弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

2019年 11月号

長白参

出会った当初は、その名をどう読むのか、見当さえつきませんでした。

長白参と書いて「ちょうはくじん」。今でこそそれが、ドモホルンリンクルに欠くべからざると心得ておりますが。当時の私はコラーゲン原料の効果に夢中。これをお客様の肌に!という一念に凝り固まって、傍らに得難い宝を携えていることを忘れておりました。

長白参とは、中国吉林省の奥地、長白山麓の畑でのみ育つことを許された高麗人参の尊称です。ご承知の向きも多いと存じますが、高麗人参は漢方の世界で上薬の棚の、そのまたいちばん上に置かれ、「久しく食せば命を逞しく永らえさせる」と崇められてきました。神代のお話によく出てくる仙果、仙薬とは、この根のことを言うのでは…。開発者がその効果を計り、その凄さを教えてくれるたび、そんな想いが胸を広く占めていくを感じておりました。

それにしても。自然とは持ちつ持たれつ、支え合って生きていくものと信じておりましたが。そんな想いを粉々にするほど、この人参は情け容赦なく、すべてを奪い長ずる植物でした。最初の畑で四年、植え替えた畑でもう三年。足かけ七年もの間、ひたすら土中の滋養を吸い上げ我がものとし、収穫後の畑は、数十年なにも育たぬほどに枯れ果ててしまいます。

もし人だったら、好きになれない…。そんなバカな想いすら浮かぶほど、この人参は自然にあるまじき自分勝手を貫き、か細いひげ根の隅々にまで溢れんばかりの精気を蓄えていました。

けれども。今、あの頃より、ずいぶんとあの世に近づいたところまできて、思ってみると。ああ、あの根っ子は神様に許され世に置かれたにちがいない…。そんな想いが胸にあることに気づきます。

人は悩みを掻き分けて生き、その手を幸せに向け伸ばしつづけます。その健気な姿に心動かされた神様が、せめて命を逞しくとの想いから、この地にそっと隠すように植えたもの。それがこの人参なのかも…。いささか神がかったふうの物言いをしましたが。神様を自然と読み替えていただけば、この根が奪うだけではない、人に破格の幸せを授けてくれる存在であることに思い至ります。

先日、私どもの開発者が、この人参から新しいエキスを採り出してまいりました。その力を計ったグラフの高さは、どれも見上げるほどで。これを肌につけたらと思うと、いささかならず胸の高鳴りを覚えました。美活肌エキス、クリーム20に入れる準備をしておりますが、整うまでしばらくの間は、プレゼント品の「七年の恵み 長白参」で、その純な力をぜひご体験くださいませ。

冬の陽射しは弱いとて、含む紫外線は相当の量と聞き知っております。ならば私はあえて、新しい美活肌エキス、クリーム20だけを肌にして、陽射しの中を歩いてみようとたくらんでおります。その日ばかりは、陽に焼けぬ心がけの一切合切を、すっぱりと忘れて。陽射しをものともしないエキスがくれる、とてつもない勇気だけを、しかと肌に携えて。

西川通子

2019年 8月号

受賞

ちょっと前、まだ夏でなく、気配がしてきた…くらいの頃のお話ですが。その日のお昼前あたり、熊本県庁の方からお電話をいただきました。

なに?なにかしたかしら?

頭に?が幾つも浮かぶのを感じながら電話口に出てみると、「熊本県産業振興特別功労賞を授けるゆえ、謹んで拝受されたし」とのお言葉を賜りました。

クマモトケンサンギョウシンコウトクベツコウロウショウ?ああ、なにかの賞なのですね、それで、それをどなた様に?と聞き返す思いで聞いていると、そのどなた様はまさかの私、西川通子、というお話で。不意を突かれたかのごとく、ただただ驚いて、しばしポカンとしてしまいました。

それはそうです。聞くところによれば、県政史上受賞者は私で六人目、しかも民間では初の出来事というお話。そんな大それた栄に浴する行いをした覚えは、いくら振り返っても露ほどもなく。かくかくしかじかと受賞の理由を聞いてさえ、それが特に労われるに足る功とは、今もって思えぬと申し上げるのが正直な気持ちでございます。

