「お勝手口」図書室

弊社会長・西川通子が、ひとりの女性としての胸の内を綴ったコラムです。
家事の合間にお勝手口で、お馴染みのご近所と、ちょっと立ち話、世間話。
そんな気楽な気持ちでお読みください。

平成20年 秋号

もう3割

これを書いている今は八月夏の真っ盛り。なのに冬のことばかり思っているのは、あまりの暑さに挫けたから…ではございません。今と言わず春先から、私の頭の中はクリスマス前までに仕上げるイルミネーションのことでいっぱい。いよいよ今月から本格的な製作に入るとあって、いささかならず意気込みも増し、ちょっとした興奮状態がつづいております。

お世話になっている地元の皆様に心和む恩返しを。そう思い立ち本社前を光のオブジェで飾りはじめたのが十五年前。毎年少しずつつくり足し、熊本の冬を飾る風物詩と言われるまでに育てることができました。再春館ヒルトップに移って一年目の昨年は、広い園地を活かしスケールをドンと大きくすることができ。おかげさまで、およそ十二万名もの皆様をお迎えし、盛況のうち終えることができたのは、お正月この欄でお伝えした通りでございます。

さて今年は…と構想を申し上げる前に、私のものづくりに寄せる想いについて、ちょっとだけお聞きください。私は、ヒルトップのイルミネーション完成までに、およそ十年かかると踏んでおります。なぜ十年も要るのか。これはもう勘としか言いようのない、極めて自分勝手な思い込みなのですが。最初の一年目は三割方つくりあげるのに使おうと思いました。次の一年、つまり今年はもう三割つくり足すつもりでおります。ここまでを家に例えれば土台や柱、必要な設備の部分。あらかたつくらなければ、当面住み暮らすこともできぬゆえ、多少突貫でも太いイメージに従いエイヤッ!と仕上げてしまいます。けれども、そこからは毎年毎年、住みごこちを確かめながら手直しを主とし。ちょっと背伸びして届く五分の進化で磨きあげてゆきます。このやり方で十年かければ、住みながら理想の家がつくれるように、毎年皆様に光の饗宴をお楽しみいただきながら、理想とするものに近づけていけると踏んだのです。

ホップ!ステップ!ジャンプ!でやっつけてしまう、という手もあるのでしょう。しかしそれでは、振り返って手直しする余裕も生まれず、熟れる前にもがれた果物のようになってしまいがちです。そんな味気ないものをつくるのが、私には我慢なりませぬ。人や会社も同じ。相手の器量や目指す深さ高さを推し量って計画を立てる、段取りをする。それさえしておけば、お客様のお役に立ちながら、それほど無理せず己を高めていくことができるのです。もちろん、もっと良い方法もたくさんあるのでしょうが。高価でなくとも使い込んだ分なじんだ道具のように、私は数十年来使い込んできたこの仕方を、とても頼りにいたしております。

さてイルミネーション。今年つくり足す三割は、天の川、彦星と織姫、親子のクジラ…と決まってはまいりましたが、どうやら、そのどれもが一筋縄でいかぬ難物揃い。昨年に倍する汗をかかねば仕上がらぬと知って、いささかウンザリした気持ちにもなっております。

しかし、本当はうれしくて仕方ないのです。暑い夏のさなか、冬の夜空に煌く光をめざし汗を流す、光を見る人々の笑顔を想い浮かべながら…。だいぶ理屈を言いましたが、理屈抜きで私は、そんなふうに夢見ながら汗しているときが、とてもとても幸せなのです。

西川通子

平成20年 夏号

私のもったいない

その昔、私が会社で毎日のように”その水が!その紙が!その電気が!もったいない!“と言い募っていた頃は、どの社員の顔にも「これくらい、いいじゃない…」と言いたそうな表情が浮かんでいたように思います。

もったいないってどういう意味?そう思い調べてみたことがございます。「もったい」は「勿体」と書く漢語で、物のあるべき姿を指しており。「ない」を付けて、物があるべき姿にない、物を粗末にしているという意味で使ったのは日本人と記されておりました。

私が小学校の頃、お習字は、まず一枚の新聞紙に、真っ黒になるほど何度も書き重ねて練習し。よしっ!と半紙に清書しても、出来が悪ければ、その上にまた何度も書き直しをしておりました。

