「お勝手口」図書室

弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

平成25年 12月号

20年

月日の経つのは速いもの…。そう感じだしたのはいつの頃からだったでしょう。

定かには思い出せませぬが。六十還暦を迎えてからこちら、様々な節目にあたるたび、知らず胸にそんな思いがしておりました。

巻頭にもある通り、年末恒例のイルミネーションが今年で二十年目。はじめた年に生まれた子らが入社して、今年の光を飾る作業に汗していると聞くと、この二十年はことさら速かったのでは…そんな気さえいたします。

二十年と言えば。お読みいただいている「つむぎ」も今年二十歳、ということは「お勝手口」もということになり。母屋はともかく、裏庭に有り合わせで建てたこの東屋がよくも倒れず来たものと、ちょっぴりですが感心してしまいました。

二十年前、お電話を通じた押し付けがましいお付き合いを重ね、お客様に愛想を尽かされました。「製品はいいのに、なんでそんなことをするの!」。お叱りの中にあった、ドモホルンリンクルを愛してくださる想いだけを頼りに、一からやり直すと決めました。良し悪しのご判断はすべてお客様に委ねよう。これからは包み隠さずありのままの姿をお見せして、お邪魔にならぬお付き合いに努めようと心に刻みました。その決心から生まれたものが「つむぎ」でございました。

その誌面の片隅にお勝手口ができたのは、創刊二号目の頃だったでしょうか。なにが書いてあったかというと、ある御料理屋にあがって私がしでかした失礼から、それに気付き反省に至るまでの顛末。読み返すと、今でもあのとき覚えた恥が甦ってくるような思いがいたします。

あれから二十年。世の様々と同じように私も変わりました。いくつかのものは変わることなく残りました。そろそろお勝手口を…。年に数度かかるそんな声に起こされ、ペンを握る心持ちは、相も変わらぬ粗忽話と同じく、変わりようもなく残ったと思っております。

できるなら、この手でお客様にドモホルンリンクルをお届けしたい。それがかなわぬなら、せめてわずかでもお客様のおそばに寄った気持ちで、会社ではなく、私という人間のありのままをお見せしたい…。

いささかならず美文調だった当初の気負いは年ごとにほどけ、今では書くと言うよりもお題の通り、お勝手口でする立ち話のように気も体も緩め喋っております。

お客様に向けそれでいいのか?と叱られれば、失礼と思いつつ気がつけば…などと、角の立たぬ程度の言い訳を言ってすませるでしょう。そして胸の中で、変わらぬ心持ちを握りしめ、これからも手書きのお喋りをつづけさせていただくつもりでございます。

良し悪しの判断、そのすべてを委ねたお客様のお許しある限り。

西川通子

平成25年 9月号

幸せな目

ちょっと前の事になりますが。とある方よりお招きをいただき歌舞伎見物をしてまいりました。

とある方とは誰あろう音羽屋の五代目尾上菊之助さん。なにゆえ?と思われた向きもあるでしょう。実は、しばらく前より菊之助さんに、ドモホルンリンクルのテレビコマーシャルのナレーターをお願いしてまいりました。そのご縁でお気遣いをいただき、身の程を越えた幸せな目に、というわけでございます。

皆様ご存じの通り、ナレーターはこの二十年余りずっと江守徹さん一筋。お店を持たない私どもにとって江守さんの声が顔、掛替えのない一枚看板でございました。しかしながら江守さんは、古稀の節目にあたる私の同級生。そう思うと、いつまでも頼り切りというわけにもいかず。どなたか江守さんのようにセリフに魂を吹き込める声を…そう思い暮らしていたところ、ご縁を得て菊之助さんに巡り会い、この方にぜひ!と思い定まった次第。

けれども、菊之助さんといえば押しも押されぬ梨園のプリンス。はたして引き受けてもらえるだろうか?そう案じもしたのですが、「芸の幅を拡げる良い機会、ぜひ挑戦させてください」とご快諾いただき、舞台とはまたちがう、あの柔らかで艶のあるお声を拝借することができました。