確かに、折にふれ熊本のそこここに桜を植えてまいりました。先の地震など難に見舞われた際には微力を奉じてもまいりました。けれどもそれは、熊本に生まれ、熊本に根を張り、熊本の皆様のお世話になりながら商いをつづけてきた私が、ふるさとより賜ってきた大恩に、せめてもの思いのみでした、ささやかなご恩返しに過ぎません。

加えて申せば、熊本の陸の玄関口、熊本駅のホームから見える万日山が毎春桜色に染まれば、空の玄関口である空港への道が桜吹雪く並木になれば、熊本城がかつての雄姿を取り返せば…と思うと、居ても立ってもいられなくなって、自ら音頭を取るだけでは済まず、社員と一緒になって土仕事に汗をかくのが大好きな生来のお祭り体質。つまり、どれもこれも「好きでやってきたこと」ばかりゆえ、それに賞をくださるということが、我がことながら未だ解せぬままなのです。

しかしながら、わからぬ解せぬと照れ隠しをしても、ふるさとよりご褒美をいただいた喜びは隠しおおせず。賞をいただきに上がり、私を信じ支えてくれた社員への礼を挨拶にかえて帰ってきた道すがら、道を定め、一歩一歩踏みしめながら歩み進んできてよかった…。胸にこみ上げてくるそんな想いを、柄にもなくしみじみとした気持ちで味わっておりました。

これをお読みいただいている頃には、喜寿の節目を迎えております。これより先はもう、特段なにもせぬことが、周りの者のためと心得てもおりますが。今回あらためて思い知った、喜ばれることをなによりの喜びとする性分は、今さらどうすることもできず。お喜びをいただいて、心から喜ぶという贅沢事を、あと一つ、できれば二つ。そんな願いの火は、もうしばらく消さず灯しておこう、勢いにまかせ燃え過ぎぬよう気遣いながら…と、未だ性懲りもなく思っているのでした。

西川通子

2019年 4月号

一生もの

それが春だったかどうか、定かに思い出せないのですが。

私が再春館製薬所の経営をお引き受けしたのは、ざっと数えて今から四十年ほど前のこと。当時医療用に使われるばかりだったコラーゲンを、日本で初めて配合した初代クリーム20に出会ったのも、そのときでした。

いかに心を込めようが手を尽くそうが、肝心の商品に“なくてはならない”と言われるだけのものがなければ、商いは上手くいかない、長つづきしない。

そう信じ込んでいた私は、初めて使ったクリーム20の肌ざわりに確かな手ごたえを感じていました。これはいい、これならきっと!

その後、使われたお客様の声を聞き、お求めに応えるよう磨き上げを繰り返し、仕上がり具合を確かめては、またお客様へお届けする…ということをつづけていくうち、少しずつですが、うれしい声が聞こえてくるようになりました。

「クリーム20が手放せない。なくなったら困るから、しっかり頑張ってね!」。

見込んだ通り、クリーム20を“なくてはならない”と思ってくださるお客様の数は日に日に増えていきました。けれども。そのとき私はすでに、次なる夢を見ておりました。

お母様が六十歳辺り、お嬢様は三十二、三歳辺り。なにげないお喋りの途中、お嬢様の笑顔に目をやったお母様が、こうおっしゃいます。「あなたもそろそろ、ドモホルンリンクルのお年頃ね」。

母が娘に信頼できぬものを薦める、という話は聞いたことがございません。そこに名前が挙がるのは、母が見極めた間違いのないものである証。

つまり私は、「私に」を超え「私たちにとってなくてはならないもの」と認められ、母から娘へと受け継がれつづけていくものに、クリーム20を柱としたドモホルンリンクル一揃えを育てあげたいと願っていたのでした。

一陣の風のように、舞い上がってはすぐに消え去るベストセラーでは決してなく。流行り廃りの波を乗り越え、間違いのない一生ものという銘をひたすら深くしていくロングセラーが、私がドモホルンリンクルに託した夢でした。