大人になってからも、それが普通と思い暮らしていましたが、昭和も五十年代頃でしょうか。その辺りの感覚が世の当たり前とはちがうと感ずるようになりました。なぜ?と周りを見回して驚きました。余ったら捨てればよい、壊れたら買い換えればよい。そんな心で世の中がいっぱいになって、物のあるべき姿を思ったり、最後まで使い切る工夫をするのはケチ、ということになっていたのです…。

使い捨てが豊かさの象徴のように言われておりました。ふんだんにあるのだから充分に使うがよい。しかし、考えなしに無駄遣いしたり、使えるものを捨てるのが、はたして豊かなのだろうか?私にはどうしてもそう思えませんでした。

三十年余りが過ぎました。「モッタイナイ」を口癖にした外国の方がノーベル賞をもらったから…というだけではないでしょうが、多くの人が、この言葉を口にしてもケチとは決めつけないようになりました。もったいないの先には、限りある地球の命運が結ばれている。そう気づいた人々が、もったいないを上手に使い、人と物との間柄をより良くすることに取り組みだしていました。私はと言えば、相変わらずもったいないを見つけては小言を並べておりましたが、言われている社員の方は大きく変化しはじめておりました。

まず、どの顔にも浮かんでいた「これくらいは…」の表情が消えました。それに連れ、もったいない!と目くじらを立てることが、あまり起こらなくなりました。気がつくと社内からは、私の見つけられるもったいないが消えており。社員たちが、私の気づかぬもったいないを見つけては、一つひとつきちんと手当てしておりました…。

先日、思いもよらぬ賞を頂戴いたしました。社を挙げて物を大切に使い、ごみを減らし、自然を大切にするよう努めてきたことが目に留まっての受賞でした。授賞式の壇上に上り、深く礼をして賞状を押し頂きました。胸には強く湧きあがる想いがありました。

この賞は私がいただいたものではない…。私の「もったいない!」を、ただの小言と聞き流さず、その底にある意を汲んでくれた社員の顔が、一人また一人と浮かんできました。声に出さず、一人ひとりに「ありがとう」と言いました。涙があふれそうな気持ちは、壇を降り席に戻ったあとも、ずっとずっとやみませんでした。

西川通子

平成20年 春号

今年の春

うれしや。今年もまた、春がやってまいりました。

会うたび真新しいのに、幼なじみのように懐かしくもある。

ありがたいことに、春はいつもそんなふうで、昔も今もおおむねかわりないのですが。あらためて振り返ると、迎えるこちらの心境は、毎度毎度ちがっていたことに気がつきます。

今も胸のうちを覗いてみると、そこには、昨年とはだいぶちがう想いがありました。よくよく見ると昨年どころではない。ここ数年いや数十年、もしかしたら生まれてこのかた抱いたことのない想いかも…。それほど今の胸にある想いは、温かで穏やか、柔らかで朗らかなものでした。

社長としてすべてを切り盛りしていた頃は、ただただ前に出ること、一歩でも進むことに必死。内心はいつも張り詰め、外に向かっては突っ張るだけ突っ張っておりました。愛されねばならない!尊敬されねばならない!恐れられねばならない!…。自分が描いた社長像に背かぬよう働き暮らすことと日々格闘し、この突っ張りが挫けたときは最期のときとまで思いつめておりました。

今思えば、いささかならず滑稽なほどの力の入りようでした。けれども、もし、その頃に戻り今を眺めたならば、力の抜け切った自分の有様に驚いて、さぞがっかりしたことと思います。そうなのです。気持ちの突っ張り、心の強ばり、肩の力までがすっと抜けている…。春をそんな心境で迎えた覚えは一度としてなく、おそらく今年が初めてではないでしょうか。

社長から会長になったとき、一歩退いて、力も抜いて…そう思っておりました。今思えばそれは“退かねば”“抜かねば”という、相も変らぬ自分への命令だったとわかります。それが証拠にここ数年は、いつも、なんとなく落ち着かず、なにをしてもギクシャクしていた気がいたします。それがなぜ、納まるところに納まったのか。理由はよくわかりませんが。今は、ここ数年探していたものはこれかと気づき、それが根付きつつある実感に、にじみでるようなうれしさを感じております。

力が抜けたせいでしょう。目をぎゅっと凝らし一点を見つめるあまり、見えなくなっていたものごとも、だいぶ目に入ってくるようになり。それにつれ、突っ張らねば終わりと思っていた人生が、力を抜くことで、これからもっと楽しく、豊かにできると感じられるようになりました。

