多様で自由な文化や価値観は、川村さんの世界を大きく広げていきます。
「マジメな考えが通らない。時間通りに進まない。英語を学ぶだけのつもりが、型にはまらない考え方や暮らしに触れるたび、肩の力が抜けていきました」
看護で「人」と向き合ってきた反動もあってか、興味はいつしか植物へ。短大の造園学科へと進学します。
「樹木や草花、キノコ……自然について学ぶほどに、新しいメガネをかけたような感覚になる。ものの見方ががらりと変わるんです。授業を通してパーマカルチャーの世界を知り、さらにのめり込んで……、半年で帰国するつもりが8年も居着いてしまいました」
日本に戻った川村さんは、やがてパートナーの大村さんが始めた「フォレストガーデン富塚」の活動に合流します。
よりよい循環をつくるために
惜しまないこと
「何事も、まずは観察。庭も、暮らしもそう。いまある持ち物を把握して、ちゃぶ台一つを買うのにも、本当に必要なのか? って議論する(苦笑)」
その時々の自分たちに必要なものを見極め、本当に大切だと思えたことには、惜しまず手をかける。
「賃貸なのに、改築したり薪ストーブを入れるなんて無理——そんなふうに判断する前に、気持ちや目的を周りの人とも共有する。そうしたプロセスに労力を惜しまなかったことで、道が開けていきました。大家さんをはじめ、地域の理解者や協力者が増えていき、人とのつながりも広がってきましたね」
あらゆる生命がいきいきと交差するフォレストガーデンと同じく、人やものとの関係を結びながら、よりよい循環をつくり出す川村さん。
「草木は伸びるし、森の姿も毎日違う。自然は、変化するのが当たり前。もちろん自分も年をとるけれど、変化を観察し、楽しみながら、その時々の自分に合う暮らしをつくれたらいいですね」
今年の目標は、「重機を自在に扱えるようになること」だそう。重い土を動かし、汗をかきながら、少しずつ操作を覚える毎日です。
「こういう作業は男性のほうが得意なはずだって、どこかで甘えていたのかもしれません。
40代に入ってからは、できることをもっと増やしたいって欲が出てきたみたい(笑)」