ですから、しばらく前、その年いちばん売れたクリームの栄に浴したこともございましたが、うれしく想いこそすれ、これで大願成就という気は一つもいたしませんでした。

けれども。会社から一歩二歩三歩と退きつづけている近ごろ、ドモホルンリンクルを巡る景色はと、遠目に眺めてみると、母から娘への話が私が思っていた以上に、あちこちに咲いているのが見てとれました。

中にはお孫さんまで使っているとか、お嬢様が「これいいわよ!」とお母様へ薦められたという、思ってもみなかったうれしい話も、ちらほら以上に咲いておりました。

これでよし。そう思いました。これで夢がかなったと思ったのではございません。よしとしたのは、この向きで進んでいけば、いずれは夢見た「間違いない一生もの」と広くお認めいただける日がやってくると信じられる気持ちがしたからです。

夢見た日から数えて、ざっと四十年。この先いかほどかかるかはわかりませぬが、きっとかなうと思えた日が春だったことを、今にもほころびそうな桜の蕾の姿とともに、今度は忘れぬようにしようと思っていました。

西川通子

2019年 1月号

五冊目

あけましておめでとうございます。

お世話になるばかりの皆様へのご挨拶に、本年も…とお願いの言葉をつづけるのは、念押しをするようで品がないかも…。ふとそう思い、よそうかとも思っていたのですが、いざ書きだすと生来のくどさが顔を出し、書かずにいられぬ気がつのって仕方ありません。こらえて溜め込んだウップンを、新年早々周りにまき散らすのも、いまさらですが年甲斐がないと思い定めて、行を改め書かせていただきます。

本年も再春館製薬所を、ドモホルンリンクルを、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

「つむぎ」にお越しの際は、おついでの気持ちで、こちらにもぜひお立ち寄りくださいませ。時間つぶしにも足りぬほどのお喋りしかできませんが、それでも皆様の気が、ほんの少し晴れたり和んだりするよう心掛けてまいります。

さて、時間つぶしにも足りぬ…と言ったばかりの口で申し上げるのはなんですが。ここしばらくのお勝手口をまとめた本が出来上がりました。なんと、これで五冊目とか。書き始めたのは二十数年前。よくもまあ長々と、とるに足らぬ無駄話をしつづけてきたものと、あきれるような想いばかりがいたしております。

振り返って、なにをどう書きつけてきたかは、ほとんど思い出せないのですが。一つ、書き始めたときの気持ちだけは忘れることなく、今もそのまま、この胸に残っております。

今も一世一代の傑作と信じて疑わぬドモホルンリンクルを、同じ気持ちで愛してくださるお客様のことを、とても他人とは思えませんでした。この想いだけでも、なんたる無礼とお叱りを受けて当たり前なのですが、あつかましさの極みはここから。

上に座するお客様には、きちんと裃を着た言葉でお話するが筋。そう心得てはいながら、どうしても気さくにお話がしたい、あわよくば「いいものをつくってくれたわね、ありがとう!」とおほめをいただきたいという想い抑えきれず。どうすれば…と思案したあげく思いついたのが、懐かしいお勝手口で、奥様方や御用聞きの人がしていた世間話にかこつければ、多少はひざをくずしても…。

思い返しても、なんたる浅知恵と恥じ入るばかり。けれども、お客様のそばへ寄りたい一心に免じていただけたのか、今日までこうして、戯れ言を言うように書きつけるのをお許しいただいていることを、口にはせねど心ひそかに、有り難き幸せと感じております。

まだ書くのか、いつまで書くのか。そう聞かれれば、気の向くままに、気の済むまではなどと、たわけた返事しか思いつきませんが。願わくば、勝手な口の利き様をこらえて、消え去る気配なき気まぐれ婆のお喋りに、今しばらくお付き合いいただければ、それにまさる喜びはございません。

西川通子

マイページへログイン 商品のご注文・新規ネット会員登録はこちらから