さて。一新なった歌舞伎座で錚々たる顔ぶれの舞台を拝見した後は、久方ぶりに心が震えました。歌舞伎といえば古典、古典といえば型。客もそれを心得て静かに鑑賞するもの。少なからずそう思い込んでおりましたが。私が観たものは、そんな思い込みとはまったくちがっておりました。

もちろん、型はあります。しかし、役者さんたちが役に込める想いや熱は、型をなぞるだけに留まらぬ生気を放ち、生々しく胸に迫ってきました。伝統を守るだけでなく、それを我が身に受け継がんと精進を重ねた後継者たちが、型に命を吹き込み、つないできたもの。私が観たものはまぎれもなく、時を経て朽ちることのない「今を生きる歌舞伎」そのものでした。

芸の幅を拡げる良い機会だからぜひ…。ナレーターをお願いした折に菊之助さんがおっしゃった言葉にもそれが映っていたと、今は思っております。この一路と決めたからこそ、それを肥やす何事にも挑んでいこうとするその情熱こそが、歌舞伎をいきいきとした現代芸術たらしめている。そう思うと、菊之助さんとのご縁が、ことさら特別なものに感じられてきました。

花形役者さんとお近づきになった、とか、そういうことではないのです。

その生き様の先がぜひ見たいから、もう一場、もう一幕、長生きしてみましょうか…。そんな気持ちにさせてくれる方にお目にかかれたことが、なんともいえずうれしくて。しばらくしてから、それがなにより幸せな目、と気づいたのでした。

西川通子

平成25年 6月号

古稀

いつになく早咲きだった桜が、春風に薄桃の花を散らしはじめたころ。仲の良いお友だちから、ひとひら報せが舞い込みました。「祝いの席を誂えるゆえお越し召され」。誰の?何の?と興味津々読みすすめていくと、なんと私の古稀の祝いとのことでした。

確かにこの夏で、その節を迎えますが。自覚の無さは還暦のとき以上。齢七十と言えば、永遠に巡り来ぬような先のまた先。そう思っておりましたゆえ、手紙を見返しながら、まだ早いんじゃないかしら…そんなとぼけた想いさえ湧いておりました。

しっくりこない理由がもう一つ。祝い事やお祭りの類は大好物ですが。好んでする役回りはもっぱら祝う側、囃す側。上座に就いた覚えなど数えるほどしかございません。そんなわけで当日は勝手がわからないというか、出足からまごついてしまいました。

いえ、準備は万端だったのです。夕の六時から集まり半より開宴。お招きに与り遅れてはならぬと、着るも結うも早めに済ませ、出来上がったのが四時過ぎ。さてお店へと気を向けた矢先、傍にいた者がこう言いました。「まだ二時間もあるじゃないですか」。

確かに。今からなら、ゆっくり向かっても五時には着いてしまうでしょう。でも遅れるよりはマシじゃない?…とは言うものの過ぎたるは及ばざるとも言うし…胸中でそんな独り問答をするうち、答えの見つからぬがシャクにさわって、「じゃあ程好い時間は何時ころなの、あなたはわかるの?」と責めるように返しておりました。

大人気ないというか。いかに主賓経験が乏しいといえ、頃合いを見計らうこともできぬ有り様。結局、いくつか寄り道して間を稼ぎ、集合の十五分ほど前に到着。特に粗相をすることもなく、気の置けぬ方々に囲まれ、千金の宵を楽しませていただきました。

会の締めには調子に乗って、残念なお知らせと前置きし、先だっての旅行で生まれて初めて占いをしてもらったこと、九十五歳まで元気との卦がでたことをお伝えした後、「というわけですので、喜寿も傘寿もお忘れなく!」と落ちをつけてまいりました。