力を抜くと言っても、それは、手を抜くことでは決してございません。納得するまで、満足するまでという思いは、むしろ旺盛に湧いてまいります。ただ、そこに至る道のりを、この歩き方で!最速で!そんな気負いを、自分や周りの者に突きつける気持ちは、胸のうちを探しても、もう見つかりません。ズルをしないなら、中途半端で終わらせぬなら、各々の歩き方でいい、少々時間がかかってもいい。それで自分が喜べるなら、誰かを喜ばせることができるなら、それがいちばん…。

こんなふうに、ものわかりのよいことを書くと、昔を知る方々にいらぬご心配を…とも思いましたが。大丈夫、心配はございません。生まれかわったとは申しませんが、ようやく私も私のままで、かわることができはじめているのです。冬を越え巡ってきた春が、はじまりの季節だとするなら。今の私も幾度目かの、人生の春を迎えているんだわ…。

いつもと同じ春に、いつもよりうれしそうな私がいます。

西川通子

平成20年 正月号

喜んでいただくこと

昨年はほんとうに忙しい一年でございました。なぜかと申しますと、なんのことはない。「自分で自分を忙しくしていたから」なのですが。

社長の頃は仕事が日々を忙しくしてくれました。けれども退いた後は、望むなら予定表をぜんぶ白紙にしておける身分になっておりました。しかしながら、じっとしておられぬ性分。できることをと探し回るうち、社長時代とはまたちがう忙しさをいっぱいに抱えていた…というわけでございます。

社員食堂の切り盛り、ヒルトップの草木の世話、社内の居心地を良くする掃除や修繕。それだけでも充分忙しいにもかかわらず、私は新たな大仕事を企てました。イルミネーションの光を使い、ヒルトップに夢のストーリーを描こうと思ったのです。

十数年前、ふるさと熊本にご恩返しをと考えたことがありました。当時は不景気の真っ只中。元気がわいてくるものをなにかと考え思いついたのが、年末に社屋をイルミネーションで飾るという案。以来毎年趣向を変えて、師走の夜空に煌めきを添えてまいりました。おかげさまで訪れる方も年々増え、近ごろは“熊本の冬を彩る風物詩”と言っていただけるまでになっておりました。

昨年のお正月、ヒルトップに来たばかりの頃は考えてもおりませんでしたが。春先から会う人ごとに「今年はイルミネーションどうするんですか?」と聞かれるようになり。こんなに多くの方が楽しみにしてくださっていたのかと、あらためて驚かされました。こうなると、もう止まりません。誰にも相談せず、具体的な計画もないまま会社中に「今年もやる!」とふれ回ったのは、確か六月頃ではなかったでしょうか。

まず、手始めにしたのは、イルミネーションの“華”となる発光ダイオードの手配でした。環境を汚さぬもの、電気の無駄遣いをせぬものをと思い、発光ダイオードを選んだのですが、国内で賄うとどうしても高くつきます。そこで「できるだけ安く!できるだけたっぷり!」と注文を付け二人の社員を中国に遣りました。二週間後、二人が帰ってからが突貫に次ぐ突貫。慣れない溶接機を手に骨組みをつくる者、骨組みに発光ダイオードを巻きつける者、出来上がったイルカやお城やカボチャの馬車を運び、広いヒルトップのそこここに据え付けていく者…。暇な者などいない会社ですが、ちょっとのスキでも見せようものなら、にわかイルミネーション工房に引き込み作業をさせました。

そんなことを終日繰り返し、四ヵ月ほど休まずつづけて、十一月の半ば過ぎ、ようやく点灯式にこぎ着けることができました。ヒルトップ初のイルミネーションは、自惚れを差し引いても、まずは上々の出来映え。ドライブスルー形式で一般の皆様に公開してからというもの、連日数百、週末は千を越す車がと聞いたときは、うれしさで飛び上がらんばかりの気持ちがいたしました。

こうなると、もう止まりません。来年は天の川もつくって、彦星と織姫はどんなふうに飾ろうかしら…。もっともっと喜んでもらいたいという想いとともに、イメージは大きくふくらんでいきました。

やはり私には、これしかない。喜んでいただくことが、なによりの喜び。喜ばれたことを糧とし、さらに喜ばれることへと向かう。来年もそうやって生きていこう。そうやって生きていけることが、なによりの幸せ…。

年の瀬の一夕、青くまたたく光の海を走る車、その窓からのぞく人々の笑い顔を見ながら、一人そう思っておりました。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

西川通子

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