わざわざお招きくださった皆様への御礼に、こんな悪ふざけを言ってお喜びいただくしかないのは、まさしく年甲斐の無いお話。けれども、二枚目より三枚目、道化方でいられるうちが花と思い込んでいるので、あきらめていただくより他ありませぬ。占い通りであれば、九十五歳の節は珍寿(ちんじゅ)。無事に生き長らえますれば、その時こそは、珍寿ならぬ「珍獣」の称を、甘んじて戴くつもりでございます(笑)。

仕舞いに一つ。孔子様の有名な漢詩、四十不惑の先を読むと「七十は従心(じゅうしん)」とありました。心の欲するに従って、道に外れることはない年という意味とか。七十年、徳を積めば然もありなん。しかし、私のように不徳極まりない身には、およそ及ばぬ境地。そう知ってはおりますが、大丈夫!もし外れればどこからか、小言お叱りが飛んでくるはず…そう高をくくって、この先も心の命ずるままに生きていこうと思っております。

かしこまって申し上げるまでもない、要は「これまで通り」ということなのですが。

西川通子

平成25年 3月号

語り部

昨年、人様の前に出てお話しさせていただく機会がございました。

会社行事や祝いの席でご挨拶を申し上げることは多々ございます。しかし、いわゆる講演の類をお引き受けしたのは、おそらく十数年ぶり。社長をしていた頃は、広告塔がわりになるなら…そんな思いで乞われるままにお引き受けしておりましたが。一線を退いた後は、山を拓いたり桜を植えたりと、好きな汗かき仕事にかまけているうち縁遠くなり。近頃は声もかからず、かかってもソノ気にならず…というようなまま来ておりました。

そんなふうでしたから、昨年のご依頼も当初はお断りするつもりでおりました。しかし、アジアで頑張る女性経営者の集い。しかも、子ども時分より存じ上げている地元の会社のお嬢様が世話人と知り、これは一肌脱がねばと思い直した次第でございます。

といっても、聞くに足る経営哲学や目から鱗の金言を授けられるわけもなく。私にできるお話といえば、基調講演などと打たれた銘が恥ずかしさに赤らむような、商い一筋にきた婆の昔語り。そんなものを長々聞かされたのですから、大志を抱く女性たちはさぞや当てが外れたというか。この欄でよくするような粗忽話に愛想笑いを返しつつ息継いで、なんとか遣り過したというのが、大方の一致するところだったのではと思っております。

ところが。さしたる実りも差し上げられぬお話をした私自身は、なにか大切なものを得たように感じておりました。

いついつなになにをしました…。そういう履歴書のような話をしているときは、さほどでもないのです。けれども、当時を思い返し話すうち、そのとき抱いた想いが胸に甦り、知らず熱を込め語っていると、聞いている皆様の目に光が入り、一座の気がぎゅんとこちらに向かってくるように感じました。そして、思っておりました。

こういうことなら、できるかもしれない…。

語り部と呼ばれる人がいます。歴史の一頁を実際に生きた人の物語るお話には、いくら年表を眺めても汲み取れぬ想いがあふれています。戦争を体験された方々の語り伝えが、平和への願いを育ててきたことを思えば、いついつなになにを空覚えする歴史より、そのときそこに確かにあった生き様、つまり史実の「実」に触れることこそが、後の糧となるのではないでしょうか。

そうであるならば、社史の載った社員手帳を手渡すだけでなく、私が社業を通しお客様に向けてきた想い、追い求めてきた夢を、有りのまま語りかけることが、次を担う者たちにとって、いくばくかの糧になるのでは…。

久方ぶりの晴れ舞台に舞い上がり、独りよがりしているだけかも知れませんが。この春やってくる新しい社員に向け、まずは語りかけてみよう…今はそう思っております。お話の枕にちょっと、こんなセリフを添えて。

「昔は家に年寄りがいて、知らぬ昔の話をしてくれました。そんな婆の話だと思って、しばらくお付き合いくださいね。なにをどう聞くかは皆さんにおまかせしますから…」。

西川通子

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